第51話 Mechanisms of the Visible

「ブーツオン!」


 ブーツに火がともり、重力に抗う力は少女の身体を空へと舞い上がらせていく。

 しかし駆け上がった空の上で少女は自分の目を疑う事しか出来なかった。



「ッ!?な……に……これ……」

「こ……れは?だ、大地が割れて燃えて……いる……」


 少女が目にしたモノは、驚くだけでは飽き足らない程の光景だった。何故ならこの世界は大地が裂けていて、その割れ目からは幾つも火柱が立っていたからだ。

 赤々とした褐色の荒野には草木は一切生えておらず、これはどう見ても「何かが起きた」のは世界ではなく、という事は容易に想像が付く光景だった。

 いや、むしろそうでなくては困る。たった数日で人間界が滅亡してしまったと信じなくてはならないよりは、そっちの方がよっぽど救われるからだ。

 世界を元に戻すのは、少女の力だけでは到底不可能に近いが、自分が他の世界で、少女の力だけでなんとかなる可能性がある。


 だが何を見ても何を考えても、本当にここがは分かりようがない。


 だから少女は色々と考えた末にデバイスの位置情報を用いて場所の特定する事にした。

 だがデバイスは「Errorエラー」とだけ表示していたのだった。



「デバイスが「Errorエラー」を返しているから、「人間界」とは考え難いわね。まぁ、デバイスが故障してたら、そん時はもうお手上げだけど……。でもそうなると、アタシが転移を失敗したって事になっちゃうのよねぇ。はぁ」

「人間界の様子はちゃんとイメージ出来てたから、間違えるなんて考え辛いんだけどなぁ」


 1つの可能性について考えるならば「神界」から人間界に渡る際に、何かが起きたと考えるのが一番手っ取り早いだろう。

 それならば、サークル魔術陣の発動を失敗した可能性だけが残る。だが少女としては今まで一度も失敗した事がないので、そんな事は考えたくもないのが事実だ。だが一方でそれが一番高い可能性かもしれない事実のみが残っている。

 だからこそ、再度サークル魔術陣を展開する事は憚られたのだった。



 少女は何やら「ぶつぶつ」と言いながら空を駆け、何かしらの情報を探す事にした。再び転移を行うのであれば、それはもう本当に最後の手段でしかないだろう。

 ここがどこだか分からない以上、今度失敗したらそれこそだったからだ。




「何だろ……あそこ。大きな屋敷が見えるわね。中に誰かいれば何かの情報が得られるかもしれないけど、ちょっと不気味な感じがするわね……」

「ええいままよ!女は度胸!据え膳食わねばなんとやら、飛んで火にるアタシはやけっぱちの焼き栗よ!本当にヤバかったらとっとと逃げ出せばいいんでしょ!」


 少女は本当に、見付けた一軒の大きな屋敷の方へとかじを切り向かっていった。


 少女は気付いていない様子だが、アテナの加護ブレスは“行くな”と再三に渡り警告していた。しかしその警告は少女には届いておらず、アテナの加護ブレスはただただ溜め息を付いていたが、これはまぁ余談である。




 それは大きな屋敷だった。朽ち果てた荒野に佇む不相応な三階建ての屋敷だ。屋敷自体は意匠が細かく豪華な造りだが、庭には一輪の花もなく、殺風景な様相をたもっている屋敷とも言えるだろう。



しゅた


「当屋敷に何カ、ゴ用で御座いますカ?」


「あ、あの……み、道に迷ってしまって……。こ、ここに大きなお屋敷が見えたものですから、立ち寄らせて頂いたのです。な、何か道が分かる物があれば見せて頂けませんか?」


 流石に空から屋敷の中庭に降りるのは不法侵入になる。いや、それは法律があればの話しだが、例えなかったとしても家主に対して失礼な事に変わりはないだろう。だから少女は屋敷の門の手前で降り立ったのだが、降り立った少女は後ろから突然声を掛けられたのだ。

 少女は屋敷を見ながら降り立ったので、少女の後ろは屋敷の敷地内ではない。従って少女に話し掛けてきた者は、これから屋敷の中に入ろうとしていたのかもしれない。だからそんな少女は突如として声を掛けられ、動揺のあまりに声が上擦うわずってしまっていた。

 あからさまに怪しかったかもしれないが、それはもうどうしようもない。



「道に迷われたのですカ?それはお気の毒に」


「よろシければ、屋敷に上がっていって下さいまシな。今帰ってきたばかりで、すこぉシばかりお時間を取らせてシまうかもシんシょうが、困っていらっシゃるのなら、どうぞこちらへ」


 少女に声を掛けて来た男の後には1人の女性がいた。話しの内容から察するにこの屋敷の主人なのかもしれない。男がかしずいている事から、召使いを連れた女主人といったところだろう。

 女主人は少女に対して紡ぐと、そのまま召使いと共に屋敷の中へと入っていく。そして開いた門扉を潜り敷地内に入ると、少女へと振り返り手招きしていた。



「な、なんだろう?凄っごく嫌な予感しかしないんだけど……こ、ここはやっぱり丁重に断っ……」


「さ、どうぞ、こちらへ。そのまま入って来ておくんなまシ」


 少女は振り返った女主人の目を見た途端に、何も言わずにフラフラと促されるまま屋敷の中へと入って行くのであった。




「―――――それで、どちらまで行かれるんでありんすぇ?」




 少女は突然我に返った。しかし、何があったのかは分かっていない。だからなんで座って女主人と話しをしているのかすらも覚えていない。しかし取り乱す事なく冷静に、ここがどこなのかを声に出さずに分析する事にした。

 だが、質問に対しては返答しないワケにはいかないだろう。もう相手の術中に嵌っている可能性すらある。

 だから下手に刺激すれば自分の身が危うくなるのは明白だった。



「えぇ、人間界に戻る予定でしたが、気付くとこの世界に来てしまっていて」


「それはお気の毒でありんすね?何かお力になれる事があれば致シてシんシょうねぇ」


 目の前に座っている女性は足首まで隠れる黒い、ベルラインのロングドレスを着ていて頭には黒いベールを被っている。どんな顔立ちなのかは分からないが、黒いベールの隙間から覗い知れる真っ赤な瞳と、同じように赤い唇だけが少女からは見る事が出来ていた。

 更に露出している部分の肌は病的なまでに青白く、ドレスの黒と対照的なその「白さ」は明らかに常軌を逸していたのだった。



「人間界に住まいがあるんでシたら、貴女はヒト種でありんすね?間違えてこの世界に来られたんでシたら、何か事故に遭ってシまいんシたんシょうかぇなぁ」


「事故?アタシは死んだとでも言うのかしら?」


「えぇ、ここは生者が住まう世界ではありんせんもの。ここは「冥界」と呼ばれる世界でこの国は「ヘルヘイム」と呼ばれる国なんどすぇ」


「「冥界」の「ヘルヘイム」……?アタシ……転移に失敗して、死んじゃった……の」


「お気の毒さまどすなぁ。まぁ、人間界のどちらに住まわれていたかで、貴女の住むお国が決まりんシょうから、決まるまではこちらに滞在シて頂いてもらっても構いんせんよ?」


 女主人の声は、少女の思考回路を徐々に麻痺させていった。だからもう、分析もへったくれもありゃしなかった。少女は為すがままそれらの言葉を信用する事しか、出来なくなっていたのだ。

 女主人の紡ぐ言の葉はそれは酸いも甘いも噛み分けて広がる、甘い誘惑の様相を持ってきらめいており、「自分は死んだ」と告げられた事による負の感情も、背筋をおびただしくはしる悪寒も、掌の中から滲み出続けている脂汗あぶらあせも、全てが麻痺しはらわれていく感じがしていた。

 いや、実際には「祓われて」などいないのだろうが、その感情は自分が死んだという事実から目を背ける為に創り出された、幻想のようなモノが働いた結果なのかもしれないし、その感情に支配された挙句の逃げ道防衛本能とも言えるかもしれない。



-・-・-・-・-・-・-



 時は少しばかり遡る。そんなこんなで少女が「ヘルヘイム」に流れ着き、一連の流れをもって女主人の屋敷に上がり込んだ頃に、1人の男が「ヘルヘイム」の国境を越えて疾走していた。



「確かに此方こっちの方に反応があった気がしたんだがなぁ。まぁ、もう少し探してみっか」

「それにしても、厄介なコトを仰せつかっちまったモンだせ。やれやれ」


 その男は何かを探している様子でキョロキョロとしながら、辺りを散策しつつボヤいていたのだった。




「今日はもう、夜になりんシょう。ここら辺には厄介な魔獣も出ますシ、務めるお国がお決まりんなるまでは暫くこちらに滞在シておいきなまシ。なぁに、2、3日もすればお遣いが来て案内シて頂けるでありんすよ」


「そうね……それじゃお言葉に甘えようかしら……」


 少女はまるで夢現ゆめうつつの中にいるような……とでも表現したら適切かもしれないが、感覚的に表現するなら実のところ「ふわふわとした感じ」に囚われており、思考回路は完全に停止していたと言っても過言ではなかったのである。

 よって、一切合切の前向きな感情は忘却の彼方に吹き飛ばされてしまっていた。



「うふふふふ、美味シそう」




 少女はふわふわとしたまま召使いに部屋へと案内され、そこで取り敢えず一晩を過ごす事にした。案内された部屋は広く、装飾があちらこちらに施されている。だが決して華美を追求しただけと言う事ではなく、その装飾の1つ1つに凝った意匠が施されており、それは女主人のセンスの良さを匂わせていた。




「アタシ、本当に死んじゃったんだ……でもなんで死んじゃったんだろ」

「アタシ……これからどうなるんだろ?一体、どこに行けばいいんだろ?お遣いが来るっていってたけど……」


 少女から紡がれる言の葉はいつになく弱々しく、思考もネガティブになっていた。そして少女は既に自分が死んだ事に対する疑問が非常に希薄になっており、それを肯定するような気配すらあった。

 考えれば考える程に先行きの見えない不安だけが、少女の心の中に急速に成長する暗雲となって、さらに視界を狭めて闇を深くしていく。

 それは負のスパイラルであり、少女はその底なし沼に全身くまなく浸かっていたのである。



こんこん


「失礼致します。お食事の準備ガ整いましたので、主人ガ呼んでおります。此方コちらへどうぞ」


「あぁ、うん、ありがとうございます」


 少女は召使いの後をついて行くと広間に通され、エスコートされるままに椅子に腰を掛けた。

 そのテーブルの上には色とりどりのフルーツが並べられ、少女の前に運ばれて来る料理はかぐわしい香りで溢れていて、見目麗みめうるわしく香ばしい匂いが少女の理性を更に鈍らせ、快楽の赴くままにむさぼり尽くせとそそのかしていた。



「さぁ、たんとお召シ上がって心ゆくまで堪能シてくんなまシ」


「凄く美味しそう。それじゃあ、頂きまぁす」


がしゃーんッ


「ん?なぁに?」 / 「忌々シい侵入者かッ!?」


 それは、少女が手に取った骨付き肉を口元に運び、かぶりつく間際のコトだった。

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