3207話
「え? これは……」
目の前の光景に、レイの口からそんな声が漏れる。
ここは妖精郷の中でも奥まった場所にある、長のいる場所。
レイはこれまでに何度もここに来ているので、慣れたものだった。
しかし、そこには人間用のテーブルと椅子がしっかりと用意されていた。
ここには何度も来ているレイにとっても、初めて見る光景。
「ダスカー殿やブロカーズ殿のような方が来るということで、用意しました。もっとも、ただのテーブルと椅子ですが」
それは、妖精郷で用意されたテーブルや椅子なので、もしかしたら何らかのマジックアイテムではないのか。
そのように勘違いするかもしれないと思い、前もって言ったのだろう。
「これは……いや、しかし、かなりの品質のような……」
普段王都で暮らしているブロカーズは、それだけに貴族……場合によっては王族と会うこともある。
そのような時に使う家具と比べても、目の前にあるテーブルや椅子は決して見劣りしていない。
それこそ出す場所に出せば、多くの者達が欲しがるだけの物なのは間違いなかった。
王都に住んでいるブロカーズと違い、王都に行く機会はあまりないダスカーだが、そんなダスカーの目から見ても用意されていたテーブルや椅子は素晴らしい。
ところどころに精緻な細工が施されており、それでいながらその細工は使うのに邪魔になるようなことはない。
ギルムという、ミレアーナ王国唯一の辺境にある街の領主として、ダスカーもまた様々な高級品に触れることが多い。
そんなダスカーの目で見ても、ブロカーズと同じく素晴らしい家具に見える。
「ブロカーズ殿の言う通り、これは素晴らしい。……長、妖精のマジックアイテムは作るのに時間が掛かるという話だったが、このような家具の類はどうなのだろう? もしそれなりに数を作れるのなら、取引を行いたいと思うのだが」
「どうでしょう。これは私が作ったのではなく、この妖精郷にいる何人かが趣味で作った物ですので。……ともあれ、商売に関してはまた後日ということにしましょう。今はまず、穢れについての話をする必要があるかと」
長の言葉に、ダスカーとブロカーズは自分達が何の為にここにいたのかを思い出す。
「すまない、長。このテーブルも椅子も素晴らしい代物だったので、つい先走ってしまった」
ダスカーが謝罪の言葉を口にし、ブロカーズもそれに続く。
「いえ、気にしないで下さい。それよりも穢れについての話をしましょう。どうぞ、座って下さい」
そう言い、長はダスカーとブローカーズに対し椅子に座るように促す。
テーブルは一つ、そして椅子は三つ。
だが、長は他の妖精よりも大きいとはいえ、椅子に座れるような大きさではない。
なら、もう一つの椅子は誰が座るのか。
その場にいる者達が疑問に思っていると……
「レイ殿もどうぞ」
「……え? 俺?」
長に座るように勧められたのは、レイ。
レイはまさか自分がこのような場で主役になるとは思ってもおらず、戸惑う。
「レイ、穢れの件はお前も関わっているだろう。……いや、寧ろレイ以上に穢れに関わってる者はいないと言ってもいい。そんなお前を抜きにして、話が出来ると思うか? 座れ」
ダスカーがレイに向かってそう言う。
既に建前でしかないものの、レイはダスカーに雇われているということになっている。
そのダスカーから座るようにと言われれば、レイとしてもそれを断るような真似は出来ない。
「分かりました」
不承不承……という訳でもないが、自分が座るように促されているのなら、別に逆らう必要はないだろうと判断し、椅子に座る。
ダスカーやブロカーズが驚いた椅子だけに、若干緊張はあったが。
不思議なことに、椅子に座っても自然体でいられる。
普通なら椅子に座ったことによって、腰や背中といった部位が椅子に当たるのだが、この椅子は不思議なことにそういうのが殆ど感じられない。
(人体工学……だったか?)
日本にいる時に、そのようなもので身体に負担を掛けない椅子というのを何かで見た覚えがある。
あるいはこの椅子もそれと似たようなものなのかもしれない。
そんな風に思いつつ、確かにこのような椅子が買えるのなら、是非とも欲しいと思う者がいてもおかしくはないと思える。
(これ、出来れば幾つか買えないか?)
レイが椅子を使う場面というのは、そう多くはない。
多くないが、決して使わない訳でもない。
例えば、今は妖精郷で寝泊まりをしているものの、レイの拠点と呼ぶべき場所はギルムにあるマリーナの家だ。
そのマリーナの家において、食事をする時は基本的に外でする。
セトやイエロがいるので、そのようなことになるのは当然なのだが、その時にはテーブルや椅子が使われる。
であれば、現在レイが座っている椅子やテーブルを持ち込めば、今よりもっと快適に食事が出来るのではないか。
そんな風にレイは思ったのだが、すぐに今はそんなことを考えている場合ではないと判断する。
「さて、穢れについてですが……ブロカーズ殿は穢れについてはもう聞いていますか?」
「うむ。その……悪い魔力であるとは」
少し戸惑ったように言うブロカーズ。
悪い魔力という言葉に、素直に納得するようなことが出来なかったのだろう。
だが、そんなブロカーズに対し、長は素直に頷く。
「その認識で間違っていません。穢れというのは悪い魔力であると言われています」
「その悪い魔力が……この大陸を崩壊させるのか?」
「はい、そうなります。もっとも妖精に伝わっていた情報は、あくまでも穢れが最悪の場合大陸を滅ぼすというものであって、穢れの関係者のような存在が出てくるとは完全に予想外でしたが」
長にしてみれば、穢れが現れるのはともかく、それを実際に行う穢れの関係者のような存在がいるとは、思っていなかったのだろう。
「それだ。穢れによって大陸が消滅したら、穢れの関係者も死ぬ筈だろう? なのに、何故穢れの関係者は行動しているのだ?」
ダスカーのその問いは、座っていない者達……護衛達を含めた者達にとっても同感だった。
普通に考えれば、この大陸が破滅したら穢れの関係者達も生きていけない。
破滅から生き残ることは出来るかもしれないが、生き残った後でどう生きていくのかという問題があった。
食料をどうするかというのが、最初に思い浮かべることだろう。
穢れの関係者達だけで農業を行い、狩りをして食料を用意するのか。
だが、この大陸が破滅した状態で農業が出来る場所が残っているのか、狩りの獲物となる動物やモンスターがいるのか。
そう考えると、穢れの関係者達が何を考えているのか理解出来ない者がいてもおかしくはない。
「もしかしたら、穢れの関係者は元から大陸の破滅後に生きようと思ってないのかもしれませんね」
レイが何となく思いつきで言うと、長とダスカー、ブロカーズ……だけではなく、周囲にいる護衛達からも視線を向けられる。
「どういうことだ?」
「いわゆる、破滅願望という奴です。最初からこれ以上生きていたくなくて、死のうとして穢れの関係者になったんじゃないかと」
「死にたいのなら、自殺でも何でもすればいいものを。自分達の同類を巻き込むだけならまだしも、無関係の相手を巻き込んで盛大に自殺するというのは、厄介な真似を」
レイの言葉に、ダスカーは苛立たしげな様子で呟く。
それを口にしたのはダスカーだけだったが、他の者達もその言葉には同意していた。
「えっと、あくまでも思いつきですよ? 実際に穢れの関係者が何を思ってこういう真似をしてるのかは分かりませんし。もしかしたら、大陸が破滅した後でも自分達だけは生きていく何らかの手段を用意してるのかもしれませんし」
そう言いはするものの、人が生きていくというだけで色々なことをする必要がある。
穢れの関係者が具体的にどのくらいの規模なのかはレイにも分からないが、それでも百人やそこらで完全に自給自足が出来るとは思えなかった。
そもそも大陸が破滅すれば、自然環境にも何らかの影響を与える可能性が高いと思えるのだから、なおさら完全な自給自足は難しいだろう。
「とにかく、そのような未来を迎えない為には穢れの関係者を一掃する必要がある訳か。……ブロカーズ殿、その辺はどうなっているのだろう?」
「人を動かす用意はある。だが、問題なのはその穢れの関係者がどこにいるのか分からないということだな。それにどのくらいの規模なのか分からないのも痛い」
「その辺は、ニールセンが戻ってくれば、もしかしたら何らかの手掛かりを持ってくるかもしれないと思う。手掛かりがなくても、ニールセンの行った場所が穢れの関係者の拠点であれば、俺がそこを襲撃して制圧すればいいし」
実際にはもうその穢れの関係者の拠点と思しき場所は消滅している。
ただし、その代わりにもっと重要そうな場所を発見しているのだが。
だが、レイはそれを知らないので、あくまでも現在入手している情報からの話から判断するしかない。
「ふむ、穢れについての情報が何もないというのがそもそも痛いな。……ブロカーズ殿、王都の方にもそのような情報は残っていなかったのか?」
「一応調べてみたが、特になかったな。……勿論、私が調べた限りではの話である以上、もしかしたら私が知らない場所に何らかの情報がある可能性は否定出来ないが」
そう言うブロカーズだったが、国王から直々に命じられた以上、調べられる限りの情報は調べてきている。
それでも調べることが出来なかったとなると、それこそ他人に見せることは出来ないような何らかの情報ということになるだろう。
そのような情報は当然ながらそう簡単に見られるものではなく、ブロカーズにも手が出せない。
「うーん、そうなると結局情報共有をしようにも、共有する情報がなくなってしまうな」
レイの言葉に、重い雰囲気が周囲に漂う。
そもそも穢れについて伝わっている情報そのものが、そんなに多くはないのだ。
しかもそれは、伝承のような形で言い伝えられており、どこまで本当なのか分からないというのも大きい。
(手紙を書くということは出来たんだから、本……とまではいかないにしろ、文字にして残すとか、そういう真似をしてもいいと思うんだけどな。一体何でだ?)
疑問を抱くレイだったが、今更そのようなことを言ったところで意味はないだろうと判断する。
「そうなると、穢れについての情報共有はともかく、穢れを相手にどういう風に対処をするのかといったことを決めるとか?」
「レイ殿の言葉に賛成します。……今はまだトレントの森にしか穢れは出没していませんが、それでもレイ殿だけしか対処は出来ていません。そして対処出来るのがレイ殿だけな為に、レイ殿には強い負担を掛けています。出来れば、レイ殿以外の戦力を用意して欲しいのですが」
「そう言われても、レイ以外に現状で対処出来るのはエレーナ殿だけとなる。しかも、聞いた話によれば、その際にトレントの森には大きな被害が出るとか」
「エレーナ殿……そうなると、貴族派に話を通す必要がありますね」
ダスカーの言葉にブロカーズはそう呟く。
実際、ブロカーズが口にしている内容はそう間違ってはいない。
エレーナは戦闘要員としてギルムにいる訳ではない。
表向きは、貴族派の貴族がギルムの増築工事を妨害しないようにする為にここにいるのだ。
実際には単純にレイと一緒にいたいだけなのだが。
もっとも、そういう意味では現在はレイが妖精郷で寝泊まりをしているので、エレーナにとって不満な面もあるのだろう。
それが表に出るようなことがないのは幸いなのだろう。
「その辺はそちらにお任せするとして……レイ殿から聞いた、結界のマジックアイテムについてはどうなのでしょう? レイ殿のお陰で穢れは閉じ込めれば餓死のように死ぬというのが発見されています。なら、別にレイ殿のようにその場で倒さずとも、結界のマジックアイテムで閉じ込めればいいのでは?」
長の疑問に、ダスカーは難しい表情を浮かべる。
今の状況ではそれしかないというのは、長も知っていた。
だが、それでも素直に頷くことが出来ないのは、結界のマジックアイテムがまだ完全に完成した訳ではないからだろう。
「一応、試作品は出来ている。幸い、もう冬になったから木の伐採も終わって忙しい仕事もなくなったし、何よりレイからの賞品が魅力的だからな。多くの錬金術師達が必死になって研究をしている」
「つまり、まだ使い物に……」
長は言葉を途中で止め、不意に視線をとある方向に向ける。
その行動に疑問を抱いた他の者達もそちらに視線を向け……
「ただいま戻りましたぁっ!」
イエロに乗ったニールセンが、ハーピーのドッティを引き連れながら、そう叫びつつ姿を現したのだった。
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