3261話

「見えたわ!」


 村を出発してから数時間、そろそろ昼にしようかと思っていたところでレイの隣にいたニールセンが叫ぶ。

 ニールセンのその声に、レイは視線を前方に向ける。

 するとそこには森があった。

 ただし、森ではあるが少し離れた場所にある木々は爆発か何かがあったかのように途中で折れたり、中には根元から抜けて地面に倒れていたり、いつ抜けてもおかしくはないような、そんな木々もある。


(多分、あれがニールセンから聞いた、巨大な鳥のモンスターによる襲撃の件なんだろうな。……ん?)


 森の方を見ていたレイだったが、その森の中に何人かの人影の姿があるのに気が付く。


「ニールセン、森の中にそれなりに人がいるみたいなんだが」

「え? うーん……考えられるとすれば、森の中で騎士達が穢れの関係者と遭遇したのが原因かしら? 死んだ人もいたみたいだし。そんな中で逃げ延びた人もいたから、そういう人達が色々と調べに来たのかも。……あれからそれなりに時間は経ってるんだけど」


 ニールセンの意見にレイは難しい表情を浮かべる。

 現在森の中にいる者達は穢れの関係者を捜しているのは間違いないだろう。

 それは同時に、レイにしてみればこれから自分達が向かう妖精郷に近付きにくいということを意味していた。

 現在の高度百m近い場所を飛び、セトの持つセト籠も迷彩効果に近い性能を発揮して空の景色に紛れているので、余程のことでもなければ見付かることはない。

 だが、このまま妖精郷のある場所に近付けば、もしかしたらセトの存在が見付かる可能性もあった。

 そして穢れの関係者を捜しているこの状況でセトに乗ったレイを見つければ、どうなるか。

 深紅の異名を持つランクA冒険者のレイだけに、穢れの関係者の仲間として捕らえるといったような真似はされないだろうが、それでも事情を聞かせて欲しいといったように言ってきてもおかしくはない。

 そしてレイが穢れの関係者の拠点に向かうと知れば、自分達もレイと一緒に行動するといったようなことを言いかねない。

 当然だがそのような状況になれば、レイ達は妖精郷に入る訳にはいかなくなる。

 妖精郷の方でも、ニールセンが連れて来ると言っていたレイ達はともかく、全く無関係の者達を中に入れたくはないだろう。


「どうするかな」

「何が?」


 レイの呟きに、ニールセンが不思議そうな視線を向ける。

 言わなくても事情くらいは分かるだろう。

 そう言いたげな視線を向けるレイだったが、ニールセンはそんなレイの様子を気にせずに口を開く。


「私達でどうにかならないのなら、降り注ぐ春風にどうにかして貰えばいいんじゃない?」

「どうにか出来るのか?」


 そうレイが言った瞬間、セトが素早く身体を動かす。


「あら。まさか見付かるとは思ってませんでした」


 聞こえてきたその声に、レイも視線を向ける。

 するとそこには、妖精が……ニールセンのような普通の妖精よりも一回り大きい妖精の姿があった。

 それが誰なのかは、レイもすぐに理解する。

 何故なら、普通の妖精よりも大きな妖精というのは見覚えがあったからだ。

 トレントの森にある妖精郷の長……数多の見えない腕と呼ばれている妖精だ。つまり……


「お前がこの森の妖精郷の長……降り注ぐ春風とかいう妖精か?」

「正解。そして貴方がレイね? グリフォンに乗ってるからすぐに分かったわ。……もっとも、レイとグリフォンのセト以外にも一緒に来た人がいるようだけど」


 レイやセトの名前については、前回来た時にニールセンから聞いていたのだろう。

 降り注ぐ春風が自分の名前を口にしても、レイは特に驚いた様子はない。


「俺だけだと手が足りなくなりそうでな」

「ニールセンが必要だと認めたのなら、私は構わないけど……いいのね?」


 レイの言葉を聞いた降り注ぐ春風は、ニールセンに向けて確認する。

 するとニールセンは、特に躊躇したり勿体ぶったりせずに頷く。

 そんなニールセンの姿を見た降り注ぐ春風は、笑みを浮かべてレイに視線を向けた。


「じゃあ、問題もないようだし妖精郷に行きましょうか」

「そう言ってくれるのはありがたいけど、この状況でどうするんだ? 迂闊に妖精郷に近付けば、地上の連中に見付かるんじゃないか?」


 現在はこの高度で、セト籠の能力もあるから地上にいる相手にも見付かっていない。

 だが、この状況で妖精郷のある森に向かって降りていくようなことをすれば、森にいる者達に見付かる可能性は十分にあった。

 そう心配するレイだったが、降り注ぐ春風は柔らかな笑みを浮かべて首を横に振る。


「心配はいらないわ。私が力を使って問題ないようにするから」


 これが全くの見ず知らずの相手に言われたのなら、レイも素直に信じるようなことはなかっただろう。

 しかしニールセンから降り注ぐ春風については聞いているし、長……数多の見えない腕と呼ばれている妖精からも降り注ぐ春風は信頼出来る相手だと聞いている。

 そうである以上、レイも降り注ぐ春風の言葉を疑うようなことはなかった。


「分かった。じゃあ、頼む。ただ、セトの持ってるセト籠もあるんだけど大丈夫か?」

「ええ、問題ないわ。じゃあ……いくわね」


 そう言い、軽く手を振るう降り注ぐ春風。

 その行為で一体何が起きるのかといったことを考えていたレイだったが、実際にはそれ以外に何も起きたりといったようなことはない。

 疑問を抱きながら、降り注ぐ春風に視線を向ける。

 そんなレイの視線に、降り注ぐ春風は笑みを浮かべて口を開く。


「このまま妖精郷に向かってちょうだい。地上にいる人達には見えないから」

「……分かった」


 数秒の沈黙の後、レイはそう返す。

 降り注ぐ春風の言葉を全て信じてもいいのか迷ったものの、ニールセンや長が信じてもいいと言っていたのだから、ここで信じないでどうするのかと、

 そんな風に判断したのだ。

 もし万が一にも地上にいる者達に見付かっても、セトなら空を飛んで移動すれば追いつかれることはないという風に思えたのも、この場合は大きい。


「それで、妖精郷は具体的にどこにあるんだ? トレントの森の妖精郷は霧の空間によって覆われていたから、守りやすいけどそれなりに見つけやすかったんだけど、ここから見える場所にそれらしい場所はないよな」

「あそこよ。……ニールセン、案内をお願い出来る?」

「分かったわ。セト、私が案内するからついてきてね」

「グルゥ……グルルルルゥ」


 最初こそ降り注ぐ春風を警戒していたセトだったが、レイやニールセンの話をしていたのを見れば、敵ではないと判断したのだろう。

 今はもう敵意はなく、あっさりと降り注ぐ春風から視線を外してニールセンの言葉に頷く。


「じゃあ、私は妖精郷で待ってるから、よろしくね」


 降り注ぐ春風はそう言うと、瞬時に姿を消す。


「転移か、それとも幻影か何かだったのか。存在感はあったから、多分転移なんだろうけど」


 消えた降り注ぐ春風の様子を見て、レイはそんな風に呟く。

 レイから見て、自由に転移を出来る能力というのは非常に羨ましい。

 レイが知ってる限り、人間が転移する方法となるとベスティア帝国の錬金術師が作ったマジックアイテムを使うくらいしか方法が思いつかない。

 それに対して、妖精達は長ではなく普通の妖精であっても妖精の輪という短距離の転移能力を持っていた。


(長に頼んだマジックアイテムのうち、モンスターの解体用の奴はダスカー様から貰ってキャンセルしたけど、転移用のマジックアイテムとか頼んだから作ってくれないか? ……多分難しそうだけど、もしかしたら自分達は容易に転移出来るから、作るのは難しくない可能性もあるか)


 今回の一件が終わったら、長に聞いてみてもいいかもしれない。

 そんな風に思いながら、レイはニールセンを見る。


「じゃあ、案内を頼む。降り注ぐ春風が一体何をしたのかは分からないが、それがいつまでも続くとは限らない。ここで無駄に時間を使った結果、妖精郷に行く前にその何かの効果が切れる可能性は十分にある」

「そう? 降り注ぐ春風のことだから心配はいらないと思うけど……でも、そうね。いつまでもこうしてる訳にもいかないし、行きましょうか」


 ニールセンは降り注ぐ春風という存在を知ってるだけに、その辺の心配はしていなかったものの、それでも今の状況を思えば出来るだけ早く妖精郷に向かった方がいいと判断して移動を始める。

 セトも持っているセト籠を落とさないように、そして地上にいる者達に見付からないようにしながらニールセンを追う。

 そのまま数分。

 セトだけであれば、それこそ一分も必要とせずに到着したのだろうが、ニールセンの飛ぶ速度に合わせたので少し遅くなったのだ。


「え?」


 ニールセンの向かう森に近付いたところで、何か妙な感触がレイにはあった。

 それはレイだけではない。


「グルゥ?」


 セトもまたレイと同じく疑問を感じた様子で周囲を見る。


「ほら、セト。こっちこっち。何やってるの?」


 レイとセトの感じた何かをニールセンは感じなかったのか、それとも感じた上で問題ないと判断してレイを呼んでいるのか。

 その辺りはレイにも分からなかったが、ニールセンの様子を見る限りでは取りあえず何も問題はないのだろうとレイは判断する。


(もしかしたら、降り注ぐ春風がやった何かが原因だったのかもしれないし。……だとすれば、セト籠の中にいるマリーナやヴィヘラも同じように今のような違和感があったのか?)


 レイがそんな疑問を抱いている間も、セトはニールセンを追い……そして、妖精郷の中に突入する。


「ここが妖精郷か。トレントの森の妖精郷とは少し雰囲気が違うな」


 自分が知っているトレントの森の妖精郷とは別の妖精郷。

 そんな妖精郷を見た瞬間、レイの中には既に先程の違和感については消えていた。

 今はそんなことよりも、地上に広がっている妖精郷の方を見た方がいいだろうと、そのように思えたのだ。

 そんな風に地上の様子を見ていたレイは、ニールセンがこの妖精郷の妖精との再会を喜んでいるのを見ながら、ある程度の広さがある場所……セト籠を降ろすことが出来る場所を探す。

 幸いなことにその場所はすぐに見付かった。

 あまり人の……いや、妖精のいない場所は幾つかあり、その中の一つにレイは目を付けたのだ。


「セト、あそこにセト籠を降ろそう」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らすと地上に向かって降下していく。

 今までは上を飛んでいたので、妖精郷の妖精達に見付かることはなかった。

 しかし、こうして地上に向かって降下していくと、妖精郷にいる妖精達もレイやセトの姿に気が付く。

 レイには先程違和感しかなかったものの、その違和感は周囲から認識されないようにするという能力が切れたことによるものだ。

 降り注ぐ春風によって付与されたその能力が消えた以上、妖精達にもレイやセトの姿を見ることは出来る。


「あ、ちょっとねえ、あれ……」

「うそ、グリフォン!?」

「っていうか、何か妙なのを持ってるけど……何なの、あれ?」


 レイやセト、そしてセト籠の姿を見た妖精達は、そんな風に言葉を交わす。

 セト籠を地上に置いたセトは一度上空まで戻り、再び地上に向かって降下する。

 地面に着地したセトの背から降りたレイは、改めて妖精郷の中を見回す。


「やっぱりどこか違和感があるな」

「あら、そう?」

「……いたのか」


 声の聞こえてきた方に視線を向けたレイが見たのは、つい先程も聞いた声の主、降り注ぐ春風だった。


「神出鬼没だな」

「そう? でも数多の見えない腕も同じように出来るんじゃない?」

「その割には長は……いや、数多の見えない腕はあまり妖精郷から出るようなことはないけどな。穢れの存在を察知するのに集中してるからというのもあるんだろうけど」

「そこまでするのは、自分の住む妖精郷を守るだけじゃなくて、レイの為もあるんでしょうね?」

「そういうものか? まぁ、数多の見えない腕には色々と助けて貰ってるのは事実だけど」


 レイと降り注ぐ春風が会話をしていると、妖精達が興味を持ったのかセト籠の周辺に集まっている中からマリーナとヴィヘラが姿を現す。

 何人もの妖精達を掻き分けるように出てくるマリーナとヴィヘラ。


「なんであそこまで興味津々なんだ?」

「ただの人だからではないでしょう。片方は世界樹の巫女。もう一人は……正確には分かりませんが、高位のモンスターと融合か何かしましたね? いえ、この感じは融合ではなく……吸収?」


 ただの人ではないから、妖精達が興味を示すと言う降り注ぐ春風。

 そんな降り注ぐ春風の言葉に、マリーナがダークエルフであるのはともかく、世界樹の巫女であるのが分かるのかと、そしてヴィヘラがモンスターと融合……いや、吸収したのも分かるのかと驚くのだった。

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