第30話 血に塗れた小屋

 ホールに戻った後もピアノの音が鳴り響いているような、幻聴にも似た錯覚がする。正体不明の何かが館に潜んでいる可能性が浮上したことにより、アリシアやジェシカは不安げに顔色を曇らせていた。


 いつまでも恐怖に震えているわけにはいかない。

 ユリリカが皆を集めて言った。


「雨が降り止んだし、館を出て調査に向かいましょう」

「そうですね。行きましょう、アリシアさん」

「え、ええ! 怪奇現象に怯えている暇はありませんわね!」


 冷静なシャルンがアリシアを玄関口へと促す。

 他のメンバーも彼女たちに付いていった。

 ユリリカが玄関の扉を開けようとした時に、彼女の手よりも先に扉を開けて屋外側から顔を覗かせたのは館の主だった。


「おや、もう出るのかな?」


 中身の詰まった紙袋を抱えたロズベルトが犬歯を見せて微笑む。


「ええ、まだ実習中ですので」

「そうか、そうか。ところで顔色の悪い娘たちがいるのだが、何かあったのかね?」


 ユリリカは遊戯室のピアノの件を話す。

 話を聞いたロズベルトはクク、と喉を鳴らした。


「もしかしたら、娘が遊びに来ていたのかもしれないな。キミたちを驚かせようとしたのだろう。彼女は悪戯好きだからね」

「娘さんは亡くなったはずでは……」

「ああ、そうだ。エリーゼは死んだんだった」


 独り言を漏らすかのように呟いたロズベルト。

 彼の隣を通る際に紙袋の中身が見える。何の変哲もないトマトの鮮血じみた赤色が、やけに目についた。


 館を出て歩きながら、調査場所を決める。

 そして、森の内部を本格的に調査すべきという結論が出た。


「奴らが現れるかもしれないけど、不死者でもなんでもないから殴れば倒せるわ。強気で行きましょう」

「そうですわね! わたくしの双円両刃で微塵に斬り裂いて差し上げますわ!」


 怪奇現象には怯えていたが、力で対処できる相手には強気なアリシアである。ジェシカも気を取り直したのか、真剣な顔でユリリカに頷いた。


 全員で森の入り口まで赴くと、荷物袋を背負った狩人と会う。


「あら狩人様。そんなに荷物を抱えてどういたしましたの?」

「キミたちか。今日はお姉さんのほうもいるんだね」


 B班が聞き込みをした狩人は、森付近の小屋から離れることを語った。


「昨日、また森のほうで化け物が出たんだ。さすがに小屋にいるのは危険だと思ったから、家に帰ることにしたよ」

「そうしたほうが賢明ですわね」

「キミたちは森に調査に行くのかい?」

「ええ、化け物たちの正体を解明しなければなりませんもの」

「くれぐれも気をつけるんだ。危なくなったら逃げるんだよ。ああ、もし休憩所が欲しかったら小屋を使ってくれ。調理器具やベッドは一通り揃っているからな」


 お人好しの狩人は小屋の使用を許可してくれる。

 狩人と別れた後に小屋へと向かう。屋内は生活に必要なものが揃っており、休憩するには十分だ。


「星辰器の調整は済ませたわね。森に入るわよ」


 ユリリカの言葉に従い、一同は森の調査を開始した。

 草木が生い茂る道を警戒しながら進む。

 いつどこで奴らが現れるか分からない。動くものは見逃さず、正体を把握してから徐々に足を進めていった。


 やがて、一同は大きな湖が広がるエリアに辿り着いた。

 ここは幼き頃のルルとエリーゼが遊んでいた湖らしく、湖畔には一つの小さな小屋が寂しく建っている。


 小屋に近づくうちに、ソーニャが尻尾をピンと立たせて顔をしかめた。


「あそこから、へんな臭いがする……」


 小屋を睨みつけるソーニャ。直立した尻尾は荒れた箒のように毛羽立っている。彼女が言うには、小屋から錆びた鉄に似た臭いがするらしい。


「俺が扉を開ける。皆は警戒しておいてくれ」

「私も手伝うわ。リーダーだもの」


 扉の左に立ったシロウ。右にはユリリカが立つ。シロウは刀の鞘に指を添えて瞬時に抜けるようにしつつ、ユリリカと目配せしてから扉を開け放った。


「……これは」

「うえぇ……っ!」


 ジェシカのうめき声が狭い小屋内に響く。

 扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは血塗れの床と倒れ込む人型の物体だった。鼻腔に血の臭いと肉が腐った臭いが流れ込んでくる。


「ジェシカとソーニャは外で待機してくれ。お前たちに見せられるものじゃない」

「そ、そうする……行こう、ソーニャちゃん」

「うん」


 ジェシカとソーニャが小屋の外に出たのを確認してから、シロウたち年長組は小屋内の惨状を確かめる。


 血のこびりつく床に倒れ伏しているのは紛うことなき人間だ。

 二十かそこらの成人男性で、ボロ布と化した服を纏っていた。すでに息絶えており、死後数日は経過しているようだ。


「至る所に医療器具のようなものがありますわ……」


 アリシアの視線の先には棚に置かれた瓶とメスがある。

 瓶は大量にあり、そのどれもが空だった。シロウはアリシアの隣に立ち、血に濡れたメスを手に取る。


「まだ血が乾いていない。直近まで誰かが使っていたのか?」

「このようなものを、一体誰が何のために使うというのでしょうか?」

「それは……」


 シロウは床に倒れる死体へと振り返った。

 メスは生きた人間に使われることもあれば、死体解剖のために使われることもある。


 口元を押さえながら死体を見下ろすユリリカとシャルンのもとに行って、隅々まで死体を観察する。上着の服をずらすと、胸元にだけ斜め横に走る大きな切開の痕があった。恐らく誰かが死体の胸をメスで斬り裂いた後に縫い合わせたのだろう。


「とりあえず、いったん外に出ましょう。嫌になる臭いだわ……」


 その場の誰もがユリリカの言葉に頷き、小屋の外に出た。

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