3162話
「レイ、ちょっと起きて、レイ!」
夜、マジックテントで眠っていたレイは、不意にそんな声で目を覚ます。
「何だよ、ニールセン……ん?」
面倒臭そうにニールセンの名前を口にしたレイだったが、すぐに疑問を感じる。
考えてみれば、現在ニールセンは自分の側にはいなかったのでは、と。
これが普段の寝起きであれば、三十分くらいは寝惚けているのだが、今は緊急事態だとレイの本能が判断したのだろう。
いつものように寝惚けることはなく、すぐ我に返って周囲を確認する。
するとベッドの近くには妖精が一人、空を飛んでいた。
それだけならニールセンと間違ってもいいのだが、レイはそれをすぐに却下する。
妖精は妖精でも、ニールセンではないだろうと。
そして改めてよく見てみれば、そこにいるのは妖精ではあってもニールセンではない。
「誰だ? いや、見覚えがあるな」
最初は一瞬警戒したが、よく見てみればその妖精は以前ニールセンと一緒にいる時に見たことがある妖精だった。
生憎と名前までは分からないが、それでも今の状況を思えば敵でないのは間違いない。
そもそも敵であれば、わざわざレイを起こすような真似はしないだろう。
妖精らしい悪戯でレイを起こしたという可能性も否定出来ない……いや、妖精の性格を考えるとそのような真似をしてもおかしくはなかったものの、それでも長から怒られるかもしれないということを考えれば、そのような真似をするとは思えない。
この妖精郷の妖精達は、長を怒らせることの怖さを十分に理解しているのだから。
それでもニールセンのように、悪戯をして長を怒らせるといったようなことをする者もいるのだが、それは少数派だ。
「レイ、長が呼んでるわよ。私は長にレイを呼んでくるように言われたの」
「長が? 一体何で……穢れか!?」
数秒程、妖精が何故長が自分を呼んでいるのか分からなかったレイだったが、すぐに考えを改める。
自分を呼ぶ……それも真夜中に呼ぶとなれば、それは穢れに関係する何かに決まっているだろうと。
「分からないわよ。私はただ呼んで来るように言われただけなんだから。それより、しっかりと話は伝えたから。後はそっちでやってちょうだいよ。いい? これでレイが長のところにいかなかったら、私が怒られるんだから!」
念を押すようにそう言うと、妖精はレイの前から飛び去る。
マジックテントの中から出ていったのだろうと判断すると、レイはすぐに着替え始めた。
長が呼んでいる以上、出来るだけ早く行った方がいいと思った為だ。
その為、素早く着替え終わるとマジックテントから出る。
「グルゥ!」
妖精がマジックテントの中に入っていった時から、セトも何となく状況は理解していたのだろう。
レイがマジックテントから出ると、早く行こうと喉を鳴らす。
マジックテントをミスティリングに収納し、焚き火に視線を向ける。
寝る前の焚き火だけに、既に火は消えていた。
「これなら後片付けはいらないな。……よし、セト。行くか」
そう言うと、レイはセトの背に乗って妖精郷の中を走る。
夜中で妖精達も木の中で眠っている者が多いのだろう。
夜目の利くレイでも、妖精郷の中を飛んでいる妖精の姿はあまり確認出来ない。
それは逆に言えば、まだ数人程度は空を飛んでいる妖精がいるということなのだが。
(妖精がこの時間に夜遊びをするとか、一体何がどうなってるんだろうな。いやまぁ、それはそれで構わないとは思うけど)
ギルムにおいても、夜遊びをする者はいる。
特に酒場や娼館といった場所は、夜が本番なのだ。
また、貴族がパーティをする時も、当然ながら夜遅くまで行われることになる。
だが……そういうギルムの住人とは違う妖精でも、夜遊びをしているというのは、レイにとっては意外だった。
そもそも、この妖精郷で一体どういうことをして夜に遊ぶのか。
(星を見るとか? いや、日本とかならともかく、ギルムで夜に星を見るのが娯楽になったりするか?)
レイは思いついた考えをすぐに否定する。
日本でなら、それこそプラネタリウムとかそういうのもあるし、田舎であればかなり綺麗に星が見えるのは、レイが自分の経験から十分に知っていた。
何しろレイが住んでいたのは東北の田舎で、それこそすぐ近くに山や川があるような場所なのだから。
しかし、そのような場所で育ったレイが、星を見ることに喜びを見出していたかと言われれば……それは否だ。
もし天体観測を趣味にしている者が聞けば、なんて勿体ないと思ってもおかしくはないのだが、その辺はやはり個人の趣味嗜好によるものだろう。
(妖精と星……ある意味では似合いそうな組み合わせだと、実際に妖精を知る前なら思っただろうけど)
どちらも幻想的な存在と思えるのは間違いないが、実際の妖精を知ってしまうと、意外に……いや、かなり俗物なのだというのをしみじみと感じてしまう。
そんな妖精と星というのは、今のレイにとってそこまで似合うような存在ではないと思うようになっていた。
もっとも、妖精が……ニールセン辺りはレイがそんなことを考えていると知ったら、間違いなく怒るだろうが。
今頃、ニールセンはどうしているのだろうと考えていると、やがてセトの走る速度が遅くなる。
「グルゥ!」
到着したよ! とセトが喉を鳴らすのを聞きながら、レイはその背から降りる。
すると、すぐに長が姿を現す。
「レイ殿、夜遅くに申し訳ありません」
「いや、気にするな。こうして長が俺を呼んだということは、穢れが現れたんだろう? それも、野営地に」
野営地と断言したのは、穢れが姿を現すのは基本的に人のいる場所だけであり、そして現状トレントの森で人が集まっているのは野営地だけだから。
……実際には、生誕の塔の護衛として誰か怪しい者がいないかどうかをトレントの森の中で見張っていたりするので、そちらに出たという可能性もある。
穢れは人のいる場所に転移してくるが、必ずしも人の多い場所に転移してくる訳ではないというのは、以前湖にいる時に野営地にいる者達ではなく、恋人同士が逢い引きをしている時に襲われたという点からも明らかだ。
それでもやはり一番襲撃の可能性が高いのは野営地だというのがレイの予想であり……
「はい。レイ殿の仰る通り、野営地に穢れの反応がありました。以前も夜襲はありましたが、まさか再度夜襲をするとは……」
「それはそんなにおかしくないだろう。続けて夜襲をするのなら混乱することもあるかもしれない。けど、今回の夜襲は前回の夜襲があってから、ある程度時間が経っている。向こうもこっちが警戒が緩んだと、そう思ったのかもしれない」
実際に穢れの関係者がどのように考えているのかというのは、生憎とレイにも分からない。
だが、穢れの関係者であっても人である以上、そのくらいのことを考えついてもおかしくはなかった。
「なるほど、今回起こっているのはその可能性が高いですね。とにかく、まずは……」
「ああ、ここで話している間にも穢れとの戦いは行われている筈だ。なら、まずはそっちを片付けるのが先決だな。……セト」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは任せてと喉を鳴らす。
そんなセトの様子を見るレイには、特に焦燥感の類はない。
穢れは触れると死ぬ、もしくはどんなに幸運でも触れた場所を切断して助かるといった手段しかない厄介な存在だ。
それでも穢れはそこまで早く移動出来ないし、触れると非常に厄介だが、それはつまり触れなければ問題はない。
その辺りについては、野営地にいる冒険者達も十分に理解している筈だ。
だとすれば、最初に奇襲……穢れが転移してきたことに気が付かず、攻撃を受けるといったようなことでもない限り、対処するのは難しい話ではない。
そして野営地にいる冒険者は、ギルドが優秀だと判断する冒険者達なのだ。
奇襲をされても冷静に対処出来る可能性は間違いなかった。
レイとしては、それよりもオイゲンを始めとした野営地で寝泊まりをしている研究者の護衛達と妙な軋轢が起きていないかという方を心配してしまう。
野営地にレイがいる時は、護衛達の大半がレイと衝突するのは避けた方がいいと判断して、冒険者達とそれなりに友好的にやっていた。……何人かの護衛は、レイに敵意の視線を向けていたが。
しかし、ニールセンが旅立った影響で現在レイの拠点は妖精郷となっている。
同じトレントの森の中ではあるが、そもそもトレントの森はかなりの広さを持つ。
そうである以上、野営地の者達にしてみればレイは自分達の側にいないと考えてもおかしくはない。
それでも少し知恵が回るのなら、今はレイがいなくてもいずれレイが戻ってくる可能性があるといったように考えるだろう。
しかし、もしそのような知恵が働かない者の場合……野営地の冒険者と正面からぶつかるような真似をしてもおかしくはない。
研究者の護衛としてやって来た以上、その研究者達を危険に晒すような行為をするとはレイも思っていなかったが、それでもやりかねないと思うのは、自分に敵意の視線を向けてくる護衛達の存在があるのだろう。
「取りあえず、早く行くとしよう。大丈夫だとは思うけど、出来るだけ早く到着した方がいいだろうし」
「お気を付けて」
呟くレイに、長は短くそれだけを言う。
その言葉に頷くと、レイはセトに合図を送るのだった。
妖精郷を出てから、数分。
妖精郷を走って出ると、続けて霧の空間も走り抜け、そこから出ると翼を羽ばたかせたのだが、それからすぐ野営地の上空に到着したのだ。
「どうやら結構な騒動にはなってるけど、それでも致命傷といった感じではないみたいだな」
上空から地上の様子を見たレイの口から、そんな呟きが漏れる。
地上には幾つかの焚き火があり、月明かりもある状態であれば、夜目の利くレイにとっては十分に様子を確認出来た。
「グルルゥ?」
レイの呟きを聞いたセトが、どうするの? と喉を鳴らす。
地上で騒動が起きているのは間違いないし、現状ではレイしかそれに対処出来ない。
それに地上にいる相手は敵ではなく味方である以上、このままにするといったことをする訳にはいかなかった。
「行くぞ。多分大丈夫だとは思うけど、もし穢れに対処出来ない奴がいたら、セトが穢れを集めてくれ」
穢れの習性の一つに、自分を攻撃してきた相手を敵と判断して攻撃するというものがある。
そのような習性がある以上、穢れを一纏めにするのはそう難しい話ではない。
実際に今まで何度も同じことをしているので、経験も十分にある。
少しだけ不安だったのは、これが夜襲だということだろう。
以前にも夜襲はあったが、これは二度目だ。
そうである以上、野営地にいる者達が穢れの夜襲への対処に慣れたかと言われると、それば微妙なところだろう。
そんな訳で、レイはすぐセトに地上に降りるように言う。
セトも、野営地にいる冒険者達からは可愛がって貰っていたので、レイの言葉に従ってすぐ地上に向かって降下していった。
「セト、鳴き声を上げろ。夜だし、地上では俺達に気が付いていない者も多い筈だ。……ただし、あまり強く鳴きすぎると、穢れから逃げてる奴が動きを止めてしまいかねない。その辺を上手く調整してくれ」
「グルゥ!? ……グルルルルルルルルゥ!」
レイの無茶な要求に驚き、戸惑ったものの、それでもセトは地上にいる者達に自分とレイの存在を知らしめるべく、大きく喉を鳴らす。
セトの雄叫びは野営地一帯に響き渡り、レイの予想通り地上にいた者達は声の聞こえてきた方向……空を見上げ、多少なりとも夜目の利く者はそこにセトの姿を発見する。
これが日中なら、全員が空を見上げてすぐにセトを見つけることが出来ただろうが……今は夜、それも真夜中である以上、セトの姿を確認出来るのが少数であるのも、仕方のないことだった。
それでも、セトの姿を確認出来た者達はその存在について夜目の利かない者達にも説明し、セトが……そしてレイがやって来たという情報は急速に広がっていく。
「よし、セト。地上に降りてくれ。セトなら大丈夫だとは思うけど、くれぐれも穢れに触れないようにな」
そんなレイの言葉にセトは任せてと頷く。
レイと一緒に行動しているのだから、セトも当然ながら穢れにどう対処すればいいのかは十分に理解している。
何しろ今まで穢れを集めてレイの魔法で倒すといったことも何度か行っているのだ。
そうである以上、今更穢れを相手にどうにかなるといったようなつもりは、全くなかった。
そうして、レイは上空を見上げている者達や、穢れから逃げている相手を見ながらセトに乗って地上に降りていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます