3216話

「んん……ああ、そう言えば……」


 ベッドの上で起き上がったレイは、自分が久しぶりに野営地にいることを思い出す。

 もっとも、野営地にいるとはいえ、レイが眠っていたのはマジックテントの中だ。

 そういう意味では、妖精郷であろうと野営地であろうと寝心地は違わないのだが。

 寝起きであっても、今は完全に安心出来る場所にいる訳でもないので、レイは寝惚けることもなく身嗜みを整える。

 そうしてマジックテントの外に出ると、真っ先にレイを襲ったのは太陽の光。


「これは、また……」


 被っていたドラゴンローブのフードを脱いで、改めて空を見る。

 冬にしては珍しく、雲一つ存在しない青空がそこにはあった。


「グルルルゥ」


 空を見て冬晴れという表現が相応しい光景に驚いていると、セトの鳴き声が聞こえてくる。

 朝の挨拶を込めたセトの鳴き声で我に返ったレイは、笑みを浮かべてセトに向かって口を開く。


「おはよう、セト。今日も元気そうで何よりだな」

「グルゥ!」


 自分は元気だよと、レイの言葉に同意するように喉を鳴らすセト。

 そんなセトの様子に笑みを浮かべつつ、レイは改めて今日やることを考える。


(錬金術師達の作ったマジックアイテムが実際に穢れに通用するかどうか。……通用しても、穢れが餓死するまで保つかどうか。後者の方は、ちょっと調べるのは難しそうだけど)


 昨夜は穢れが出なかったので、野営地にいる穢れは炎獄に捕らえられて既に弱っている個体だけだ。

 そうなると、もし錬金術師達の作った結界のマジックアイテムが効果を発揮しても、それで餓死するまで効果を発揮し続けるかどうかというのは分からない。

 だが、レイも出来るだけ早く穢れの一件は片付けたいと思っている以上、その辺りの検証が完全になるまでここで待っているといった真似はしたくない。


(餓死する前に結界が解除されても、すぐに別の結界のマジックアイテムを使えばいいし、そう考えれば問題はない……筈)


 半ば自分に言い聞かせるように考える。

 もし何かあっても、最悪の場合はエレーナがいるというのも大きい。

 ダスカーとブロカーズ、長との会談において、穢れの件は派閥云々を超えて協力し合わないといけないという結論になっていた。

 なら、エレーナにいざという時に出て貰うか、あるいはギルムにいる冒険者の中で穢れを倒すだけの力を持つ者を用意するといったことをすれば、その辺はどうにかなる筈だった。


「じゃあ、ダスカー様達が来るまでに朝食は食べ終えておくか。セト、何を食べたい?」

「グルルルゥ? グルゥ!」


 肉! 肉! と、そう主張するセト。

 レイもそんなセトの言葉に異論はなかったので、素直にミスティリングの中から肉料理を取り出す。

 朝ということで、そこまで重い料理ではない。

 ……朝から肉という時点で重いと思わないでもなかったが、それはあくまでもレイの……日本の常識だ。

 もっとも、レイは日本にいた時、朝であってもソーセージとか普通に食べていたし、弁当に入れた残りの肉や、前日がカレーだった場合は朝食がカレーになるのもめずらしくはなかったのだが。

 ……さすがに朝からステーキとか、そういうことはなかったが。

 そんなレイの件はともかく、この世界では……特にレイのような冒険者にしてみれば、朝食は決して軽いものとはならない。

 パンとコーヒーだけ、サラダだけ、果物だけといったものでは、腹持ち云々はともかく力が出ない。

 特にギルムの冒険者にしてみれば、モンスターと死闘を繰り広げるのも珍しくはないのに、朝食を抜いたり、軽いものでは力を思う存分発揮するといった真似はまず不可能だった。

 だからこそ、冒険者は朝からしっかりと食べる。

 それこそ日本の常識で言えば夕食に近いのではないかと思えるくらいに。

 ……それでいて、昼食や夕食もしっかりと食べるのだが。

 それでも冒険者達が太るということは基本的にない。

 それだけ激しい……命懸けの運動をしているからだろう。

 中には単純にそういう体質といった者もいるが。

 特にレイは、その典型例だろう。

 ゼパイル一門の技術の粋を使って生み出されたその身体は、それこそ大食い大会に出れば余裕で優勝出来るだけの料理を食べても、体型にほぼ影響がない。

 世の中の女が、場合によっては男がその件を知れば、ふざけるなと叫んでもおかしくないような体質をしていた。

 そんな体質を活かし、レイはセトと共に朝食を食べ……。

 最後にパンを使って皿の中にあるソースにつけて口の中に運び、街中ではなく森の中で野営をしているとは思えないような朝食が終わるのだった。


「さて、後はダスカー様達が来るのを待つだけだけど……一体、いつくるんだろうな?」

「グルルゥ?」


 分からないといった様子で喉を鳴らすセト。

 そんなセトの様子を見ながら、レイは昨夜の対のオーブでの会話を思い出す。

 エレーナからマリーナとヴィヘラには事情が説明されていたものの、何故か返事はすぐに貰えなかったのだ。

 これがマリーナだけなら、精霊魔法で回復する必要のある者がまだいたりするのでは? という思いがあったが、戦闘狂のヴィヘラもとなると疑問ではある。

 もっとも、ヴィヘラの場合は現在穢れを相手に有効な攻撃手段がないので、穢れの関係者の拠点に行くのを躊躇っているのかもしれないとは思うが。

 ただ、それでもヴィヘラなら……という思いがあったのは間違いない。


「まぁ、近いうちに返事をするって言ってたし……」

「レイ、ダスカー様達が来たぞ!」


 レイがセトと共に食後の休憩を楽しんでいると、冒険者の一人がそう呼びに来るのだった。






「えーっと……うん。いやまぁ……さっきまでお前達のことを考えていたけど、まさかダスカー様達と一緒に来るとは思わなかったな」


 ダスカー達が来たということでその出迎えに向かったレイが見たのは、何故か当然といった様子でそこにいたマリーナとヴィヘラの姿だった。

 エレーナやアーラ、そしていつもはヴィヘラと一緒にいるビューネの姿は見当たらない。

 エレーナやアーラはその立場上気軽に動けないのは分かっているので特に驚きはなかったものの、ビューネの姿もないというのはレイにとって驚きだった。


「あら? 驚かそうと思ったのに、あまり驚いてないみたいで残念ね」


 そう言いながら、マリーナは強烈なまでの女の艶を感じさせる笑みを浮かべる。

 そんなマリーナの姿に、研究者や助手、その護衛達は目を奪われていた。

 ただし、冒険者達は違う。

 これがギルムの増築工事で集まってきた冒険者達なら、あるいはマリーナの美貌に目を奪われていたかもしれない。

 しかしこの野営地にいるのは、ギルドから優秀な冒険者と認められた者達だ。

 つまりギルムの増築工事が行われる前からギルムで冒険者をしていた者達……そう、マリーナがギルドマスターをしていたのを知っている者達だ。

 それだけに、マリーナが外見には似合わないような怖さをもつ女だというのを知っており、だからこそ他の者達とは違う態度をしていたのだろう。


「いや、十分に驚いているぞ。……ダスカー様はよく許可をしたな」

「長い付き合いだもの。私のお願いくらいは聞いてくれるわ」


 あ、と。

 レイはマリーナの言葉から、何となくどうやって一緒にやって来たのかを理解する。

 多分、ダスカーの小さい頃の出来事……いわゆる、黒歴史と呼ぶべきものを使ったのだろうと。

 マリーナはダスカーが子供の頃からの付き合いだ。

 それこそまだ子供だったダスカーは、マリーナの美しさに目を奪われ、結婚して欲しいと言ったこともある。

 そのような黒歴史は、ダスカーにとって決して公にして貰いたくないものだろう。

 もしこれが、ギルムにとって大きな不利益を与えるようなことであれば、黒歴史を盾にしてもダスカーは頷かなかった。

 だが、マリーナがこうしてやって来るのはそのような不利益にはならない。

 寧ろレイが穢れの関係者の拠点に向かう時にマリーナも一緒に行くという意味では、ギルムにとって……そしてミレアーナ王国や、この世界そのものにとっても利益となることだ。

 だからこそ、ダスカーもマリーナやヴィヘラが来ることを許容したのだろう。


「それで、こうして来たってことは、穢れの関係者の拠点の時は一緒に行くってことでいいのか?」

「ええ、私は勿論構わないわ」

「私も当然一緒に行くわよ。穢れに対する攻撃手段はまだないけど、拠点に行けば何らかの手掛かりを得られるかもしれないし」


 マリーナに続いてそう言ったのは、ヴィヘラだ。

 こちらも人目を……特に男の目を奪うような刺激的な格好をしていた。

 向こう側が透けて見えるような。踊り子か娼婦が着ていてもおかしくはない薄衣を身に纏うヴィヘラ。

 手甲と足甲が、ヴィヘラがそのような職業の者ではないということを示していた。


「そうか。そうしてくれると、俺も助かる。穢れの関係者の拠点にどういう敵がいるのか、具体的にどのくらいの敵がいるのか、その辺りはまださっぱり分からないしな」

「レイ、少しいいか?」


 レイがマリーナやヴィヘラと話していると、そう声を掛けられる。

 声のした方に視線を向けると、そこにいるにはこの野営地を纏めているフラット。

 そのフラットはマリーナと目が合うと頭を下げ、改めてレイに視線を向ける。


「ダスカー様とブロカーズ様が待っているから、一緒に来てくれ」

「ダスカー様達が? 分かった。……いや、本来ならそっちを最初にするべきだったか」

「あー……それについては何も言わないでおくよ」


 言わないのではなく、言えないというのがこの場合は正しいのだろう。

 フラットの様子を見てそんな風に思ったものの、今のこの状況でそのようなことを言っても意味はないと判断して止めておく。


「じゃあ、俺はダスカー様達に会ってくる。マリーナ達は適当に野営地でも見ていてくれ」

「いや、それは普通なら俺が言うべきことじゃないか?」


 そう言うフラットだったが、言葉とは違ってそこに不満の色はない。

 フラットにしてみれば、マリーナを相手にそのようなことを言うのは難しいと自分で納得していたのだろう。

 何しろ、かつてのギルドマスターだ。

 フラットも今でこそ、こうしてギルドが優秀な冒険者だけを集めている野営地を纏めるような地位や実力を持ってはいるが、ギルムに来たばかりの頃……まだ未熟だった頃の自分についてマリーナに知られている。

 ある意味、黒歴史を知られているダスカーと似たようなものだ。

 それでも何も分からない子供の頃にやらかしたダスカーと、ギルムにやって来てからやらかしたフラットでは、受けるダメージが違うのだが。

 もっとも、受けるダメージが小さいとはいえ、それを受け入れられるかというのはまた別の話なのだが。

 また、それを抜きにしてもギルドマスターをしていたマリーナには本当に色々と世話になっている。

 それだけに、マリーナに指示をするような真似は出来れば避けたかった。


「フラットも、私が知っていた頃と比べると随分と腕が上がったみたいね」

「えっと……そうですか? マリーナさんにそう言って貰えると嬉しいです。あ、あは。あはははは」


 かつての上司……それも世話になった頭の上がらない上司が、今はただの冒険者としてこの野営地にいる。

 そんなマリーナに対し、どう接すればいいのか迷うフラット。

 普段のフラットと違うのは、離れた場所で見ている他の冒険者達にも分かるだろう。

 だが、そんなフラットを助けるような者は現在いない。

 何しろもしここで自分がフラットを助けようとした場合、今のフラットの立場に自分がなってしまうかもしれないのだから。

 だからこそ、ここはフラットに全面的に任せるのが最善の選択肢だった。

 ……ある意味、フラットを生贄に差し出したと表現されてもおかしくはないのだが。

 だが、この野営地を任されているフラットは優秀だし、性格も悪くないものの、だからといって自分がフラットの代わりになりたいと思う者はいない。


(マリーナが嬉しそうにしているし、その辺は別にいいか)


 レイはマリーナの様子を見て、何か言おうと思うのをやめておく。

 マリーナは無理矢理ギルドマスターの座を追われた訳ではなく、それどころか半ば無理矢理ギルドマスターをワーカーに任せ、自分は冒険者になったのだ。

 それでも、やはりこうしてかつて世話を焼いたことがある者と話が出来るというのは、嬉しいのだろう。

 あるいは今日ここにこうして来たのは、結界のマジックアイテムがきちんと動くかどうかを見る為であると同時に、ここにいる冒険者達と会いたいからというのもあったのかもしれない。

 なら、別に邪魔をすることはないだろうと、レイはダスカーに会いに行くのだった。

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