3241話

 ミスリルの結界についての二度目の実験が無事に終わり、次にどうするかということになるのだが……


「実験をやるにも、肝心の穢れがいないか」


 野営地にいる炎獄の中で生き残っている穢れはもう殆どいない。

 炎獄によって捕らえられた穢れは、何らかの手段でエネルギーを蓄えない限り、餓死する。

 何らかの手段……具体的には、ミスリルの結界の為にレイが行ったように、一度炎獄を解除して石や木を投げて黒い塵として吸収させるといったように。


「レイ、どうしたの? 何か考えてるみたいだけど」


 セトに寄り掛かりながら冬の空を見上げていたレイに、同じくセトの頭の上で眠っていたニールセンが尋ねてくる。

 レイはドラゴンローブで、セトはグリフォンなので、冬の日中であっても寒さに困るようなことはない。

 だが、ニールセンはそこまで便利なマジックアイテムや能力を持っていないので、セトにくっつくことで暖を取っていたのだろう。

 今日は見事な冬晴れで、空には青空が広がっており、雲一つない。

 だが、そんな天気でも冬だけあって気温は低かった。


「いや、ミスリルの結界の実験をどうしようと思ってな。まさか、穢れが少なくなることで困るようなことがあるとは思わなかった」

「まだ実験を続けるの? もう二回やったんだし、もういいんじゃない?」

「そういう訳にもいかないだろ。こういうのはそれなりに数をこなす必要がある。……そうなると、今度少し離れた場所に穢れが出ても、野営地の近くまで誘き寄せた方がいいのかもしれないな」

「えー……何でそんな面倒なことをするのよ」


 ニールセンが面倒臭そうな様子で呟く。

 そんなニールセンを見たレイも、正直なところ同じ気持ちだ。

 ミスリルの結界が有効なのは、もう大体分かっている。

 実際に試したのはまだ二度だが、今までのレイの経験からするとミスリルの結界はかなり性能の高いマジックアイテムなのだ。

 だが、それはあくまでもレイがそのように思っているだけでしかなく、実際に何度も試した訳ではない。

 そうである以上、もっとしっかりと検証する必要があるのは間違いなかった。

 もしレイがそう思うからということで問題ないと判断され、レイがニールセンと共に穢れの関係者の拠点に向かい……その間に、ミスリルの結界で何らかの予想も出来ない事態が起こったらどうなるか。

 勿論、いざという時……本当にどうしようもない時は、エレーナに任せるといった選択肢が残っている。

 だが、それはあくまでも最後の最後。

 どうしようもなくなったらの話だ。


(エレーナに頼めば、実はその辺はどうにか誤魔化してくれると思うけどな。……それにミスリルの結界はもう量産されてるんだ。そう考えると、穢れの関係者の拠点に向かうのもそう遠くないんだろうな)


 エレーナに頼るということは、つまり中立派が貴族派に頼るということになる。

 レイとの個人的な関係もあるが、派閥は派閥だ。

 とはいえ、現在中立派と貴族派は友好関係にある。……派閥の中にはそれを面白く思わない者もいるが、上の方ではきちんと意思統一されている。

 なお、その面白くないと思っている貴族達が、以前ギルムの増築工事の妨害を行った者達だったりするのだが。


(うーん、出来れば穢れの件は早く終わらせたいんだよな。けど、急ぎすぎてミスをするのもちょっと。出来ればその辺をどうにかしたいところだけど。これで、穢れの関係者の拠点がギルムからそう遠くない場所にあるのなら、戻ってくるのも楽なんだけど。……あ、駄目か)


 自分の考えを、レイはすぐに否定する。

 そもそもギルムの近くに穢れの関係者の拠点があるのなら、今のような状況にはなっていないだろう。

 それこそもっと頻繁に……そして的確に攻撃をしてきてもおかしくはない。

 トレントの森だけではなく、ギルムに穢れが現れるだけでも、非常に大きな騒動となる。

 そうなると、それこそダスカーでも簡単に対処することは出来なくなる筈だ。

 他にも穢れを送るだけではなく、穢れの関係者による攻撃……テロの類があってもおかしくはない。

 そういう意味では、今のこの状況の方がまだギルムにとっては幸運だったのだろうとレイは考えていてると……


「グルゥ」

「セト?」


 不意にレイが寄り掛かっていたセトが喉を鳴らす。

 もしかして重かったか? そう思ったレイだったが、起き上がってセトを見ると、セトはとある方向……具体的には、補給の馬車がやって来る時に馬車を停めている場所に視線を向けていた。


「え? もしかしてもう来たのか? 随分と早いな」


 いつもであれば、補給の馬車がやって来るのは午後なのだが、今はまだ昼前の時間だ。


「馬車が来たの? なら、ちょっと見に行きましょうよ。……あ、でもその前にあっちの方を片付けた方がいいかもしれないわね」

「ニールセン?」


 ニールセンの言葉に、レイはその視線を追う。

 するとそこには、必死の形相でレイのいる方に走ってくる冒険者の姿があった。


「何だ?」

「さぁ? でも、ああして一生懸命に走ってるってことは、多分何かあったんでしょ。馬車に行く前に、あの人達の相手をする必要があるのは間違いないわね」


 そう言い、あまり面白くなさそうな様子を見せるニールセン。

 ニールセンにしてみれば、出来るだけ早く馬車を見に行きたいのだろう。

 特にニールセンが馬車を好きだという訳ではなく、単純に暇だったから馬車を見て暇潰しでもしようと、そんな風に思っての行動だろう。

 レイもそんなニールセンの考えは理解していたが、それでも自分の方に向かってくる冒険者を放ってはおけず……


(あ、でももしかしたら)


 自分の方に走ってくる冒険者は、馬車に関係あるのでは?

 タイミング的にそうであってもおかしくはないと思いながら、レイは立ち上がる。

 どのみち自分に向かって走ってきている以上、こうして待っているのもどうかと思った為だ。

 そうしてレイは冒険者の方に向かって歩き出す。

 ニールセンを頭の上に乗せたセトも、そんなレイの隣を歩く。


「レイ、ちょっといいか。急いで来てくれ。補給の馬車が来たんだけど……」


 ビンゴ、と。冒険者の男の言葉にレイはそう思いつつ、頷く。


「分かった。ちょうど俺も補給の馬車を見に行くところだったし、それはそれで構わない。けど……補給の馬車が来るのが、随分と早いな」

「そりゃそうだろ。ダスカー様が来たんだから」

「……は?」


 補給の馬車がいつもより早いのには何らかの理由があるとは思っていた。

 思っていたが、それでもまさかダスカーが一緒に来るというのはかなり予想外だった。


「ダスカー様が? 冗談でも何でもなく?」

「冗談でも何でもなく」

「……何でまた?」

「それを俺に聞かれても分かる訳がないだろ? とにかくダスカー様がレイを呼んでこいと言ってて、それで俺が来たんだよ」

「分かった。なら、そっちに向かうよ」

「頼む」


 そう言い、冒険者の男はその場から走り去る。

 その後ろ姿を見送ると、レイも早速ダスカーに会いに行くのだった。






「おお、レイ。急に呼んですまんな」


 レイの姿を確認したダスカーは、レイを見るとそう言ってくる。

 相変わらず元気そうな様子ではあるが、仕事をしなくてここに来てもいいのか?

 そんな思いを抱きつつ、レイはダスカーに頷く。


「いえ、特に何かやることがあった訳でもないので、それはいいんですけど。……でも、こんなに頻繁に野営地に来て、いいんですか?」


 実際、穢れが出るといったようなことがなければ、現状でレイが特に何かやるべきことはない。

 そうである以上、こうしてダスカーに呼ばれてすぐに来ることは別に何の問題もなかった。

 レイの言葉を聞いたダスカーは、少し困った様子で笑う。


「そうだな。本来ならあまりここに来るのは問題なのは間違いないだろう。しかし、穢れの件を考えれば少しでも早く行動する必要があったのでな」

「穢れの件って……それ、もしかして……」


 ダスカーの言葉に、何となく予想が出来たレイだったが、それでもまさかこんなに早く? という思いがある。


「そうだ。ミスリルの結界を生み出す、ミスリルの釘がある程度量産が出来た。まだ数そのものはそこまで多くはないが、それでもレイが使っている一つだけよりも楽になるだろう」

「こんなに早く量産出来たんですか?」


 ミスリルの結界を作るマジックアイテムを量産するというのは、ダスカーから聞いていた。

 それでもこの数日でミスリルの結界を量産出来るというのは、レイにとっても驚きだ。


「量産というのは少し違うな。作り方は公表したが、それでもまだそれを知った者達は手こずっている。錬金術師というのは、自分の流儀でやるのが普通らしくてな。教えて貰った方法でも、それが納得出来ない、あれが納得出来ない、ここはこのようにした方がいい。そんな風に話し合ってるらしい」

「あー……それは何となく想像出来ます」


 レイにとって、錬金術師達と接する機会は多かった。

 そうである以上、自分の流儀こそが正しいと思っている者も多く、他人のやり方をそのまま行うのは面白くないと思う者がいると予想するのは難しい話ではない。

 だが……だとすれば、何故追加のミスリルの釘を持ってこられたのかという疑問がある。

 それを尋ねると、ダスカーは特に男臭い笑みを浮かべつつ口を開く。


「最初にミスリルの結界を生み出すミスリルの釘を開発した男が、途中まで作っていた物があったらしい。それを作らせた」

「途中まで作ってた物が? ……随分と腕のいい奴ですね。いえまぁ、ミスリルの結界の性能を考えると、炎獄よりも性能……というか、穢れを殺す速度が上なのは間違いないですが」

「ああ。それは俺も最初に聞いて驚いた。まさか、レイの炎獄よりも性能が上とはな」


 ダスカーはレイの実力を十分に知っている。

 セトと一緒なら、それこそ国を相手にしても互角にやり合えるだけの戦闘力を持っていると。

 だからこそ、ミスリルの結界がレイの炎獄よりも早く穢れを殺すと聞き、かなり驚いたのだ。

 レイにしてみれば、攻撃をする訳ではなく捕獲するという意味で本来のレイの属性である炎を無理矢理変えて炎獄を生み出したので、別に不思議でもなかったのだが。

 この辺の認識の違いは、レイの実力は知っているが、その本質……炎の属性に特化しているのは知らないといったところだろう。


「そう言えば、ミスリルの釘を量産出来たのはいいんですが、フラットに頼んで要望して貰った件はどうなりました?」

「要望? ……ああ、ミスリルの結界を動かせるようにするという奴か」

「それです。炎獄は動かせませんけど、ミスリルの結界が動かせるようになったら、穢れを捕獲して研究するにもかなり便利になると思うんですけど」


 レイの言葉に、ダスカーも特に異論はなく頷く。

 現在、野営地から離れた場所で穢れに遭遇した場合、レイは炎獄を使うのではなく魔法で倒している。

 本来ならそのような穢れも研究対象として連れてくることが出来れば、最善だというのは分かっているのだが。

 それでも今の状況を思えば、遠い場所に炎獄を作ってもそれを研究者達が観察したり研究したりといったような真似をするのは難しい。

 だからこそ、ミスリルの結界が動かせるのなら、それが最善の結果となるのだが……


「利便性については理解している。だが、生憎とその辺をそうすぐに変えることは出来ないらしい」

「それは、改良が出来ないということでしょうか?」


 ダスカーの説明を残念に思いながら尋ねるレイだったが、ダスカーはそれに対して首を横に振る。


「違う。今はまず、数を作るのを優先するということだ。ある程度数が揃って、野営地に穢れが襲撃してきてもどうにかなると判断したら、その時に改めてミスリルの釘を改良してみるそうだ」

「そうですか。……可能性があるのなら、助かります」


 レイとしては、出来れば早い内に改良して欲しいと思う。

 だが、まずは少しでも数を揃える方が重要だという考えも、分からないではなかった。

 そうである以上、ダスカーからの答えに不満を言う訳にもいかない。


「レイには悪いと思うが、まずは数を揃えんといかんからな。……それで、グリムアースの件だが」

「え? もしかしてダスカー様が来たのはそれが理由ですか? いえ、分からないでもないですが」


 ギルムの貴族街に住んでいるグリムアースが夜のトレントの森までやって来たのは、ダスカーから赤ん坊の件を聞いたからだ。

 赤ん坊の件をダスカーが知らせたのはともかく、夜にギルムを出るといったような真似……それも馬車で出るとなると、増築工事を行ってる場所から出るといった真似も難しいだろう。

 であれば、ダスカーがきちんと許可を出して、それで正門から出て来たと考えるのが自然であり、そのグリムアースが戻ってこないのを疑問に思い、確認をしにきたという可能性は十分にある。

 ……それでダスカー本人が来るのは、レイとしてもどうかと思うが。

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