3212話

 空を飛ぶセトの背の上で、レイはギルムにある領主の館が見えてきたことに安堵すると同時に、今更ながらそう言えばボブは結局呼ばれなかったなと思う。

 ニールセンの乱入によって、ボブのことはすっかり忘れ去られたのだろう。

 もっとも、今日はボブの出番はなかったが、今後また同じようなことがあれば恐らく呼ばれることになるだろうが。


「領主の館に直接降りられるようになったというのは、助かったよな」

「そういうものなの? 私としては、普通にギルムに入って色々と料理を買ったりした方がいいと思うけど」


 レイの呟きが聞こえたのか、ニールセンはそれが当然といった様子で言う。

 ニールセンにしてみれば、直接領主の館に降りるといった真似をすれば、屋台に寄ったりすることなく、そのままトレントの森に戻ることになりそうなので、あまり嬉しくないのだろう。


「屋台はまた今度だな。野営地の方にも顔を出して、明日の件を話しておく必要があるし。……セト、頼む」


 レイがニールセンと話している間にも、当然だがセトは翼を羽ばたかせて空を飛んでいた。

 そんなセトによって、領主の館はすぐに近付いてくる。

 セトの飛行速度を考えれば、トレントの森からギルムまでは数分程度だ。

 普通に地上を進めば、トレントの森までそれなりに時間が掛かり、しかも森の中に入ってからは道なき道を進むので、結構な時間が必要だった。

 しかし、セトが飛ぶとあっという間。

 この移動速度の違いは、レイにとっては既に慣れているものの、ダスカーやブロカーズにしてみれば非常に羨ましいものだろう。

 もっとも、だからといってセトのような高ランクモンスターをそう簡単にテイム出来る訳でもなく、まさかレイを運び屋として使う訳にもいかなかったが。

 勿論、何らかの非常時……モンスターのスタンピードが起きたり、伝染病が起きたり、どこかの他国が攻めて来たりといった場合に、ダスカーがセトの移動速度に期待して頼むといったことはあるかもしれないし、そうなればレイも素直に引き受けるだろう。

 しかし、そのような緊急事態でもない限り、レイに気軽に頼めないというのは、ダスカーも十分に理解している筈だった。

 そうなると、グリフォン程ではないにしろ、空を飛ぶモンスターを召喚出来たり、テイムしている相手を部下にするしかない。

 ……それが簡単にできるのなら、難しい問題ではないのだが。

 そんな風にレイが考えていると、領主の館の上に到着したセトが地上に向かって降下していく。


「グルルルルゥ!」


 鳴き声を上げたのは、セト籠の中にいる面々にこれから地面にセト籠を下ろすというのを知らせるのと、領主の館にいる面々に自分達の存在を教える為だろう。

 後者に関しては、わざわざそのような真似をしなくても空を見張っていた兵士や騎士が飛んで来るセトの存在について察知していたのだが。

 セト籠の迷彩能力のおかげで、真下からセトを見つけることは出来なくても、斜め下からであればセトを見つけることは出来る。

 そうしてセトは、以前にも着地した領主の館の使っていない場所にセト籠を置き、自分は一度上空に戻ってから、再び地面に着地した。


「短い旅路だったな」

「そうね。私が穢れの関係者の拠点に向かう時もこんなに素早く移動出来ればよかったんだけど」


 トレントの森から穢れの関係者の拠点の近くにある妖精郷……降り注ぐ春風が長をしている妖精郷までの移動はそれなりに時間が掛かっている。

 もしセトがいれば、その移動時間は半分……あるいはもっと縮まっていた可能性がある。

 ニールセンもそれが分かっているので、こうして不満を口にしているのだろう。


「セトがいないと、穢れが現れた時にどうしようもなかったんだから仕方がないだろう。それよりドラゴンローブの中に入っておけ」


 近付いてくる騎士や兵士を見て、レイはニールセンをドラゴンローブの中に入れる。

 一応今回の件で妖精や穢れについて知っている者はそれなりに増えているのだが、具体的にどのくらいの者達がその辺りについて知っているのかは分からない。

 そうである以上、ここでニールセンの姿を他人に見せるといったようなことはしない方がいいと判断したのだ。


「そう言えば、ドッティだったか。あのハーピーは妖精郷に置いてきたけど、大丈夫なのか?」


 セト籠の中から飛び出してきたイエロを見ながら、レイはドラゴンローブの中にいるニールセンに尋ねる。


「大丈夫でしょ。ドッティは話すことは出来ないけど、こっちの言葉は理解出来ているみたいだったし、他の妖精達との関係も見た感じ悪くなかったし」


 あっさりとそう告げるニールセンに、レイは納得する。

 実際、妖精郷にいた他の妖精達とドッティが楽しそうに飛んでいたのを、自分の目で見ているからこその判断だろう。


(問題なのは、ピクシーウルフとドッティが上手くやれるかどうかだな)


 妖精達とドッティが上手くやれているのは知っている。

 しかし、ピクシーウルフとはどうなのか。

 残念ながら、その辺はレイにも分からない。


(野営地で説明をしたら、一度妖精郷に戻ってみた方がいいのかもしれないな。そうなれば、ドッティとピクシーウルフが上手くやってるかどうか分かるだろうし)


 これからの予定について考えながら、レイはセト籠から降りてきたダスカーに向かって近付いていく。


「ダスカー様、セト籠はどうでした」

「快適だった。もっと乗っていてもいいと思ったくらいだな」

「セトの飛行速度を考えると、そうなりますね。……護衛の者達の羨ましそうな目が忘れられませんけど」


 結局セト籠に乗ってきたのは、ダスカー、ブロカーズ、イスナ、そして体力には自信のない文官達となった。

 他の護衛の面々は、今頃トレントの森の中を歩いているだろう。

 もしかしたら、不満を口にしながら歩いているかもしれない。

 ダスカー達だけがセト籠にのって優雅な空の旅――数分だが――をしているのに、自分達は必死に歩いてトレントの森の中を移動しているのだから、それに不満を持つなという方が無理だった。

 とはいえ、まさかセト籠の中に寿司詰め状態にして運んで来る訳にもいかず、結局はそういうことになるのは仕方がなかった。


「そうだな。戻ってきたら酒の一杯でも出してやるよ。それより、レイはこれからどうする? すぐにトレントの森に戻るのか?」

「そうなります。オイゲンやゴーシュ達に、明日のことを教えておく必要がありますし」

「イエロはどうする? てっきりレイが連れていくと思っていたんだが。まさか、今のギルムの状況でイエロを自由にさせる訳にもいかないし」

「それは……」


 その状況を作り出したのが自分である為、レイは言葉に詰まる。

 クリスタルドラゴンの件については、既に結構時間が経っているにも関わらず、未だに多くの者が情報を集めたり、何とか少しでも素材を入手出来ないかと画策していた。


(そう言えば、ギルドの倉庫にもそろそろ顔を出した方がいいよな。あれから結構時間が経ってるし)


 そうも思うも、ギルドに行けば自分がレイであるというのを隠すのが難しくなってしまう。

 雪が積もって出歩く人がもう少し少なくなるまで我慢しようと。そんな風に判断する。


「で、イエロですか。……まぁ、セトならここからマリーナの家まで向かうのは問題ないですし、何ならニールセンが見つけた穢れの拠点を調べる件についての話をするのもいいかもしれませんね。今、家にいればですが」


 増築工事の仕事はもう大半が休みに入っているので、回復魔法を担当しているマリーナも今は治療院ではなく家にいる筈だった。

 ヴィヘラとビューネがどうなのかは、レイにも分からないが、いれば幸運だったと思っておいた方がいいだろう。


「なら、頼めるか?」

「分かりました。……出来れば、野営地の方に出来るだけ早く明日の件を知らせておきたかったんですけどね」


 錬金術師達が作ったマジックアイテムのテストをする為に、炎獄を解除する。

 当然だが穢れの研究をしているオイゲン達が、それを素直に受け入れられるかと言えば、それは難しいだろう。

 とはいえ、いつ新たな穢れが現れるか分からず、それまでずっと錬金術師達を……そして依頼をしたダスカーや、穢れの件を解決する為にやって来たブロカーズ達も、野営地で寝泊まりさせる訳にはいかない。

 ただでさえ、ダスカーは書類仕事があるのだから尚更だろう。


「少し遅れるくらいなら構わんだろう。……最悪、俺が領主として命令をするから安心しろ」

「いや、それって安心出来るんですか?」


 思わず突っ込むレイだったが、実際に今の状況を思えばそうした方が手っ取り早いのも事実。

 ただし、研究者の中には国王派や貴族派と繋がりがある者もいる。

 そのような者達に、ダスカーが領主として命令をしても、素直に納得するかどうかレイにも分からない。

 そもそも研究者というのは、研究対象に固執する。

 その研究対象が失われるかもしれないのだから、素直に納得出来る筈もない。

 レイにしてみれば、穢れは出来るだけ早く消滅してくれた方が助かるのだが。


「どうなるのかは分からんが、野営地にいる穢れで試すのが最善の手段なのは間違いない。それに穢れはまた現れるのだろうから、少しは我慢して貰うのは構わんだろう」


 ダスカーの言葉に、そういうものか? と思ったレイだったが、ダスカーがそう言うのならと自分を納得させる。


「じゃあ、取りあえず俺はマリーナの家に行きますね」

「ああ、助かった」


 ダスカーがレイに感謝の言葉を口にすると、ブロカーズとイスナもレイに近付いてくる。

 レイとダスカーの様子から、レイがこの場を立ち去ろうとしているのを察したのだろう。


「レイ、君のお陰で色々と未知の体験が出来た。また、穢れについての情報もそれなりに集まった。……妖精郷の公開に関しては、まだはっきりとしたことは分からないが、それでもある程度話をすることが出来たのは助かる」

「レイ殿、色々とありがとうございます」


 ブロカーズとイスナがそれぞれに感謝の言葉を口にする。

 イスナは初めて会った時とは違い、しっかりとレイに敬意を以て接していた。

 今回の件において、レイがどれだけの存在なのかを理解したというのが大きいのだろう。

 あるいはギルムでレイの評判を聞いて、敵に回すような真似は出来るだけ避けたいと思ったのか。

 その辺の理由はレイにも分からなかったが、相手が友好的に接してくるのなら自分も友好的に接するのがレイだ。


「気にするな。穢れの件が解決するまではギルムにいるんだろうが、王都とは勝手も違うだろうから気を付けろよ」


 忠告するレイだったが、実際にはレイは未だにミレアーナ王国の王都に行った事はない。

 興味がない訳ではないが、タイミングが合わなかったのだ。

 もっとも、レイが王都に行けば行ったで、恐らく……いや、ほぼ確実に騒動が起きる。

 王都にいる貴族や大きな商会の商人達、それ以外にも色々と存在するだろう相手。

 そのような相手にしてみれば、レイが王都にいると知れば確実に接触しようとするだろう。

 そして自分の立場の方が上だと考え、レイに向かって高圧的に接し、それにレイが反発して……といったようなことになるのは多くの者にしてみれば、予想するのは難しい話ではないだろう。


「そうですね。……穢れの件が早く解決しても、春まではギルムを出ることは無理でしょうし」


 雪が降ってる中でギルムから王都まで馬車で移動するのは、無理……とはいかないが、だからといって強行するようなものではない。

 雪で遭難したり、冬特有のモンスターに遭遇したり、それ以外にも色々とトラブルが予想される。

 それこそセトのような存在でもいなければ、そして冬に高度百mの位置を飛んでいても問題ないような何らかの準備がなければ、雪が降ってる中で移動するのは難しいだろう。


「冬の間はどこで寝泊まりするんだ?」

「ダスカー殿にお世話になる予定です。……穢れの件で、いつ急に動く必要があるか分かりませんし」


 イスナの言葉はレイを納得させるのに十分なものだった。

 ブロカーズ達は穢れの件でギルムに来ている以上、穢れの件で何か動く必要があるとなると、ダスカー達と共にすぐ動く必要がある。

 そんな中、領主の館ではなく宿に泊まっていた場合、緊急の連絡等があった時に知らせるのが遅くなってしまう。

 その遅れが、もしかしたら致命的なことになるかもしれないとなれば、やはり何かあった時にすぐ連絡出来るような場所にいた方がいいのは間違いなかった。


「そうか。なら、穢れの件で何かあった時でも、すぐに動けるのは間違いないな。……もっとも、今の状況を考えるとすぐにどうこうってことはないと思うけど」

「……レイ殿が穢れの関係者の拠点に向かえば、間違いなく大きな騒動になると思いますか?」

「それはそれ、これはこれ。……いやまぁ、俺としても出来ればこの件は可能な限り早く終わらせたいしな」


 そう言うと、レイは獰猛な笑みを浮かべるのだった。

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