3071話

「んん……? ……ああ、朝か」


 起きたレイは、周囲を見回して現在の自分の状況を理解する。

 いつもなら起きてから三十分くらいはボーッとしているレイだったが、今は穢れの件で緊急事態に近い状態であるというのを本能で理解しているのだろう。

 その為、いつもとは違って起きたその瞬間には現在の状況をしっかりと認識出来ていた。


「昨夜は結局穢れが襲ってくるようなことはなかったんだよな」


 昨日、夕食としてガメリオンの肉を使った料理を食べた後、マジックテントまで戻ってきたレイだったが、結局新たに穢れが姿を現すといったことはなかった。

 レイにしてみれば、穢れとの……黒いサイコロとの戦闘を行わなくてもよかったので、そこまで悪い話ではなかったが。

 その後は対のオーブを使ってエレーナと話をしたのだが……レイが残念に思ったのは、領主の館にセトが直接降りるという許可が貰えなかったことだろう。

 エレーナはダスカーに頼んだのだが、領主の館に直接降りるようにするのはすぐに許可が出来ないと言われてしまったのだ。

 もっとも、それはあくまでも今すぐには無理だという話で、ダスカーの方で色々と根回しをした後なら問題はないということになったという形だが。

 つまり、もう少し根回しをしたら直接領主の館に降りてもいいということになる。


「出来れば、その許可が降りるまでは穢れとの戦いはないといいんだが」


 そんな風に思うも、多分無理だろうなとは思う。

 起こって欲しくないようなことが起きる。

 それがレイの悪運を示していたのだから。


「まぁ、今は結局何が起きるのか分からないんだし、何が起きてもいいように準備をするだけか」


 呟き、身支度を調えるとマジックテントから出る。

 するとそこには、いつものようにセトが寝転がっていた。

 いつもと少し違うのは、セトの頭にニールセンがいることか。

 これがマリーナの家なら、ニールセンの代わりにエレーナの使い魔のイエロがセトの頭部に乗っていたりするのだが。


「グルゥ」


 レイを見たセトは、少しだけ困った様子で喉を鳴らす。

 セトにしてみれば、今の状況で派手に動くと頭の上で眠っているニールセンが落ちると思ったのだろう。

 ……そう、ニールセンはセトの頭の上で眠っていた。

 いつもならニールセンは木の中で眠る。

 特にこの野営地には、妖精好きの冒険者がそれなりにいたのだ。

 最初にニールセンが姿を見せた時、妖精好きの冒険者に追われたことにより、暫くは木の中にいたくらいにはニールセンは追われるのを嫌がっていた。

 もっとも、夕食の時には料理が美味そうだからという理由で木の幹から出て来たのだが。

 その時は冒険者達に迫られるということもなかったので、結果としてその後も特に問題なく外に出ていて食事をしていた。

 それについては問題ないのだが、それが寝る時となれば話は別だ。

 眠っている時は妖精であっても何かあっても対処するのは難しい。

 だというのに、ニールセンはこうして人前で普通に眠っていた。


「いやまぁ、セトがいるからって安心してるからそういう風に出来るんだろうけど」


 セトの頭の上で眠っているニールセンだ。

 もし誰かがちょっかいを出そうとしても、セトはそれを止めるだろう。

 場合によっては、スキルを使う可能性もあった。

 とはいえ、野営地にいる冒険者達はセトがどのような存在なのかを知っている以上、下手にセトにちょっかいを掛けたりといった真似は出来ないだろう。

 唯一その可能性があるのは妖精好きの面々だったが、昨日の一件で下手に妖精にちょっかいを出した場合はニールセンに逃げられてしまうと分かっている。

 そうである以上、ここで妙なちょっかいを出したりといった真似をすればニールセンがまた木の中に隠れてしまう可能性が高い。

 そうなるよりは、離れた場所でニールセンを見るだけに留めておいた方がいいと判断するだろう。

 実際、レイも気が付いているが、離れた場所からニールセンが眠っている光景を眺めている数人の冒険者がいる。

 レイが気が付いているのだから、当然セトもそんな冒険者には気が付いている。

 しかし、害意を持って近付いてくるのならまだしも、見物している冒険者達はニールセンに対する好意を抱いているだけだ。

 その上で、ニールセンに向かって近付いてくるようなこともないので、好きにさせているというのが正しい。


(あの連中には悪いけど……)


 レイは妖精好きの面々には悪いと思いながらも、セトの頭の上で眠っているニールセンに声を掛ける。


「ニールセン、起きろ。お前がいつまでもそうやっていると、セトが自由に動けないだろ」

「んん……ちょっと、何よ……」


 レイに声を掛けられつつ、セトの頭の上で眠っているところを指で突かれると、ニールセンもそれ以上眠り続けることは出来なかったのか、不満そうな様子で目を覚ます。


「大体、何でセトの頭の上で眠ってるんだ? お前達は木の中で眠るのが普通の筈だろ?」


 そう言うと、レイの言葉を聞いていたニールセンは、突かれて起こされたことを不満そうにしつつも、大きく伸びをしてから口を開く。


「何でって……そう言えば何で私はこんな場所で寝てるの? 昨日寝る時は普通に木の中で眠った筈なのに」

「いや、それを俺に言われても分かる訳がないだろ。……けど、そうだよな。昨日ニールセンが木の中に入るのは、俺もしっかりと見てるし」


 これは間違いのない事実だ。

 レイは昨夜、エレーナと対のオーブで話し終わった後に寝ようとした時、ニールセンが近くにある木の幹の中に入っていくのをしっかりと自分の目で確認している。

 そんなニールセンが、何故今朝レイが起きるとセトの頭の上で眠っていたのか。

 その辺りはレイには全く理解出来ない。


「うーん、寝惚けて木の中から出て来た? でも、私がわざわざそんなことをする必要があると思う?」

「いや、あると思うかと俺に聞かれてもな。それに答えられる訳がないだろ? ニールセンは今までそういうことがなかったのか?」

「妖精郷でならあったけど、それ以外の場所でそんな危ない真似をする訳がないでしょ? ……はっ、もしかしてこれも穢れの仕業!?」

「そんな訳ないだろ。何でも怪しいのを穢れのせいにするのはどうかと思うぞ」


 自分が寝惚けたのを穢れのせいにしたニールセンに、呆れの視線を向けるレイ。

 穢れが何をどうすれば、木の中で眠っていたニールセンを外に連れ出すといった真似が出来るのか。

 もしそのような真似が出来るのなら、それこそもっと邪魔な……直接的に自分を殺す力を持つレイをマジックテントから出して黒いサイコロを送り込んで殺した方が手っ取り早いだろう。


「えー……でも、私は自分では木の中で眠っていたつもりなのよ?」

「寝相の悪さじゃないのか? 何なら、長にでも話を聞いてみるか」

「止めて」


 考える様子もなく、それこそ一瞬の躊躇もなくそう言ってくるニールセン。

 絶対に長にこの件を知られたくないと思っているのは間違いなかった。


(そこまで気にするようなことか? ……いや、長のお仕置きを考えると、多分実際にそこまで気にするようなことなんだろうな)


 レイにしてみれば、ニールセンの寝相が悪いのは半ば自業自得と思える。

 ただ、寝相というのは自分でどうこう出来るものではないのも事実である以上、ここでその件について突っ込んでも意味はないと判断する。


「分かった。この件についてはこれ以上何も言わないから安心しろ」

「え? 本当に? ありがとう」


 満面の笑みで感謝するニールセンだったが、もしかしたら長は現在のこの状況についても十分に理解しているのでは? と内心でレイは思ってしまう。

 それでも長が何か言ってこない以上、この状況を知っていても敢えて見逃しているのかもしれないが。

 ニールセンはそのことに気が付いていないのか、レイの言葉だけを完全に信じている様子だったが。


「それで、ニールセンが起きたところで今日はどうするのかの話だが……」

「どうするかって、基本的にはここで待ってるしかないんじゃない? 元々その為にレイはこの野営地にいるんでしょう?」

「そうだが、樵達に会いに行っておきたい。そっちの護衛も俺が任されていたのは事実だろ?」


 レイが長やダスカーから頼まれてここにいるのは、野営地と樵達が穢れに攻撃された場合は即座に対応するというのが目的だ。

 そして昨日の一件でレイは結局樵達に会っていないのを少し気にしていた。

 昨日樵達を助けてギルムに戻した後、本来なら自分が直接穢れについての説明をするつもりだった。

 しかし忙しかったこともあり、樵達が待っているギルドに向かうことは結局出来なかった。

 結果として、ギルドにいた樵達に事情を説明するのはギルドマスターのワーカーに任せている。


(多分、樵達はワーカーに事情を説明されて、かなり驚いただろうな)


 護衛の冒険者達は、ギルドにそれなりに信用されている者達なのでワーカーと会う機会は多少なりともあってもおかしくはない。

 しかし、樵達がギルドマスターと会う機会は……あるいは樵達の住んでいる場所にギルドがあった場合ならギルドマスターと会う機会はあるかもしれない。

 しかし、ギルムという辺境において唯一の街……いや、その大きさから準都市と呼んでもおかしくない場所において、ギルドマスターと会うことが出来る機会というのはそう多くはない。

 それだけに、ワーカーと会った樵達がどんな反応をしたのかは何となく予想出来るし、同時に気になるものでもあった。


「じゃあ、私はどうするの?」


 樵達に会いに行くと言ったレイに対し、ニールセンはそう尋ねる。

 ニールセンにとっては、この野営地にいる冒険者達やリザードマン達には自分の存在が知らされているので、普通に姿を現すことが出来る。

 もっとも、それを見た冒険者達の中でも妖精好きな者達からはどのような反応をされるのかというのは、また少し別の話だったが。

 とにかく、今の状況ではそのようになっている。

 だが、それはあくまでも野営地の者達がダスカーから妖精の話を聞き、ニールセンが実際にその姿を見せたからというのが大きい。

 樵達の方はその辺がどうなっているのかと、そんな疑問をニールセンが感じてもおかしくはない。

 何しろ、ニールセンは基本的にレイから離れることは出来ないのだ。

 穢れが出たと長から連絡があれば、すぐにでもレイに知らせる必要がある。

 その辺の事情を考えれば、レイと一緒に行動しないといった選択肢はない。

 妖精好きの冒険者に追われて木の中に隠れている時も、ニールセンはレイからそんなに離れるようなことはなかったのだから。

 そうである以上、レイが樵達に会いに行くというのならニールセンも一緒に行くと考えるのは当然だった。


「一応最初はドラゴンローブの中に隠れておいて、もし樵達が妖精についても聞いていたら、出て来てもいいんじゃないか? 多分聞いてるとは思うけど」


 ワーカーから穢れについて説明されているのなら、妖精についても知らされていると考えて間違いないとレイは思っていた。

 そうでなければ、穢れの説明について色々と矛盾するところがあるのだから。

 レイが問題視……いや、正確には不安に思っているのは、やはり妖精好きの冒険者……もしくは妖精好きの樵がいないかどうかだろう。

 またニールセンが追い掛けられるようなことになれば、木の中に入ったニールセンを呼び出すのに苦労をする。

 それだけではなく、その影響によってニールセンが長からの言葉を察知することが出来ないといったようなことになった場合、それはそれで面倒なことになる。

 恐らくは大丈夫だと思うのだが、ニールセンのことなのでもしかしたら……と、そんな風に思ってしまうのは決して考えすぎという訳ではない筈だった。


「一応聞いておくけど、ニールセンが木の中にいても長からの連絡を受け取ることは出来るんだよな?」

「それについては問題ないわ」

「なら、いい。……じゃあ、行くか」

「グルゥ!」


 樵達のいる場所に向かうというレイの言葉に、嬉しそうに鳴き声を上げるセト。

 この場所で寝転んでいてもいいのだが、やはりセトにしてみれば自由に走り回る方が嬉しいのだろう。


「分かったわよ。レイが行くって言うのなら一緒に行くわ。……けど、追い掛けてくるような奴がいたら、今度は反撃するんだから!」

「光を放つのは止めておけよ」


 ニールセンが跳び蹴りを放つのならともかく、覚醒した力を使うのは色々と不味い。

 そう考えて告げるレイに、ニールセンは残念そうな様子を見せつつも、その言葉に頷くのだった。

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