第159話 戦い甲斐がありますわ

「戻ってきませんわね」


『気になるのか?』


「気になるわ」




 わたくしは102層の洞窟広場で野営をしながらチラリと人のいないテントに目配せしました。外は既に暗いのにもかかわらず、未だ周辺に気配はありません。テント自体も新しいものなので、ずっと残っているものでもないようです。




「全滅、かしらね……」


『冒険者とはそういうものだ』




 ここまで来られるレベルの冒険者が負ける強さの魔物がいる。人の死の痕跡がわたくしに恐怖となって襲い掛かります。しかし、その程度に勝てなければわたくしの望みは叶うことがないのです。だから立ち止まるつもりはありません。


 わたくしは明日にもまだ見ぬ強敵を倒すために就寝しました。人気が無いので夜番にはルシファーを立たせておきます。精神世界にいても変わりませんが、目に見える範囲に誰かがいるという感覚がある方が安心して眠れると判断しました。




「……起きても変わらず、ね」




 これは生存は絶望的ですわね。一昼夜戻ってこない以上、恐らく全滅でしょう。




「他人を気にする余裕なぞあるのか? 今から主はその元凶と戦う可能性があるのだぞ?」


「余裕は大切よ? 功を焦って罪となることの方が多いのだから」




 心の余裕はアイデアを生み出します。神崎なんてどんな状況でもふざけきっていたではありませんか。あれは余裕を生み出すための極意に違いありませんわ。わたくしもその領域に達しなくては。


 野営の片づけをして出発です。いつも以上に気配に気をつけながら進んでいると、変わった気配を遠くに感じました。なんと、人の気配がするのです。




「……全滅したわけではない? 数は5人全員生存しているようだけれど……」


「罠であろう。奴らは生餌なのだ」




 そんな高度なことを魔物がするのですね。驚きです。しかし、効率はいいのかもしれません。わたくしのような同族は助けに向かおうとしますし、凶暴な魔物は誘き出されてもおかしくありません。




「捕食者を捕食する魔物。生態系の頂点にいる凶悪な魔物なのでしょうね」


「主はなぜ笑っているのだ?」


「わたくしが勝てばここで最も強いことが証明できるじゃない」




 そのためにもわたくしを誘き出そうとしている“お相手”を倒さなければなりませんね。ちょうど誘われているようなので乗って差し上げましょう。その上で全てを凌駕して勝ちましょう。


 わたくしは気配を頼りに進んでいくと、巨大な木々の間に白い柱が幾つも張り巡らされていました。巨大な現代アートの内部に入り込んでしまったような光景に、わたくしは目を奪われます。




「ここの主人は芸術家なのかしら?」


『違う。恐らくこれはビルドスパイダーの巣だろうが……それにしては大きすぎる』




 ルシファーは冗談というものを学ばねばなりませんわね。返しがつまらないですわ。それはともあれ、建築クモですか。となると、この白い柱はクモの糸になるのですよね?


 わたくしは拾った木の枝を興味本位でクモの糸を突きました。その感触は弾力のある硬いお餅のような感じで木の棒にくっついたりはしませんでした。クモは巣を支える縦糸には粘着力がなく、その縦糸に張られた横糸に粘着力があるといいますが、その通りなのでしょう。そう考察しながら巣の中心部に向かいました。




「芸術的ね。相変わらず強い気配はないけれど」


『7ビルドスパイダーは隠密に優れている。どこから襲ってくるかわからぬぞ』




 あら、ちょうどいいじゃない。神崎も時々気配が希薄になりますから、きっと隠密のスキルを持っているのでしょう。訓練にはお誂え向きだわ。


 ドーム状に張られた巣の内部を歩いて観察していると、上空から男の声が降ってきました。




「おい! そこの冒険者! 逃げろ! 今すぐ!」




 顔以外クモの糸でグルグル巻きにされた男が必死の形相で声を張り上げています。ですが、わたくしは危険と分かってここに足を踏み入れたのです。その忠告には従えません。それに、その忠告は少し遅かったようですわ。男とは違う方向に怪しい気配が一つありますもの。




「隠れているつもりかしら?」




 わたくしは軽いステップで吐き出された糸を躱しました。着弾点を見る限り、網目状で粘着性の糸のようです。確実に捕らえに来ているようです。そして、その犯人をしっかりと目に焼き付けました。


 雪と見まがうほどの真っ白なクモですわね。目まで白くて視認性の悪さと気配の希薄さと相まって面倒な相手ですわ。




『声が喜んでいるぞ』




 やっと少しは本気で戦えそうな相手ですもの。単純な一芸だけの魔物との訓練でなくて、本当に実戦と呼べるものに出会えたんだから。


 真っ白なクモ―ユキグモとでも呼ぶべき魔物はわたくしを警戒して下りてこようとしません。巣の中は縦横無尽に糸が張られているので飛ぶのも大変そうです。その糸の上をユキグモは素早く移動しながらわたくしに向けて糸を吐き出してきました。




「口からも糸を吐き出すのね。変わった生態だわ」




 あの糸に絡めとられたらわたくしでも脱出に時間を要する事でしょう。当たるわけにはいきませんが、地面に広がった糸は的確にわたくしの足場を奪っていきます。このままでは足場がなくなるのは目に見えています。それに、一見すると何もしていないように見えますが、本来糸を出すお腹の先端から極細の糸を垂らしているのも怪しいですわね。


 着実に足場を減らされながらわたくしは分析を進めました。

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