3109話

 レイに近付いて来たオイゲンは、会話が聞こえていたのかいなかったのか、特に怒ったりといった様子は見せず、笑みを浮かべてレイに声を掛けてくる。


「レイ殿、少し話をしたいのだが。構わないかな?」

「俺にか?」


 てっきりオイゲンが話をするのは自分ではなく、先程までレイが話していた男……この野営地にいる冒険者達の指揮を執っている男に対してなのではないかと思っていただけに、少し驚く。

 ただし、レイがレノラと話している時に、オイゲンと男は話していた。

 そうである以上、オイゲンが男ではなくレイに話し掛けてくるのは当然だったかもしれないが。


「ああ、レイ殿にだ。あの穢れについて倒す手段を持っているのは、現在のところレイ殿だけなのだろう? であれば、少しでも情報を仕入れておきたい。調査をする上で、前情報を持っているかどうかというのは大きいのでな」

「そう言われると、俺も受け入れるしかないな。ただ……話を聞くのは、あくまでも俺だけだ。こいつ……」


 そう言うと、レイはドラゴンローブの中に隠れていたニールセンを取り出す。


「わきゃっ!?」


 ニールセンも、まさかこの状況でいきなり自分が取り出されるとは思っていなかったのだろう。

 驚きの声を上げ、レイに向かって不満そうな視線を向ける。


「ちょっと、レイ。何をするのよ!」

「そう言ってもな。これから俺は研究者達と話をする。ニールセンはその場にいたいか?」

「嫌よ」


 一瞬の躊躇もなく、それこそ反射的に答えるニールセン。

 それだけニールセンにしてみれば、研究者達と関わり合いになるのが嫌なのだろう。


(ここで必死になっていやがっても、王都から来る人員の中には間違いなく研究者がいるだろうし、エレーナから聞いた話によると、穢れの研究で成果が出れば妖精郷に優先的に連れていくといった話もしていたらしい。だとすれば、最終的には結局研究者と関わり合いになるのは間違いないだろうに)


 そう思うレイだったが、もし妖精郷に研究者達が来た場合、その相手をするのがニールセンとも限らない。

 ニールセンの現在の立場は、レイのお付きといった感じだ。

 そうである以上、研究者達が妖精郷に行っても、そこにレイがいなければ自然とニールセンもいないということになる。

 もっとも、現状では妖精郷に連れていけるのはあくまでもレイだけである以上、王都から来た者達や研究者達を連れていくのはどうしてもレイの仕事になるのだが。

 ニールセンはそのことを忘れているのか、あるいはそこまで考えていないのか。

 その辺りはレイにも分からなかった。


「そんな訳で、ニールセンが研究者達に関わり合いたくないのなら、今はどこかその辺で遊んでいてくれ」


 レイの言葉に渋々と納得したのか、ニールセンは飛び立つ。

 もっとも、もし長からニールセンに穢れの件で連絡があった場合、すぐレイに知らせる必要があるのだ。

 そうである以上、レイと別行動となってもそこまで離れるようなことは出来なかったが。

 それでもニールセンが研究者と接しないというのは、レイにとってそこまで悪い話ではなかった。

 もしここで無理にニールセンを研究者達と話をさせるような真似をして、ニールセンの機嫌を損ねるといった真似をするのは、レイにとって決していい選択ではなかったのだから。


「では、行こうか」


 オイゲンも出来ればニールセンと話をしたいとは思っていた。

 ダスカーからの説明で穢れに強い興味を持ってるのは間違いないが、だからといって妖精に対する興味が消えた訳でもない。

 今の状況を考えれば、どちらを優先した方がいいのかというのを考えた結果だろう。

 それ以外にも、ここで無理にレイにニールセンと話をしたいといったように言えば、それがニールセンの……そしてレイの不興を買うということにもなりかねない。

 現在穢れについて一番詳しいのは、レイだ。

 そんなレイとの関係を悪化するようなことは、出来れば避けたかった。


「ああ、助かる」


 レイもオイゲンが自分やニールセンに配慮したというのは理解したのだろう。

 短く感謝の言葉を口にする。


「何、構わないよ。穢れの研究をする上でレイ殿との関係をよくしておくのは必須事項だ。……ああ、そうそう。今更だが自己紹介をしておこうか。私はオイゲンという」

「そうか、よろしく頼む、オイゲン。ああ、そうそう。俺のことは別に殿とか付ける必要はない。普通にレイと呼んでくれ」


 そんなレイの言葉に、オイゲンは内心で上手くいったと思う。

 ニールセンに配慮をすることで、レイとの関係を良好にする。

 これを狙っていたのだが、それが見事に当たった形だ。

 これで少なくても自分はレイから嫌われるといったことはない。

 もし自分と一緒に行動している他の研究者達がレイを怒らせるような真似をしようとも、その怒りが自分に向けられる可能性がなくなった……とまではいかないが、それでも他の研究者達よりも安全になったのは間違いない。


「分かった。では、レイと呼ばせて貰おう。さて、まずは他の研究者達のところに君を案内するよ。穢れについて、色々と聞きたいこともあるし」


 オイゲンのその言葉にレイは頷く。

 研究者達に若干思うところがない訳ではなかったが、穢れの研究は必須なのだ。

 そうである以上、少しでも情報共有しておく必要があるのは間違いなかった。

 ここで下手に情報を隠したりした結果、穢れの研究に遅れが出て、それによってギルムに被害が及ぶ……といったようなことになったら、それは洒落にならない。

 そうならないようにするには、やはりここでしっかりと準備をしておく必要があった。

 ニールセンはおらず、レイとセトだけでオイゲンと共に歩く。


「それにしても、まさかここまで早くこの野営地に来るとは思わなかったな」


 レイの言葉に、オイゲンは少しだけ自慢そうな様子を見せる。


「これでも研究者だ。何か興味深いものがあれば、すぐにでもそちらに行くのは当然だろう」

「……それでも、昨日の今日どころか、今日の今日だぞ?」


 巨大な湖に大量の黒い円球が姿を現したのは、今日。それも数時間前のことだ。

 その数時間でダスカーから事情を聞き、そして野営の準備をしてきたのだから、驚くなという方が無理だろう。

 ましてや、オイゲンは決して若くはない。

 老人とまではいかないが、それでも元気溌剌とった様子でもないのだから。

 そんなオイゲンが真っ先に野営地にやって来た者の中にいたというのは、レイにとってもかなり驚いたことの一つだ。


「穢れというのは、かなり興味深い存在だ。私はダスカー様から話を聞いてそう思った。そうである以上、研究者の私としては、少しでも早くそれを調べたいと思うのは当然だろう。……さぁ、中に入ってくれ」

「中に……?」


 話をしている間に一つのテントに到着したレイは、オイゲンのその言葉に疑問を抱く。

 オイゲンが中に入るようにと促したテントは、中に大勢が入れるような大きさを持っているとは思えなかった。

 しかし、レイから穢れについての話を聞きたいということを考えると、この野営地にやって来た研究者達全員に話を聞かせたいと思ってもおかしくはない。

 だというのに、何故このようなテントの中に?

 そんな疑問を抱くレイだったが、テントを見てふと気が付く。


「あれ? これってもしかして……マジックテントか?」


 そう、レイの前にあるテントはマジックテントと思しきテントだった。

 外見そのものは普通のテントとそう違いはないものの、テントがマジックアイテムであるというのはレイにも察することが出来る。

 元々マジックアイテムに強い興味を抱いているレイだからこそだろう。


「おや、一目で見抜くとは」


 意外といった様子でオイゲンは言う。

 オイゲンにしてみれば、一目でマジックテントと見抜かれるとは思っていなかったのだろう。


「俺もマジックテントは持ってるからな」


 そう言えば、オイゲンも納得した表情を浮かべる。


「これがマジックテントであると理解出来ているのなら、いい。では、中に入ろうか。中にはもうそれなりに集まっている筈だし。……ただ、セトはちょっと中に入るのは無理だろうな」

「分かってる。俺のマジックテントでもセトは中に入れないし。セト、いつものマジックテントとは違うけど、一応見張りを頼む」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、任せて! と喉を鳴らすセト。

 セトにしてみれば、マジックテントで見張りをするというのはそうおかしな話ではない。

 ……もっとも、ここは野営地だ。

 それこそ以前の夜襲のように一気に穢れが転移してくるといった真似でもしない限り、モンスターの襲撃を心配する必要もない。

 あるいは冒険者が何かをするといった可能性もあったが、セトがここにいる以上は妙な真似をする心配はいらないというのがレイの判断だった。

 そうしてマジックテントの中に入ると……


「へぇ、俺のマジックテントと比べると大分違うな」


 レイも、自分が使っているマジックテント以外についてはそこまで詳しい訳ではない。

 しかしこうして直接見ると、やはり自分が使っているマジックテントと大きく違うというのはすぐに理解出来た。

 レイの使っているマジックテントは、基本的に小さな家といった感じだ。

 リビングや寝室があるように。

 それと比べると、オイゲンのマジックテントは一つの巨大な部屋があるだけだ。

 勿論マジックテントだけに、外見からはとてもではないが考えられない……一つの教室くらいの大きさだったが。

 レイのマジックテントはソファやテーブルを始めとして多種多様な家具が用意されていたが、オイゲンのマジックテントはテーブルや椅子が幾つかあり、その上には何らかの実験用の器具と思しき物が幾つかある。


「これは……いかにも研究者が使うようなマジックテントだな」

「そう言って貰えると嬉しいが、このマジックテントは今日入手したばかりの物だよ」

「……今日?」

「ああ。ダスカー様から穢れについての研究をするようにと要請されて、この野営地で寝泊まりをする以上はしっかりとした設備を整えたくてね。マジックアイテムを売っている店に行ってみたら、偶然あったんだ」

「へぇ……それは、随分と運が良かったな」


 レイの口から出た言葉は、大袈裟でも何でもない。

 実際、マジックテントというのは非常に便利だが、その分だけ作るのに時間や技術、希少な素材が必要となるだけに、買おうと思ってもそう簡単に買える物ではないのだ。

 それをすぐに購入出来たのだから、オイゲンは運を持っているということになる。

 マジックテントもそうだが、マジックアイテムというのは購入しようと思ってすぐに購入出来るものではない。

 運、もしくは運命によってそのマジックアイテムと出会えるかどうかというのが決まるのだ。

 そうである以上、オイゲンがマジックテントを入手出来たというのは、つまりそういうことになる。


「さて、では……レイも到着したことだし、早速穢れについての情報交換……いや、情報提供を始めようか」


 本来ならオイゲンも情報交換と表現したいところなのだが、生憎と交換を出来るような情報は持っていない。

 そうである以上、ここは大人しくレイから一方的に情報を貰うと言っておいた方がいいと判断したのだろう。

 何人かの研究者や助手は、そんなオイゲンの言葉に不満そうな様子を見せる。

 ただし、オイゲンに反抗するような真似をするのが不味いというのは理解しているのだろう。

 不満そうな様子は見せたものの、実際に不満を口にする者はいない。

 レイはそんな周囲の様子を見つつ、口を開く。


「情報提供するのは構わないが、具体的にどういう情報が知りたい? ただ情報を知りたいと言われても、範囲が広すぎてどう反応したらいいのか、こっちには分からない」


 これでもしレイが研究者なら、他の研究者が具体的にどのような情報を知りたいのかを理解した上で、自分の知っている情報を話すことも出来るだろう。

 しかし、生憎とレイは研究者ではない。

 研究者の知り合いは何人かいるし、似た性格の錬金術師達も知ってはいるが、それはあくまで知っているだけだ。

 そうである以上、具体的に何をどう説明すればいいのかはレイにも分からない。

 その為、研究者達が質問をしてそれに答えるという形で話は進んでいく。


「穢れに触れた存在は塵になると聞いてます。なのに、何故レイさんの魔法は効果があるんですか? もしかして魔法なら触れても塵にならず、穢れにダメージを与えられるとか?」

「いや、普通の魔法なら無理だと思う。俺の魔力はかなり多い。俺の魔法はそれを使っているから、穢れに対処出来ているんだと思う」


 そんな風に質問されるとレイは答えるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る