3157話
「さて……」
そう言いながら、レイはテーブルの上を見る。
既にそこに朝食として出された料理の数々はなく、現在あるのは紅茶だけだ。
ビューネは離れた場所でセトやイエロと遊んでいるが、それ以外の面々はテーブルで食後のお茶を楽しんでいた。
(食後のお茶と言われれば、緑茶とか玄米茶とか、そういうのを思い浮かべるけど、紅茶は……あ、でもお茶の葉ってのは基本的に同じで、処理の違いによってその辺が変わるって話だったな。だとすれば、緑茶とか玄米茶も飲める……いや、玄米茶ってくらいなんだから、玄米、つまり米なんだよな。なら、玄米茶はともかく、緑茶なら……)
そんな風に思いつつ、紅茶を一口飲んだレイは再び口を開く。
「朝食も終わったことだし、恐らくマリーナの家の周辺にいる連中も騒がしくなってることだろう」
今までは基本的に日中にしかレイはギルムに戻ってきていなかった。
だというのに、今日に限って早朝にやって来たのだ。
それを見れば、何か今までと違うことがあったと考えてもおかしくはないし、それどころか早朝だからこそ見張っている者はいなかったという可能性もある。
もっとも、何かがあるというのは間違っていない。
ニールセンがイエロと共に他の妖精郷に行き、そして穢れの関係者の拠点を確認してくるという意味では、ある意味歴史の転換点と言っても決して間違いではないだろう。
「そうね。……結構な騒ぎになってるのは間違いないわ」
数秒目を瞑ったマリーナがそう言ってくる。
精霊魔法……レイの予想では恐らく風の精霊か何かを使って、家の周囲にいる者達の様子を探ったのだろう。
「なら、これ以上面倒になる前に、ニールセンとイエロを連れていくか。……いいよな、ニールセン?」
尋ねるレイに、ニールセンはテーブルの上で食べていたクッキーを置いて、大きく胸を張る。
「任せてちょうだい。イエロと一緒なら、何も問題ないわ! 私がしっかりとその辺を観察してきてあげる!」
自信満々に告げるその様子は、長からの命令とはいえ他の妖精郷や、ましてや穢れの関係者の拠点に行きたくないと言っていたのは何か大きな間違いではないかと、そう思ってしまう。
朝食によって、そしてイエロと一緒にセトと遊んだことによって、気分が高揚してるのだろう。
この辺りの調子のよさも、妖精らしいとレイに思えた。
とはいえ、ニールセンがやる気なのはレイにとっても悪い話ではない。
ここで下手にニールセンのやる気がなくなった場合、ニールセンをその気にさせるのが面倒だった。
そういう意味では、今のようにニールセンがこうしてやる気になっているのは面倒がなかった。
「そうか。じゃあ、ニールセンとイエロを俺が……というか、セトがギルムから脱出して空で別行動をするということになる。それでいいか?」
「構わないわ。じゃあ、行きましょう。……イエロ、よろしくね」
「キュ!」
ニールセンの言葉に、イエロは任せてと鳴き声を上げる。
ニールセンはそんなイエロを嬉しそうに、そっと撫でた。
「気を付けてね」
やる気に満ちているニールセンに対し、マリーナがそう言う。
他の面々も、それぞれニールセンに気を付けるように言っていた。
ただし、エレーナだけはニールセンと行動を共にするイエロにしっかりやるようにと言い聞かせていたが。
「じゃあ、行くよ。次にいつこうして全員が揃って食事が出来るのかは分からないが、出来れば早くそういう日が来て欲しいな」
「穢れの件が片付けば、その辺はどうにかなるわよ。……その前に、私が穢れを攻撃する方法を見つけるのが先かもしれないけど」
「そうだな。頑張ってくれ」
こちらもニールセン同様にやる気満々といったヴィヘラに、レイはそう言う。
それは本心からの言葉だ。
今はただでさえ穢れを倒せるのはレイとエレーナだけだ。
それがヴィヘラも倒せるようになれば、レイとしてはかなり助かるのだ。
(穢れを相手に近接戦闘をやるって時点でかなり危険なのは間違いないが、ヴィヘラの場合は言っても聞かないだろうしな)
戦闘狂のヴィヘラにしてみれば、自分の攻撃が一切効かない……どころか、穢れに触れた時点で自分に致命的なダメージとなるのだ。
それでもヴィヘラのことだから、可能性があるのならやらないという選択肢はないのだろう。
「グルゥ!」
準備出来たよとセトが喉を鳴らし、レイはそんなセトの背に跨がる。
イエロはレイが抱えるようにし、ニールセンはレイのドラゴンローブに掴まった。
「じゃあな」
そうレイが短く言うと、それを合図にセトが数歩走って翼を羽ばたかせ、マリーナの家の庭から空に向かって駆け上がっていく。
「あ、やっぱり」
そうして空に駆け上がっていくセトの背の上で、レイは地上を確認する。
するとそこではマリーナが言っていたように、家の周囲にいた見張りと思しき者達がそれぞれに動き回っていた。
その中の半分近くは、再びマリーナの家から飛び立ったセトを確認していた。
中には指さしている者もそれなりにいる。
「悪いな」
別にレイが謝る必要はないのだが、それでもいつもと違う行動で見張っていた者達を驚かせたのは間違いない。
それによってマリーナの家の見張りをしていた者達は、かなり混乱することになってしまった。
レイが相手には聞こえないと承知の上で謝罪の言葉を口にしたのは、その言葉通り多少は悪いと思っているからだろう。
実際、今回の騒動でマリーナの家を見張っていた多くの者は叱責を受ける可能性が高い。
早朝ということで遅刻をした者にいたっては、最悪首になってもおかしくはない。
それでも本当の意味での最悪……物理的な意味で首を切断されるといったようなことにはならないだろうというのが、レイの予想だったが。
「グルルゥ?」
レイの謝罪の言葉が聞こえたのか、セトはどうしたの? と喉を鳴らす。
そんなセトにレイは何でもないと首を横に振ると、口を開く。
「まずはトレントの森の上空だ。頼むな、セト」
「グルルゥ、グルルルルゥ!」
レイに頼られたことが嬉しかったのか、セトはやる気に満ちた鳴き声を上げて翼を羽ばたかせ、トレントの森に向かう。
ギルムから数分でトレントの森の上空に到着した。
「さて、ここからはイエロとニールセンに任せることになる」
「ええ、問題ないわ。大変そうだけど、イエロもいるし何とかなるでしょ」
「キュ! キュウ!」
ニールセンの言葉に、イエロは任せてといった鳴き声を上げる。
そんな一人と一匹を見ると、何とかなりそうな気がしてレイの口に笑みが浮かぶ。
実際問題、穢れに遭遇することさえなければ何とかなる可能性は高いのだ。
ニールセン達がモンスターと遭遇するといった可能性もあるかもしれないが、覚醒したニールセンの力と、子供とはいえドラゴンのイエロがいれば、大抵の相手はどうにかなるのは間違いない。
だからその点については大丈夫だろうとレイは思う。
だが……だからといって、問題がない訳ではない。
具体的には、ニールセンがその好奇心から寄り道をしたり、途中で遭遇した相手に悪戯をしたりといった具合に。
そんなニールセンと行動を共にするイエロだが、そのイエロもまたニールセンの悪癖によって染まる可能性もない訳ではなかった。
命の心配とは別の意味で心配されるニールセンやイエロだったが、当の本人達は自分がそんな風に思われているとは全く思わず、ニールセンはイエロの背中に乗る。
子供とはいえ、ワイバーンの類ではなく本物のドラゴン。
ある意味理想の竜騎士とでも呼ぶべき状態になったニールセンは、レイとセトに向かって大きく手を振る。
「このくらいのことは任せておきなさい。私とイエロがいれば、どうとでもなるから。……じゃあ、イエロ。行くわよ!」
「キュウウウウウ!」
ニールセンの言葉に、イエロはセトが大きく鳴き声を上げるのを真似して同じように鳴き声を上げると、そのまま飛んでいく。
「へぇ」
イエロの飛行速度に驚きの声を上げるレイ。
勿論セトとは比べものにならないが、それでも十分以上にその速度は速い。
馬が全速力で地上を走る速度と比べても、間違いなく上だ。
「グルルルルルルゥ!」
急速に離れていくイエロとニールセンに、セトが応援の声を上げる。
そんなセトの鳴き声が届いたのだろう。
イエロの飛行速度は、多少ではあるが間違いなく上がった。
「ニールセンとイエロか。多分大丈夫だとは思うけど……まぁ、ここで俺達が心配をしても意味はないか。今はとにかく、俺達もやるべきことをやった方がいいな」
トレントの森の上空でセトが雄叫びを上げたので、それは当然周囲に響き渡っていた。
そうなると、当然だが野営地にいる者達や生誕の塔のリザードマン達もその鳴き声は聞こえているだろう。
後は、野営地の近くにある炎獄に集まっている研究者達も、当然ながらそんなセトの鳴き声には気が付いただろう。
「セト、イエロ達も行ったし、俺達も一旦野営地に降りるぞ」
妖精郷に行く前に、一度野営地に顔を出すとフラットには言っておいた以上、このまま無視をして妖精郷に行く訳にもいかないだろう。
セトもその辺については理解しているのか、やがてレイの言葉に短く喉を鳴らして地上に向かって降下していく。
そうして野営地に着地すると、すぐに野営地にいた冒険者達が集まってくる。
……中には、冒険者だけではなく研究者の護衛の姿もある。
護衛の数が昨日に比べて少ないように思えるのは、ゴーシュのようなギルムから通いでやって来る研究者達がまだ到着していないのだろう。
(ただ、ここまで通うのは、それはそれで面倒だよな。基本的に穢れは人のいる場所に転移してくるし)
馬車を使って野営地まで通うといった真似をした場合、その馬車で移動をしているゴーシュ達が狙われる可能性は十分にあった。
実際、昨日レイはゴーシュ達が移動している途中で穢れに追われているのを助けたのだから。
そういう意味では、やはりオイゲン達のように野営地で寝泊まりをした方がいいのだが、その辺については言っても無駄だろう。
ゴーシュ達も、ギルムから馬車で通うのはそれなりに時間が掛かると承知の上で、それでも変えるつもりはないのだから。
セトの場合はギルムから数分でトレントの森まで到着するが、馬車で移動するとなると、そうはいかない。
宿屋で馬車を用意し、門でギルムを出る手続きを行い、それから街道沿いに移動して、途中から街道を外れて道なき道――伐採した木の運搬で踏み固められた道にはなっているが――を進む。
そんな道をトレントの森の外側を湖に向かうように移動するのだが、当然ながら穢れ以外のトレントの森を住処にしているモンスターに襲撃されることもあるだろう。
何だかんだと、ギルムを出てから野営地に到着するまでは危険な上に相応に時間が掛かる。
だが……そのような面倒を承知の上でも、ゴーシュ達は野営をしたくないのだろう。
「レイ、戻ってきたか。……やはりニールセンはいないんだな」
野営地に降りたレイとセトに真っ先に近付いて来たのは、当然のようにフラットだ。
今回の件については説明してあるとはいえ、それでもやはりニールセンがいなくなっていることは残念に思ったのだろう。
そんなフラットの言葉に、こちらもまた集まってきた者達のうち、妖精好きの面々は心の底からがっかりとした表情を浮かべている。
(いやまぁ、その辺は予想していたけどな)
ニールセンはトレントの森でもそれなりに姿を現していた。
時には木の幹の中に隠れたりといったこともしていたが、それでもニールセンの姿を見る機会は多かったのだ。
そして小さい頃に聞いたお伽噺の類から、妖精好きという者はそれなりに多い。
そのような者達にしてみれば、ニールセンがいなくなったというのはかなりショックなのだろう。
「ニールセンはそのうち戻ってくると思うから、それまでは待っていてくれ」
ニールセンがいないということで残念に思っている他の面々にレイはそう声を掛ける。
いつもニールセンと一緒にいたレイの言葉だけに、妖精好きの面々もそれなりに納得した様子を見せた。
もしこれで、レイではない他の誰か……ニールセンとあまり親しくない者達がこのようなことを話しても、恐らく信じる者はあまりいなかっただろう。
そんな周囲の様子を確認すると、レイはフラットに視線を向ける。
「そんな訳で、俺はこれから妖精郷に向かう。……いや、その前に炎獄の方を見ていくか。とにかく、穢れと遭遇した場合にどうすればいいのかはもう分かってるだろうから、俺がいなくても問題はないよな?」
「出来ればレイがいてくれると助かるんだがな」
そう言いつつも、フラットはレイの言葉に頷くのだった。
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