3035話

 レイとダスカーの穢れに関しての話はまだ続いていた。


「それで、樵達と護衛の冒険者達にですが……いえ、その前にこれを聞いておくべきでしたね。ギルドの方に穢れの件は話してるんですか?」

「ん? ああ。ワーカーには妖精郷も穢れの件も話している。さすがこの状況でそれらを話さないという訳にはいかなかったからな。……ただ、出来れば俺の口で直接説明したかったんだが、俺もワーカーも忙しいから手紙でだが」

「でしょうね」


 その説明はレイにも納得出来る。

 今こうしてレイと会うのも何とか時間を作ったダスカーだ。

 ワーカーの方でも、多くのギルド職員が忙しそうにしているのを見ている以上、そんな二人が直接会って話をしたいというのが簡単なことではないというのは、誰の目からも明らかだった。

 そうである以上、手紙でやり取りをするというのは自然なことだ。

 ……話が話である以上、少し迂闊ではないのかという思いもあったが。


「ワーカーもかなり混乱していたな」

「……あのワーカーがですか?」


 ダスカーの口から出たのは、レイにとっても意外と思う言葉。

 レイが知っているワーカーというのは、常に沈着冷静といった印象だったのだから。

 そうである以上、もし妖精郷や穢れの件について聞いても、特に動揺したりせずに『そうですか』と頷くだけなのではないかと、そう思っていたのだ。


「ああ。ワーカーにとっても、妖精郷や穢れの件については驚きだったんだろうな。特に妖精郷は」

「妖精って、伝説の存在とか言われてますしね」


 妖精の作ったマジックアイテムがある以上、妖精の存在そのものは立証されている。

 しかし、明確に妖精を見つけたという報告はない。

 勿論、個人単位で妖精に会ったという者はそれなりにいるのだが、その地の領主やギルドが妖精に対して接触したという公式的な記録はここ最近ではないのだ。

 そういう意味では、レイがセレムース草原で妖精と遭遇したという時点で一大事だったのだが。


「ああ。妖精の件が大きくなれば、間違いなく騒動になる。……いや、王都からやってくる者達がどういう人物かによって、その辺は大きく変わってくるだろうだが」

「そうなりますね。……どういう人物がやって来るのかは、まだ分からないんですか? もしやってくるのが自分の利益だけを考えているような人だった場合、最悪の結果になるかもしれませんけど」


 レイが言っているのは、大袈裟な話でもなんでもない。

 実際にもし王都からやってくる者がプライドだけは高く無能な、レイが嫌いなタイプの典型的な貴族の場合、その者が妖精郷に対してどのような態度を取るのかは考えるまでもなく明らかだろう。

 そうなれば長もそんな横暴な態度に黙っている筈はなく、反撃をする。

 もしくは、このままここにいる状態では危険だと判断して妖精郷を移してしまう可能性があった。

 実際、トレントの森に妖精郷が移ってきたのだから、そこからまた移動するのは不可能ではない。

 そうなった場合、妖精郷と取引で入手出来るマジックアイテムがなくなるのも問題だが、今の状況において穢れの情報について入手出来なくなるというのが、一番大きい。

 一応既にある程度の情報は教えて貰っているが、それが全ての情報とは限らない。

 あるいは単純に長が忘れているだけという可能性もある。

 妖精郷がなくなってしまえば、それらの情報も入手出来なくなってしまうのだ。


「その辺については王都の方でも考えている筈だ。これがもっと小さい話……それこそマジックアイテムの件だけなら、自分達の利益にならなくても、ギルムにも利益にならないようにと意図的に妖精達に横暴な態度をとってもおかしくはないが……穢れはな」


 長から聞いた話によると、穢れは下手をすればこの大陸そのものが滅ぶようなことになるという話だった。

 具体的にそれがどうなればそうなるのかは、レイにも分からない。

 レイが戦った穢れ……黒い塵の人型や、黒い塊、黒いサイコロといった諸々は普通の攻撃が通じないという意味では厄介だったが、それでもレイの魔法で倒すことが出来た。

 レイが戦った相手が穢れにとっての最高戦力ということはないだろうし、間違いなくもっと強い何かがあるというのはレイにも予想出来ている。

 しかし、それらを考えた上でも大陸が滅亡する程の事態かと言われれば、レイは素直に頷くことは出来ないだろう。

 だからこそ、穢れについてはまだ色々とあるのは間違いなく、その色々があった場合は長の……あるいは妖精郷の力を借りる必要があるかもしれない。

 そう考えると、長や妖精郷との関係を悪化させる訳にはいかなかった。


「だと、いいんですけど。……ともあれ、その件は置いておくとして、樵達についてですが。穢れや妖精について話すんですよね?」

「そのつもりだ。だが、この件については今のところ他言無用。それこそ家族に対してもな。……そう考えると、冬には故郷に帰るというのはやめさせた方がいいかもしれんな」

「そうですね。言ってはだめだと知っていても、ここだけの話……といった風に言ってしまうかもしれませんし。それと樵達に話すのなら、生誕の塔の護衛をしている者達やリザードマン達にも話した方がいいのでは?」


 レイにしてみれば、今回の件について話す必要があるのは間違いない。

 今回は樵達や冒険者達の方に黒いサイコロが姿を現したが、トレントの森にいる純粋な人数ということで考えれば、生誕の塔にいるリザードマンやその護衛の冒険者達の方が多いのだから。

 それはつまり、もし黒いサイコロのような存在が姿を現した時、被害が出る可能性が高くなるということを意味している。

 樵の護衛達は偶然にも……本当に偶然にも、誰一人として命を落とすことはなかった。

 しかし、それはあくまでも武器が黒い塵になってそうなったということであり、それはつまり偶然に近い。

 ……冒険者である以上、武器で攻撃するのだからある意味で自然なことでもあったのかもしれないが。

 ともあれ、黒いサイコロについての情報を話しておかないと危険なのは間違いない。

 そう判断したレイの考えは、決して間違ってはいないだろう。

 そしてダスカーもレイの考えに同意するように頷く。


「そうだな。そっちに説明をする必要がある。ただ、出来れば研究者達には説明したくないな」


 この場合の研究者というのは、湖の研究をしている者達だ。

 既に湖が出来てからそれなりに時間が経っているものの、それでもまだそれなりの数の研究者達は湖で色々と調べているらしい。

 しかし、そのような研究者に今回の事態について説明した場合、間違いなく面倒なことになるだろうというのはレイにも予想出来た。

 研究者の中には、自分の研究の為なら何をやっても問題ないと考えている者もいる。

 特に貴族のような権力のある者を後ろ盾にしている……それどころか、貴族の出身であった場合はそのように思う者は多かった。

 だからこそ、そのような者達に妖精や穢れについて説明した場合、どう行動するのか予想するのはダスカーやレイにとって難しくはない。

 その辺りを考えると、ダスカーとしては研究者達に妖精や穢れについて話したくはないと思うのは当然だろう。


「そっちは……取りあえずトレントの森にいる時間は少ないので、話す必要はないと思いますけど。あるいは話すにしても、ダスカー様が信頼出来る研究者だけにしておくとか」


 湖の調査を行っている研究者達の中には、ダスカーが信頼している研究者もいる。

 そのような者であれば、妖精や穢れについて知っても恐らく騒がないだろうと、そんな風に予想した。

 実際にそれが正しいのかどうかは、生憎とレイにも分からない。

 分からないが、ダスカーが信頼出来る者として考えたのなら、恐らくは問題ないだろうし、もしその相手が何か妙な真似をしたらダスカーの方でどうにかしてくれるだろうと、そう思う。

 ダスカーも、レイが何を言いたいのかは理解したのか難しい表情ではあったが頷く。


「考えておく。……だが、研究者達の方はともかくとして、この場合問題なのはやはり生誕の塔の護衛についている者達への説明だろう。もし説明をするのなら、俺が直接行く必要がある。まさか、このような重要なことをレイに頼む訳にもいかないしな」


 レイもランクA冒険者となり、その上で異名持ちだ。

 信用度という点ではかなり高いのだが……それでも今回の件について説明するには、自分が直接行った方がいいだろうというのがダスカーの判断だった。

 ギルドマスターのワーカーに頼むという手もあるのだが、それはそれで難しい。

 ダスカーも忙しいが、ギルドマスターのワーカーもまた忙しいと理解しているのだから。

 ギルドの場合はギルドマスターのワーカー以外にもギルド職員が仕事をしている。

 しかし、ギルドの場合は多数の冒険者の仕事による書類や、それ以外にも仕事をする為に必要な状態にする件……具体的には仕事をしやすいようにするといったようなことに関する書類の処理をしたりする必要がある。

 仕事そのものを考えると、ダスカーよりも非常に忙しくなるだろう。

 もしギルドマスターを説明に行かせた場合、ギルドの仕事が滞る可能性が高い。

 そうなると、ギルドの仕事が今よりも忙しくなる可能性が高かった。


「そうなると、問題なのはいつ行くかですね。……ダスカー様の方でいつそういう時間が取れます?」

「正直なところ、そういう余裕はない。ないんだが、生誕の塔にいる連中に対しては、出来るだけ早く知らせた方がいいしな」


 生誕の塔の護衛をしている冒険者達も、いつ穢れが……黒いサイコロの襲撃があるのか分からない。

 事情を知らせるのが遅くなれば、それだけ被害を受ける可能性が高いのだ。


「そうなると……マリーナに行って貰うのはどうです?」


 マリーナは前ギルドマスターとして、ギルムでも非常に有名な人物だ。

 特に生誕の塔の護衛をしている冒険者達は、全員が以前からギルムで活動していた者達……具体的には、マリーナがギルドマスターだった時代を知っている。

 そうである以上、マリーナがこの件について説明しに行っても、ダスカーやワーカーは今は忙しいので対処出来ないと言えば、その説明に納得する可能性が高かった。

 ギルドからの信頼性が高い者達である以上、変な方向にプライドが高い……具体的には、前ギルドマスターであっても今はギルドマスターではないので、その言葉を信じることは出来ない。それどころか、ただの冒険者が自分に対してそのようなことを言うとは何様のつもりだ、というように。

 そんなことにはならないので、マリーナを連れていくというのは悪い選択肢ではないと思えた。


「マリーナか。だが、マリーナも治療院で忙しいんだろう?」


 当然の話だが、治療院においてマリーナの精霊魔法が大きな役割を果たしているのはダスカーも知っている。

 もし治療院にマリーナがいなかった場合、怪我人をそう簡単に治療するのは難しく、増築工事に怪我をしたその日のうちに復帰出来る者がかなり少なくなってしまうだろう。

 それはレイも知っていたが、それでもと口を開く。


「今のダスカー様とワーカーの忙しさを思えば、マリーナが行くのが最善だと思います」


 そう言いながら、少しだけ……本当に少しだけ、エレーナを連れて行っても説得力はあるのでは? とレイは思う。

 姫将軍の異名は、前ギルドマスターの肩書きとはまた違った意味で大きな意味を持つ。

 問題なのはここがギルム……中立派を率いるダスカーの治める街で、エレーナはあくまでもその客人という扱いにすぎないということだろう。

 具体的には、増築工事によってダスカーの影響力がこれ以上強くなるのを面白く思わない貴族派の貴族が、貴族派を率いるケレベル公爵からの命令を無視してその妨害をしないようにする為の監視役といったところか。

 それ以外にも多くの貴族と面会をするという役目はあるものの、言ってみればそちらはおまけでしかない。

 生誕の塔の護衛をしている冒険者達にも姫将軍の名前は知られている。

 しかし、やはり生粋のギルムの冒険者として考えた場合、向こうがその言葉に納得するかどうかは別だった。


「エレーナの言葉を素直に信じることが出来ないのなら、対のオーブを使うといった方法もあります。それを使えば、向こうからもダスカー様の言葉でエレーナの説明に納得できるでしょうし」

「ふむ。エレーナ殿に協力して貰えるのは嬉しいし、治療院で働いているマリーナに頼むよりは影響も少ないか。だが……そうなると、貴族派に借りを作ることになってしまうな」


 難しい表情で、ダスカーはそう呟くのだった。

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