第3話 玩具のような日々の中で

 ラッフレナンド城2階の北東にある、ベランダから演習場が見渡せる部屋が執務室だ。

 他の部屋と広さは変わらないが、南北の壁に広がっている書棚のおかげでやや圧迫感がある。

 扉から入って突き当りに執務机と椅子があり、東のベランダ側にはスクエアテーブルとソファが置かれている。

 西の壁には暖炉が備わっており、そこからの熱が緩やかに部屋を温めている。


 アラン=ラッフレナンド国王陛下は、椅子に腰かけて机に広がっている書類にサインを書いていた。

 サインを一つ書き上げると机の隅に書類を移し、また新たな書類を手に取って内容を確認している。

 体を傾げ気だるげに作業をしているが、書類に目を通す表情は真剣そのものだ。

 余程集中しているのか、側に置いてあるコーヒーには一切手をつけていない。せっかく熱く淹れてあるというのに、この寒い季節ではすぐに冷めてしまいそうだ。


 ここでのリーファの仕事は、彼の膝の上に座っている事だ。

 アランの左膝に腰をかけ、どうにも動かず何も言わずに過ごす。

 アランが席を立ちたい時だけ背中を押されるので席を立ち、戻ってきたらまた元の位置に収まる。

 この繰り返しだ。

 何でこんな仕事なのかは分からない。邪魔じゃないのか重くないのか甚だ疑問だが、彼が気にする様子はない。

 だが。


「…っ」


 時々アランはリーファの方を向いて、髪を撫でたり服を眺めたり香りを確かめる。


 何か言おうとすれば『うるさい』と言われるし、身じろぎすれば腕をつねられる。

 かと言って、うっかり居眠りをすると椅子から落とされたりするので、気持ちが休まる事はない。


(人形よね…)


 常にそこにあって、何をするでもなく佇み、自分の思い通りになる玩具。

 自分はそういうものなのだと言い聞かせて、居心地の悪さを誤魔化すようになってしまった。


 そんな人形の耳の裏にアランは鼻を近づけ、意地の悪い笑みを浮かべた。


「ローズオイルか。悪い香りではないな。

 だが、お前にはオレンジ系の方が合うのではないか?」


 話しかけられたら口を開く事は許されていた。おずおずと、リーファは首を縦に振る。


「は、はあ」


 まるで本当に人形のように振る舞うものだから、アランが侮蔑を込めて吐息を零した。


「…ふん、よく分かってないな。

 大方、シェリーの入れ知恵か。何を言われた」

「え、えと。陛下の好みに合わせてみましょうと」

「そんな事をして何になる」

「い、色気、アップ?」

「アップしたような気がするか?」

「…よく、分かりません」

「だろうな」


 がっかりしたようだ。アランはつまらなそうに目を細めた。


 ───『普段の手入れだけでは物足りないのでは』と考えたシェリーは、まず徹底的にスキンケアを施してくれた。

 体を十分に温め、全身のムダ毛を処理し、化粧水を塗りたくり、乳液と美容液はしっかりとすりこまれた。

 髪も傷んでいる所をカットし、オイルで艶を出してもらった。コロンで香りも足して貰ってある。

 激痛を伴う全身マッサージはちょっと大変だったが、体が軽くなったような気はしたし。

 肌はツルツル、髪はツヤツヤになって、リーファとしてはお姫様になった気分だ。

 今の瞬間が一番輝いている。もうこれ以上などない程綺麗になっていると思っている。

 思っては、いるのだが。


(陛下に見られると、気持ちが萎える…)


 蔑むようなアランの目で見つめられると、どうにも自信がなくなってしまう。何を言われた訳でもなく、馬鹿にされた気分になってしまう。


 リーファの心情などお構いなしに、アランは気が向くまま腰に腕を回して、スカートの中に手を入れてきた。

 腿を撫で回されると、ぶわ、と鳥肌が立ってしまう。


(…が、我慢、我慢…!)


 リーファの腿を触りたい訳ではなく、履いているストッキングやガーターベルトの感触が好きらしい。実際、リーファの肌にはあまり触れてこないのだ。


(…今日も駄目ね…)


 と諦めかけていたら、リーファの視界に煌びやかな手が見えた。

 そういえば、爪の手入れもされたのだ。綺麗に磨かれ、マニキュアを塗られた。

 色はピンクオークルを選んだが、最近は飾り物の貼り付けが流行っているらしく、爪の中に可愛らしい白い花が彩られている。

 メイドの立場ではあまり派手に飾れないのだろう。サンドリーヌが嬉々として手入れをしてくれて、シェリーに窘められていた事を思い出した。

 かつて調合や患者の世話で酷使し荒れてしまった両手は、今は艶のある白い肌に戻っていたし、飾られた手を見たら良い評価を貰えるかもしれない。


「あ、で、でも、肌荒れは無くなって嬉しいとは思います。

 診療所にいた頃は、手もぼろぼろでしたから」

「…見せてみろ」


 言われるままに手をアランに見せる。


 リーファの手に、アランの滑らかな指先が重なる。指の間に指を絡められると、何だかくすぐったい。

 可愛らしく彩色された爪を眺め、アランの口の端が吊り上がった。


「綺麗だな」

「あ、ありがとうございま…」


 褒められた、と心の中で喜んだのも束の間、リーファの指に突如激痛が走った。


 ぎり───


 アランが絡めてきた指に力を込め、リーファの指を締め上げる。


「いったたたたた!へ、陛下、いたっ、痛いですっ!」

「庶民の癖に良家の令嬢ぶっているのが気に食わん。罰だ」

「い、意味分かんないんですけど?!きゃーっ!ぎゃーっ!?」


 理不尽な理由で罰せられ、リーファは半狂乱になってアランの手を振りほどこうとするが、びくともしない。指の骨が砕けかねない力に、リーファの絶叫は部屋中に響き渡る。


 ───がちゃっ


 そんな中ノックもせず、唐突に執務室の扉を開けて入ってきた男がいた。


 腕周りを紐で絞った紺色のシャツ、萱草色のベスト、コーヒー色のズボン、墨色のブーツと、服格好自体はかなりラフだが、見る人が見れば使われている布地はどれも一級品だと分かるだろう。

 亜麻色の短髪の青年で、アランとは違い藍色の双眸に優しさを湛えている。

 アランの異母兄であり、従者でもあるヘルムートだった。


 書類を腕に抱えた彼は執務室の光景をざっと見て、場に不釣り合いな笑顔を向けてきた。


「お邪魔ー、おや、セクハラタイム?…っていうよりパワハラタイムっぽいね」

「今終わった所だ」

「うおわ?!」


 リーファの背中がアランの腕からいきなり解放された。バランスを崩したリーファの体は、椅子の肘掛けを飛び越してそのまま転がり落ちた。


 ごしゃっ


 どこをどうやって転がったのか。視界がぐるりと回ったかと思ったら、背中を思いっきり床に打ち付けていた。

 激痛と共に、リーファの目の前が一瞬真っ白に染まる。


 床に転がり目を回しているリーファに、アランの冷たい視線が降り注ぐ。


「何をしている。戻れ」

「は、はい。すみません…」


 痛い背中を押さえふらふらになりながらも、リーファは何とか体を起こした。よれよれと、アランの膝の上へと戻る。


 戻ったら戻ったで、アランは再びリーファのスカートの中に手を入れてきた。今度はストッキングを駄目にしたいらしく、布地に爪を立てている。


「…君も大変だね」

「は、はは」


 同情の眼差しをヘルムートに向けられて、リーファはどう応えていいか困り空笑いを返してしまうと。


「いっ!?」


 多分ヘルムートに反応してしまった罰だろう。アランがリーファの腿を思いっきりつねるものだから、痛みに悲鳴を上げてしまった。


 痛みを堪えて俯いていると、リーファの頭上でアランが不機嫌にヘルムートを睨んだ。


「それで、何の用だ」

「ご挨拶だなぁ。これ、頼まれてた見積書。

 それと、こっちはリーファ、君にプレゼントだ」


 机の上に置かれた書類は二種類あった。

 一つはラッフレナンドの国章が彫られた茶革のバインダーで、恐らくこちらが見積書だろう。

 そしてもう一方はシンプルに紙一枚でまとめられたものだ。”提案書”と、一番上の方に書かれてある。


 アランの方をちらりと見上げると、とても面倒そうに顎を上げ、『受け取れ』と無言で命じてきた。

 許可が得られ、リーファは紙を手に取る。


「私に…ですか?」

「そうやって、むさい男の硬い膝の上に座ってるのも疲れるだろう?

 君にぴったりの仕事を持ってきてあげたよ」


 リーファは”提案書”に書かれていたタイトルを読み上げ、小首を傾げた。


「『禁書庫の掃除』…?」

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