3155話

『ふむ、では明日にはイエロの用意をしておこう』


 セトと冬の湖で遊ぶという、普通なら信じられないことをした日の夜、レイは対のオーブを使ってギルムにいるエレーナと話をしていた。

 なお、冬の湖がどれくらい寒いのかは、レイも似たような場所を知っているので、それなりに理解はしていた。

 レイが日本にいた時は東北の田舎にある山の側に家があったのだが、その家からそう離れていない場所には川が流れていたのだ。

 レイにしてみれば、小さい頃から慣れ親しんだ川だ。

 夏になれば泳いで銛で鮎を獲ったり、あるいは単純に水遊びをして楽しんだりするような川。

 ……ただ、夏には飛んでいるアブに刺されて痛い思いをしたことも多かったが。

 ともあれ、そんな川で遊んでいたことの多いレイだったが、川と湖ではまた違う。

 そういう意味ではあくまでも似て非なるものなのだが……レイの今の身体は、ゼパイル一門が技術の粋を集めて作り上げた代物だ。

 多少水が冷たくても、その程度でどうにかなったりはしない。

 それでも、冷たいものは冷たいのだが。


「よろしく頼む。それで、イエロの方は問題ないか?」

『聞いてみたところ、寧ろやる気に満ちていたな。……私が言うのもなんだが、イエロはあまり外に出ない。勿論、マリーナの家は十分な広さがあるが、それでもやはり外に出ないというのはイエロにとっては窮屈だったのだろう』

「それは……イエロがもう少し大きくなればともかく、今のままだと仕方がないと思うけど」

『あるいはもう少し敷地が広ければ、イエロも窮屈には感じなかったのかもしれないな』

「いや、十分な広さがあるって言ったその口でもっと広かったらとか。……まぁ、確かにマリーナの家は貴族街にある他の屋敷と比べると、かなり狭い方だけど」


 黒竜の子供のイエロは、現状で自由に外を飛び回るといったことをした場合、かなり危険だ。

 特に今は、レイが魔の森で倒したクリスタルドラゴンの件でまだ多くの者がドラゴンについて敏感だ。

 そんな中、イエロが暢気に外を飛んでいたらどうなるか。

 エレーナについて詳しい者なら、イエロがエレーナの使い魔だと知ってるので、手を出すようなことはないだろう。

 姫将軍の異名を持つエレーナがドラゴンの子供を使い魔にしているというのは、それなりに知られている情報だ。

 普通の冒険者がドラゴンの子供を使い魔にしていても目立つが、それを行っているのが姫将軍の異名で知られるエレーナなのだから、当然ながら目立つ。

 とはいえ、それでも全員が知ってる訳ではないし、中には知っていても見つからなければ問題がないと考えてイエロにちょっかいを出す者がいる可能性は十分にあった。

 そしてイエロは、空を飛んだり鱗により高い防御力を持っていたり、周囲の景色に溶け込んだりと、防御力は高いものの、攻撃力はそれ程ではない。

 最悪の場合、殺されることはないが捕まってしまう可能性は十分にあった。


『私はこのくらいの敷地でも十分満足出来るのだが、イエロが本当に思う存分飛び回るとなると……やはり少しな』


 エレーナのその言葉に、レイはそういうものかと納得する。

 非常に珍しいモンスターということなら、セトもそうだ。

 だが、セトの場合は魔獣術で生み出された時から既に相応の大きさを持っていたので、十分に自衛出来るだけの実力はあった。

 そして今となっては体長三mを超えており、結構な数の激戦を潜り抜けてきたこともあり、もしちょっかいを出すような者がいても、抵抗出来る。

 ……もっとも、ギルムの中でセトにそんなちょっかいを出そうとしようものなら、それこそセト好き達がそれを防ぐだろうし、二度とそのような真似をしないように手を回すだろうが。


「だから、今回の件はイエロにとっても悪くない、か。……ただ、問題は穢れの関係者の拠点である以上、そこには穢れがいるかもしれないんだよな。そして穢れの場合は幾らイエロが高い防御力を持っていても意味がない」


 例えドラゴンであっても、穢れに触れた場合は黒い塵となるだろうというのがレイの予想だった。

 あるいはもっと大きな……それこそエンシェントドラゴンと呼ばれるようなドラゴンであれば、穢れに触れてもどうにか出来る方法を知ってる可能性はある。

 だが、イエロは子供である以上、そのような真似が出来る筈もない。


『うむ。イエロにはくれぐれも穢れに触れるなと言っておこう。そうすれば、イエロも馬鹿な真似をしたりはしないだろう。……もし何かあったら、ニールセンが止めてくれるだろうと信じている』


 そう言うエレーナだったが、ニールセンのことをよく知っているレイとしては、そこまでニールセンを信じてもいいのか? と若干疑問に思う。


「ちょっと、何よその顔は。私を信じられないっていうの?」

「ニールセン? こっちに来たのか?」


 いきなりの声だったが、それが誰の声だったのかはレイにもすぐに理解出来た。

 そして予想通り、声のした方にいたのはニールセン。

 今日は途中からレイと別行動をしていたニールセンだったが、もし穢れの襲撃があった場合、すぐにでも出撃する必要があるのだ。

 そうである以上、別行動をしてはいたが、ニールセンはレイからそんなに離れていた訳ではない。


「今は暇だったしね。それより、私のことが信じられないのかしら?」


 改めてレイにそう尋ねるニールセン。

 レイは寝転がっているセトに寄り掛かりながら口を開く。


「ニールセンとの付き合いもそれなりにあるけど、だからこそニールセンが悪戯好きなのは知っている。それだけに、穢れの関係者の拠点を見に行った時、妙な悪戯をするんじゃないかとは思うのはそんなに不思議じゃないだろ?」

「う……それは……」


 ニールセンも、レイの言う通り自分が悪戯好きだという自覚はあるのだろう。

 レイの言葉に反論出来なくなってしまう。


「で……でも、穢れの関係者に捕まれば、私達がどうなるかは分かってるでしょう? なら、私だってそんなに悪戯とかはしないわよ」

「そんなにとか言ってる時点で怪しいんだが。……けどまぁ、言ってる内容は理解出来る」


 実際、レイが以前遭遇した穢れの関係者は、ニールセンを見た時に妖精の心臓を欲していた。

 妖精も生き物である以上、当然だが心臓を奪われれば死ぬ。

 つまり、穢れの関係者は妖精を殺そうとしていたのだ。

 それはレイにとっても決して許容出来ることではない。

 何だかんだと言ったところで、レイにとってニールセンはそれなりに付き合いがあり、生死を共にした仲間でもある。

 そんなニールセンを殺すという穢れの関係者を、レイが許容出来る筈もない。


『ニールセンが来たのなら、丁度いい。……ニールセン、知っての通りイエロはまだ子供だ。色々とニールセンに迷惑を掛けることもあるかもしれないが、よろしく頼む』


 レイに向かって更に何かを言おうとしたニールセンだったが、それよりも前にエレーナが対のオーブの向こう側からそう言ってくる。

 ニールセンにしてみれば、まさかエレーナにそのようなことを言われるとは思わなかったのか、少し驚いたように動きを止めた。

 だが、それでもすぐ我に返って偉そうにするのは、ニールセンらしいと言うべきか。


「ふふん、任せなさい。イエロと一緒に旅をするのは楽しみにしているのよ。エレーナに言われなくても、きちんと仕事を終えて戻ってくるわよ」


 そう断言するニールセンを見て、レイはエレーナに感謝の視線を向ける。

 ニールセンも言葉ではやる気になったと言っていたものの、実際にはまだ自分だけで他の妖精郷に行ったり、穢れの関係者の拠点を確認したりするのは内心で恐怖を覚えていたのだろう。

 だが、こうしてエレーナに上手い具合に乗せられたことによって、ニールセンのやる気は間違いなく上がってる。


(問題なのは、一晩経ったらどうなるか……だよな。一晩経って、その結果としてニールセンがまた怖がるようになったりしたら……その時はいっそ長にでも頼むか)


 自分ではどうしようもない以上、その辺については実際に長に頼むしかない。

 ある意味で丸投げだったが、ニールセンに何かを指示する場合、一番手っ取り早いのは長に任せることであるのは事実なのだ。

 なら、それに頼らないという選択肢はレイにはなかった。


『うむ。ではニールセンにイエロは任せるとしよう。……レイ、では明日の朝にはマリーナの家に来るということでいいのか?』

「ああ、そのつもりだ。まさかイエロだけでこっちに向かわせる訳にもいかないだろ? イエロなら頑張れば到着するだろうけど」


 イエロも飛行速度は、まだ子供なのでセトには到底及ばないものの、それでも普通に地面を歩いて移動するよりは大分早い。

 普通の鳥が飛ぶ速度よりは速いのだから、ギルムからレイのいる野営地まで移動するのはそう時間は掛からないだろう。

 だが、好奇心旺盛なイエロの性格を考えると、途中で寄り道をする可能性は十分にあった。

 そうなると、いつイエロがここに到着するか分からない以上、レイとしては普通に自分が迎えに行くのがいいだろうと判断している。


『うむ。では、朝食の用意をしておくようにマリーナに頼んでおこう。マリーナの家に来るだけなら、それが見つかっても騒動にはならないだろうしな』


 この場合の騒動というのは、あくまでもマリーナの家に直接関係する騒動……レイと接触したくて強引にマリーナの家の敷地内に入ってくるといった真似をしないという意味だ。

 貴族街にある貴族の屋敷で、そこまで爵位が高くない家の者なら、爵位の高い貴族がやってきて騒動を起こすという可能性は十分にある。

 だが、マリーナの家は精霊魔法によって守られているので、悪意を持つ者が勝手に敷地内に入った場合、精霊によって排除されてしまう。

 そういう意味で、レイがマリーナの家にいても騒動は起きない。

 レイが外出しようとすれば、それなりに騒動は起きるかもしれないものの、明日の朝の目的はあくまでもマリーナの家にいるイエロを迎えに行くだけで、レイはマリーナの家から出る必要はない。

 また、何か用事があってダスカーに会いに領主の館に行く場合も、今度からはマリーナの家に一旦降りたり、見つからないようにしながらギルムに入るといった真似をしなくても、直接セトに乗って領主の館に降りることが許可されている。

 そういう意味では、レイがギルムの街中を移動して騒動になるというのは……


(ギルドがあったか)


 そう思い、どうやってギルドに……正確には、ギルドにある解体用の倉庫に行くべきかとレイは思ってしまう。

 魔の森のモンスターの解体、特にクリスタルドラゴンの解体を現在ギルドには頼んでいる。

 だからといって、頻繁にギルドに通う必要はないのだが、それでも場合によってはどういう感じなのかというのを確認に行く必要はあった。

 レイにしてみれば、それなりの期間を空けてからギルドに行けばいいと思ってはいるのだが。

 

「そうだな。なら、明日の朝食は久しぶりにマリーナの手料理を楽しむよ。ニールセンも、出発前にマリーナの料理を食べることが出来れば、かなり嬉しいだろうし」

「え? 私? ……まぁ、そうね。美味しい料理は大歓迎だけど」


 まさかここで自分に話を振られるとは思っていなかったのか、驚きつつもそう返すニールセン。

 実際、ニールセンは食べるという行為が好きだ。

 それこそレイと一緒にギルムの街並みを歩けば、屋台にある料理を手当たり次第に買いたいと思うくらいには。

 そんなニールセンだけに、料理上手なマリーナが作った朝食というのはそれなりに……いや、かなり魅力的だったのは間違いない。

 それを示すように、ニールセンは明日の朝食が楽しみだといった表情を浮かべていた。

 ……そこには、穢れの関係者の拠点を見てくるといったことに対する不安はない。

 そのような不安よりも、今はより近い場所にある朝食に気を取られているのだろう。


(やるな)


 感嘆の視線を対のオーブに映るエレーナに向けるレイ。

 エレーナとしては、自分は別にそのようなつもりで言った訳ではなかったので、レイの様子に戸惑う。

 だが、それでもすぐにレイが何故そのような視線を自分に向けているのかを理解し、困ったように笑う。


『取りあえず、明日の朝食は皆で食べることになるから、私も楽しみにしている』

「何だかんだと、マリーナの家で全員揃って食事ってのはここ暫くなかったしな。そういう意味では、俺も楽しみにしてるよ」


 レイがクリスタルドラゴンの件でゆっくりと行動出来なくなってから、それなりに経つ。

 そうである以上、成り行きではあるが明日の朝食はレイにとっても楽しみな一時なのは間違いなかった。

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