3057話
「お、見えたな」
セトに乗ってトレントの森を進んでいたレイは、視線の先に馬車が待っているのを見てそう呟く。
馬車の周囲には御者以外にも数人いて、一瞬盗賊か何かか? と警戒したのだが、険悪な様子はない。
寧ろ御者と友好的に話している光景を見れば、恐らく護衛なのだろうと判断するのは当然だった。
そもそもの話、馬車が待っているのはトレントの森の外……つまり、ギルムの外だ。
それはつまり、辺境で馬車が一台そこにいるということになる。
これがせめて街道沿いでの話なら、現在の街道は商人や仕事を求めてギルムにやって来る者達の安全を確保する為に、モンスターが出ないように冒険者が見回りをしたり、もしモンスターがいれば討伐したりする。
だが、馬車がいるのはトレントの森のすぐ側で、街道から離れた場所となる。
場合によってはモンスターが……それも辺境であるということで、高ランクモンスターが姿を現してもおかしくはなかった。
ましてや、現在トレントの森では多くのモンスターや動物が自分の縄張りを手に入れようと、あるいは守ろうとしているのだから、その縄張り争いに負けたモンスターや動物がトレントの森から追い出されてここに姿を現す可能性もある。
(エレーナの竜言語魔法で放ったレーザーブレスで、トレントの森に生えている木に結構な被害が出た筈だ。そうなると、消えた木々が生えていた場所を拠点にしていたモンスターや動物がまた色々と騒動を起こしそうだな)
ガガを助ける為にエレーナが放った竜言語魔法のレーザーブレス。
数匹の黒いサイコロを纏めて消滅させることが出来たという点で、その威力は明らかだったが……黒いサイコロを消滅させた上で、その射線軸上に大きな被害を与えてしまったのは事実。
それによって、またトレントの森での縄張り争いが激しくなるのだろうというのは、レイにも容易に想像出来た。
「レイ、向こうも気が付いた様子だぞ」
「ん? ああ、そうだな。手を振ってるし、こっちの存在を敵対視していないというのはありがたい」
エレーナの言葉にレイはそう言うと、軽くセトの身体を叩く。
するとセトはそれを合図としたように歩く速度を上げる。
……これで走り出すと言ったような真似をした場合、それは馬車の護衛をしている者達が武器を構えるといったようなことになったかもしれないが、今の速度で近付くのなら、敵対行為とは思わないだろう。
もっとも、セトが出て来た時点で敵対するといったようなことは考えない可能性の方が高いだろうが。
「お待ちしていました」
セトが馬車に近付くと、御者がレイ達に向かって一礼する。
御者にとっては非常に危険な場所でこうして待っていたというのに、特に不満そうな様子がない。
御者としてのプロ意識をしっかりと持っているというのもあるし、護衛が御者の身を守っていたのもこの場合は大きいのだろう。
また、護衛達もレイを目にしながら、クリスタルドラゴンの件について話してきたりしないのも、レイに好感を抱かせた。
「ありがとう。助かる。では、早速だが戻るとしようか。……レイ、ガガの件と巨大なスライムの件は、私からダスカー殿に説明しておけばいいのか?」
「それで頼む。後は……そうだな。これからのことを考えると、セトが降りる場所をマリーナの家以外に領主の館の庭にも降りられるように許可を出して欲しい。保安上の問題から難しいと思うけど、そこを何とかして」
今までレイがセトに乗ってギルムに直接降りる時は、マリーナの家だけが特別に許可されていた。
しかし、これから……具体的には穢れの件を考えると、ダスカーと直接話をすることも多くなる。
そうなった場合、レイがセトに乗って一度マリーナの家に降りて、そこから再び領主の館に行くといったようなことをした場合、どうしても面倒だ。
また、今のところマリーナの家を見張っている者達を出し抜くことに成功はしているが、いつまでもそのような真似が成功するとも限らない。
マリーナの家を見張っている者達も、その実力から見張りに回されている。
そうである以上、レイがギルムに戻ってきたのに全く気が付くことが出来なければ、最悪首になってもおかしくはなかった。
場合によっては、物理的に首を斬られる可能性もある。
そうならないように、今までよりも派手な行動を行う可能性は否定出来ない。
具体的には、マリーナの家に無理矢理入るといったように。
勿論そのような真似をすれば、家を守っている精霊が牙を剥くのだから。
しかし、今の自分の状況をどうにかする為には見張りをする者達も無理をするしかない。
その辺の状況を考えると、マリーナの家で寝泊まりしている面々にも被害が及ぶ可能性が高かった。
そうならないようにする為には、やはりここでマリーナの家に降りるのではなく領主の館に直接降りられるようにした方がいいのは明らかだ。
「そうだな。正直なところレイの希望を叶えるのはかなり難しいだろう。ダスカー殿は許可をしてもいいと思うかもしれんが、他の者達がどう思うか」
「エレーナ様の仰る通りだと思います。ダスカー様の住んでいる場所に直接降りられるとなると、護衛をしている者達にとってはとてもではないですが許容出来ないでしょう」
エレーナの言葉にアーラがそう付け加える。
それはレイも分かっているが、それでも今の自分の状況を考えると少しでも早くダスカーと連絡を取れるようにしておく必要がある。
「そうなると、まさか対のオーブをダスカー様に渡す訳にもいかないしな」
レイがダスカーと素早く連絡を取れるようにするとなると、対のオーブを使うのが一番手っ取り早いし、確実なのは間違いなかった。
しかし、エレーナが対のオーブをダスカーに貸すのを嫌がる以上、それが出来ない。
そうなると、やはり領主の館に直接降りるのが最善なのは間違いなかった。
「取りあえず、ダスカー様にその辺の話をしておいてくれ。もしダスカー様が受け入れてくれるならそれがいいけど、駄目なら駄目で仕方がない」
「レイがそれでいいのなら、話をしてみよう。どうせ色々と説明する必要があるしな」
レイが領主の館で対のオーブを使った後で起きた、ガガと巨大なスライムへのそれぞれの襲撃。
この短時間でそんなことが二度も起こるというのは、レイにとっても予想外だった。
出来ればレイがこのまま領主の館に行って説明する方がいいのかもしれないが、レイの場合はどうしても目立つ。
(こうなると、今更……本当に今更だけど、クリスタルドラゴンを倒したのは失敗だったな)
そう考えてしまう。
クリスタルドラゴンを倒した時は、その素材や情報の件で色々と……本当に色々と面倒なことになっていたと思うが、まさかこんなことになるとは予想もしていなかった。
もしこうなると分かっていれば、クリスタルドラゴンを倒しはしても、それを表沙汰にするようなことはなかっただろう。
そうなれば解体するようなことも暫くは出来なかったが。
ドラゴンの素材だけに、それこそ血の一滴まで無駄にしないようにする必要がある。
レイはエルジィンに来た当初に比べれば解体の技量は上がっていたが、それでもクリスタルドラゴンの素材を上手く解体出来るかと言われれば、その答えは否だ。
もしレイが解体した場合、結構な量の無駄な部位が出来ていたのは間違いないだろう。
「レイ、では私達は行くが、構わないか?」
「ああ、それでいい。領主の館への降下が許可されたかどうかは、対のオーブで教えてくれ」
レイの言葉にエレーナは頷き、馬車に乗る。
アーラもレイに一礼するとエレーナに続いて馬車に乗り込んだ。
「では、確実に送り届けますので」
御者も一礼して御者台に座ると、すぐに出発した。
護衛の冒険者達は何か言いたげな様子ではあったが、結局何も言わずに馬車と共に立ち去った。
「あの護衛達なら、俺がトレントの森にいるって話を広げたりしないよな?」
「どうかしら。人間の中にも自分の得になるようなことなら何でもやったりする人もいるんでしょ?」
ドラゴンローブの中から姿を現したニールセンがレイの呟きに答える。
その言葉にはレイも反対出来ずに頷く。
「そういう連中がいるのも間違いないな。ただ、見た感じあの連中はそういうことをするとは思えなかったが」
ダスカーから護衛に雇われるような冒険者達だ。
それもトレントの森の近くにまで行く馬車の護衛として雇われているのだから、ダスカーにとっても信用出来る冒険者なのは間違いないだろう。
レイも自分がダスカーにとって頼りになる冒険者であるという自覚はあったが、それでも自分以外にダスカーが信用出来る冒険者がいないとは思っていない。
そういう意味では、ダスカーに信用されている冒険者達がトレントの森の件を他人に広げるというのあまり考えられなかった。
もしそのような真似をしたら、それこそ雇い主たるダスカーを完全に裏切ることになる。
そのようなことはまずないだろうとレイは思っていた。
「ふーん。まぁ、レイがそう言うのならそれでいいけど。……じゃあ、これからどうするの? 妖精郷にそろそろ戻る? ボブ達も待ってるかもしれないし」
「おい、自然と妖精郷に戻るように誘導するな」
実際にはニールセンは妖精郷に戻るというよりも、生誕の塔の護衛をしている者達の野営地に戻りたくなかったのだろう。
先程、野営地で妖精に興味のある冒険者達に追われたのが、苦手意識となっているのだろう。
「え……い、いやね。そんなことがある筈ないじゃない? ただ、レイも一度妖精郷に戻った方がいいんじゃないかと、そう思っただけだよ」
慌てたように言うニールセンだったが、レイは呆れの視線で見るだけだ。
「言っておくが、もしこのまま妖精郷に戻ったりした場合はニールセンが長にお仕置きされることになると思うぞ?」
「ぐ……それは……」
レイが野営地に向かうのは、穢れとの戦いの為だ。
そうである以上、穢れにレイと同等の……いや、それ以上に危機感を抱いている長が、その穢れとの戦いを放棄するようにして妖精郷に戻ってきたニールセンを笑顔で迎え入れるとは思えない。
(いや、場合によっては笑みで迎えるか? ただし、その笑みは歓迎の笑みとかじゃないと思うけど)
笑みを浮かべていても、目は笑っていない。
そんな長の様子を思い浮かべるレイ。
妖精郷を助けたということもあってか、長はレイに対しては丁寧な態度で接している。
しかし、それはあくまでもレイに対してであって、妖精郷に住む妖精……特に長を悩ませることが多いニールセンにしてみれば、レイに対するのとはまた違った態度となる。
ニールセンにとっては、その態度は面白くないだろう。
ある意味では、ニールセンのように気を許しているからこそ、そのような態度を取る……といったようにもレイには思えたのだが。
「ほら、そんな訳で妖精郷に行くのは諦めろ。とっとと野営地に向かうぞ。安心しろ……って言うのはどうかと思うが、別に俺と一緒に行動しないといけない訳じゃないんだ。長から連絡があったら、すぐ俺に知らせるようなことが出来ればいいんだから」
妖精の能力の一つに、木の中に入るというのがある。
それは木の幹にある穴の中に入るといったようなものではなく、幽霊か何かのように木の中に入ることが出来るといったような、そんな能力。
妖精が寝る時に木の中に入るのに使う能力だが、別にそれだけに使うだけの能力でもない。
自分を追ってくる相手から逃げる際に使っても問題はない。
それを使えば、それこそ冒険者達に出来ることはないのだから。
……実際には生誕の塔の護衛として雇われている冒険者達である以上、ニールセンが木に隠れてもその木を切断するといった手段を使える。
だが、出来るからといってそれをやるかと言われれば、その答えは否だ。
冒険者達は妖精についての話を聞いたり、ニールセンと触れ合ったりしたいのであって、ニールセンを殺したい訳ではないのだから。
ニールセンが木の中に隠れてしまった場合、それを切断するといった真似をすればニールセンが死んでしまうかもしれない。
そうである以上、ニールセンが木の中に逃げ込んでしまえば対処することは出来なかった。
「えー……でも、木の中にいるだけだと私が暇じゃない。ただずっと何もしないで木の中にいるだけなんて、我慢出来ないわよ」
不満そうに言うニールセン。
そんなニールセンの言葉にレイは呆れの視線を向け……これ以上ここで話していても、野営地に戻るのが遅くなるだけだと判断し、セトと共に野営地に向かうのだった。
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