3087話
セトが地面を走る速度は速い。
さすがに空を飛ぶ速度に比べると劣るが、厳しく訓練をされた馬が走るよりも速く走ることが出来る。
それも街道や草原といったように障害物のない場所だけではなく、森の中であってもセトの走る速度は殆ど落ちなかった。
普通なら馬よりも速い速度で森の中を走るといった真似をした場合、当然だが木にぶつかる。
木にぶつからないようにして走った場合は、注意しながら走る必要があるので速度は落ちる。
だが……セトは森の中であってもそんなのは関係ないといった様子で走り、木が邪魔になれば地面を蹴って横や斜め、あるいは上といった場所に跳んで回避していた。
当然ながら、セトがそんな真似をする以上はセトの背に乗っているレイにも相応の負担がある。
しかし、レイはそんな突然の加速を受けたりしても、特に気にした様子もなくセトの背に乗っていた。
寧ろそんなセトの行動でギブアップ寸前だったのは、レイに掴まっているニールセンだ。
セトが木を回避する為に跳躍したり、急加速をしたりといった真似をしているので、ニールセンは身体が揺らされ、いつ振り落とされてもおかしくはない。
そんなことになるのは嫌だと必死にレイのドラゴンローブにしがみついていた。
レイもそんなニールセンの姿には気が付いていたものの、今ここで放り出すといったことをする訳にもいかず、そのままにしている。
もし吹き飛ばされても、ニールセンは妖精だ。
空を飛ぶことが出来る以上、問題ないだろうという思いもあった。
そうしてセトが走り続け……
「グルゥ!」
走りながら、セトが鋭く鳴く。
それが何を意味しているのかは、考えるまでもなく明らかだった。
その声を聞いた瞬間、レイはセトの背から降りる。
全速力に近い速度で走っていたセトの背から、一切速度が落ちることもないままに降りたのだ。
それこそ、時速百km以上で走っている自動車からドアを開けて飛び降りるかのような行為。
普通なら地面を転がって、その衝撃で骨折、打撲、捻挫、裂傷といった傷を負うだろう。
しかし、レイは違う。
足が地面に触れる前に素早く、そして複数スレイプニルの靴を発動することによって勢いを殺し、地面に着地した時も身体全体で残りの衝撃を殺す。
そのような動きをしながらも、ミスティリングの中からデスサイズと黄昏の槍を取り出し、周囲の様子を確認する。
そこでは三人の冒険者が七匹の黒いサイコロを引き付けているという光景だった。
樵もそうだったが、冒険者達も穢れの性質については既に知っている。
その為、昨日初めて穢れに遭遇した時よりも、今の方がある程度の余裕をもって黒いサイコロ達を引き付けていた。
一人が地面の石や木の枝といった物を拾って七匹に攻撃し、その七匹に追われる。
体力的に限界がきたら、休憩していた他の二人のうちのどちらかが穢れに攻撃して自分に敵意を引き付けるといったように。
そうして休憩していた二人が、突然戦場――と呼ぶのは少し難しいが――に入ってきたレイを見て、驚きと嬉しさから声を上げる。
『レイ!』
仲良く揃って出たその言葉に、レイは穢れを見たことによって生まれた強烈な嫌悪感を何とか押し殺し、軽く頷くだけで答えつつ、黒いサイコロに追われている冒険者に向かって叫ぶ。
「俺が魔法を唱え終わったら、こっちに向かってくれ。言っておくが、魔法を回避出来なかったら死ぬぞ」
その言葉に、現在穢れを引き付けている男は顔を引き攣らせる。
ギルドから優秀な冒険者であると認識されている以上、当然だがレイの実力についても十分に承知している。
レイの魔法がどれだけの威力を持つか。
ベスティア帝国との戦争に参加した経験があるだけに、炎の竜巻がベスティア帝国軍を蹂躙する光景を自分の目でしっかりと確認していた。
勿論、レイがトレントの森でそのような広範囲に影響する魔法を使うとは思えないが、それでも戦争の時に見た光景が強い印象と共に男の脳裏に刻まれている。
そうである以上、万が一を考えると絶対に自分はレイの魔法に巻き込まれたくはない。
だからこそ、冒険者の男は必死な表情で頷く。
そんな男を見ながら、レイはデスサイズを手に呪文を唱え始める。
『炎よ、汝は我が指定した領域のみに存在するものであり、その他の領域では存在すること叶わず。その短き生の代償として領域内で我が魔力を糧とし、一瞬に汝の生命を昇華せよ』
魔法の効果範囲が定められているという意味で、この魔法は非常に使いやすい。
それでいて、威力も高い。
そんな魔法である以上、レイにしてみればトレントの森で使う魔法としては、これだけだった。
赤いラインが地面に引かれていき……それを見計らっていた、黒いサイコロに追われていた男はタイミングを計ってそこから飛び出す。
本人は簡単にやってるように思える行動だったが、それはあくまでもトレントの森で樵の護衛を任される優秀な冒険者だからだ。
もしこの男が優秀な冒険者ではなく、まだ冒険者になったばかりといったような者であった場合、タイミングを間違えて早く跳躍して黒いサイコロも一緒に魔法の効果範囲以外に出すか、あるいはタイミングが遅くて自分も赤いドームの中に封じ込められるかといったことになってもおかしくはない。
普通なら問題なく出来ることであっても、失敗すれば自分の命が懸かってるとなれば、そのプレッシャーから失敗するようなことはそう珍しくはない。
それこそ、何もないような場所で転ぶといった真似をしかねなかった。
黒いサイコロを引き付けていた男はそのようなドジな真似はせず、しっかりとレイの指示通りに行動した。
『火精乱舞』
魔法が発動すると同時に黒いサイコロは赤いドームの中に封じ込められる。
そして赤いドームの中には、トカゲの形をした火精が多数生み出され……その数が限界に達したところで、一斉に爆発した。
一匹ずつであれば小さいので、そこまで大きな爆発ではない。
しかし赤いドームの中に封じ込められている状況で連鎖爆発することによって、その威力は飛躍的に高められる。
それこそ、黒いサイコロが複数いても纏めて焼滅するくらいには。
「ふぅ。……結局こっちは使わなかったな」
いつもの癖でデスサイズと共に取り出した黄昏の槍を見つつ、レイは呟く。
黒いサイコロは触れた相手を黒い塵にして吸収する能力を持つ。
それだけに、黄昏の槍を使った場合はもしかしたら穂先が黒い塵に変えられてしまうかもしれないと思い、迂闊に使うことは出来なかった。
この黄昏の槍を作るのには、非常に多くの素材を必要としている。
他に手段がないのならともかく、魔法で穢れを倒すことが出来る以上はわざわざ危険を冒す必要はなかった。
「レイ、助かった!」
穢れを引き寄せていた冒険者の男が、そうレイに感謝の言葉を口にする。
レイの魔法を怖がっていたのは間違いないが、それでも黒いサイコロを倒すことが出来たのはレイの魔法である以上、それに感謝をしないという選択肢はなかった。
「気にするな。元々俺はその為にここにいるんだしな。けど……」
男にそう言いつつ、レイは悩む。
当然だが、その悩んだ理由というのは自分が戦ったのが黒い円球ではなく、黒いサイコロだったことだ。
アブエロの冒険者の件で遭遇した穢れは、黒い円球だった。
今までの穢れの状況から、新たな世代というのは少し大袈裟かもしれないが、それでも黒いサイコロよりも性能が高くなった存在として、黒い円球が現れたのだと、そう思っていたのだが……それが見事に外れてしまった形だ。
「どうした?」
穢れの様子に疑問を持っているレイに、助かったと言ってきた冒険者がそう尋ねる。
レイの様子が少しおかしいと思ったのだろう。
他の冒険者達もレイを不思議そうに見ている。
これは単純に興味本位といったものや、あるいは親切心からではない。
樵の護衛をしている冒険者達にしてみれば、前回や今回のように、いつ穢れに襲われるか分からない。
前回も今回も結果的に何とかなっているが、それはあくまでも襲ってきたのが黒いサイコロで、その特性を理解していたからだ。
もしレイが不思議そうに呟いた原因が穢れの能力に影響している場合、今回と同じように樵達が襲撃された時、その対処に失敗する可能性がある。
だからこそ、冒険者達は真剣にレイを見たのだ。
そのような視線を向けられたレイは、少しだけどうするのか迷い……だが、既に穢れについての情報を知っている以上、ここで隠す必要はないと判断する。
デスサイズと黄昏の槍をミスティリングに収納し、セトを撫でながら口を開く。
「俺がここに来る少し前に、トレントの森の東側で穢れが出たという知らせがあって、そこに向かったんだが……その時に遭遇した穢れは、今ここで魔法を使って倒した黒いサイコロじゃなくて、黒い円球だったんだよ」
「つまり、外見が以前と違っていたと?」
レイの説明を聞いた冒険者の一人が、そう尋ねる。
その口調には、出来れば形状が変わっても能力は変わらないで欲しいという希望が混ざっている。
しかし、レイはそんな相手の希望を理解した上で、意図的に無視して頷く。
「そうだ。外見は完全に変わっていた。ただ……これがお前達にとって嬉しい知らせかどうかは分からないが、外見が変わっても能力そのものはそう上がっているようには思えなかった」
もっとも、これはレイが黒い円球を見つけたら即座に魔法を使って焼滅させるといった真似をしていたからの話で、もし実際に正面から戦っていた場合は、もう少し違ったかもしれない。
レイはそのようにするつもりは全くないので、それが分かるといったことは基本的になかっただろうが。
「外見が変わってるだけなら、そこまで問題はない……のか?」
「だといいんだが。……あ、そうそう。さっきの魔法を見ていてちょっと疑問に思ったんだが、聞いてもいいか?」
仲間同士で話をしていた冒険者の一人が、不意にレイにそう尋ねてくる。
レイは穢れについての情報はあまり隠そうとは思っていないので、素直に頷く。
「構わない。何だ?」
「穢れっていうのは、触れた場所を黒い塵にして吸収するんだよな? なら、何でレイの魔法で出来た赤い壁は黒い塵にして吸収しないんだ?」
「あ、そう言えば俺もそれは気になってた。何でだ?」
冒険者達の視線を向けられたレイは、少し考えてから口を開く。
「単純に言えば、俺が魔法にかなりの量の魔力を込めているからだな。そのおかげで、穢れが俺の魔法……赤いドームから脱出しようとしても無理となる」
実際、今まで穢れを赤いドームの中に閉じ込めた後でも、穢れがそこから脱出しようとしたことはあった。
穢れにそのような意識があったのかどうか、正直なところはレイにも正確には分からなかったが。
穢れは自分が狙っている相手がいるのに、赤いドームに閉じ込められているのだ。
穢れにしてみれば自分が閉じ込められたという風に思ってるかどうかは不明だが、それでも移動しようとして赤いドームに触れれば、穢れの本能としてそれを黒い塵にして吸収してもおかしくはない。
ただでさえレイが穢れを倒す為に使っている魔法は、赤いドームに敵を閉じ込め、そこにトカゲの形をした火精を大量に生み出し、それが限界になったところで爆発するのだ。
そうである以上、魔法を発動してから相手にダメージを与えられるまで、多少なりともタイムラグがある。
穢れにしてみれば、そのタイムラグの中で赤いドームから脱出しようとしてもおかしくはない。
しかし、その赤いドームを生み出したレイの魔力は、穢れであっても対処出来ないような強力なものだ。
「羨ましいな。穢れを倒すことが出来なくても、閉じ込めたり、進行方向を阻害するような真似が出来たら、こっちとしてはかなり楽なんだが」
しみじみと冒険者の一人が呟く。
しかし、羨ましいと言いつつも、自分達に同じ真似が出来るとは思っていない。
もしそのような真似が出来たら、それこそ穢れとの戦いにおいて非常に有利になるのだが……そのような真似が出来るような手段はないのだから仕方がないだろう。
「あ、でもそういうマジックアイテムはないのか? 俺達は魔法を使えないけど、障壁なり結界なりを作れるようなマジックアイテムなら……」
「無茶を言うな、無茶を。穢れに触れても黒い塵にされないようなマジックアイテムなんて、そうないと思うぞ?」
そんな冒険者達の話を聞きながら、レイもまた自分が頼んだ防御用のゴーレムの結界でも穢れをどうにかするのは難しいだろうと思うのだった。
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