第476話 あの夏の思い出

 そして、表情も素晴らしいぞ。

 燦燦(さんさん)と照りつける日の光を、麦わら帽子で遮(さえぎ)った顔が、喜びに溢(あふ)れている。


 僕の方を向いて、「〈タロ〉様」と声をかけられたから、硬直してしまいそうだ。

 部分的には、もうそうなってしまったよ。

 夜になったら、責任を感じて、優しく揉み解(ほぐ)して欲しい。


 ただ、しゃがみ込んで、「きゃー」「きゃー」と騒がしく、砂を掘り返す姿は、五歳くらい幼く見える。

 この場面だけ切り取ると、幼馴染と遊んだ、あの夏の思い出みたいだ。


 でも、近づくとそうじゃない。

 しゃがんで張ったお尻は、とても幼いとは言えない。

 熟(じゅ)したマンゴーのような、芳醇な匂いを漂わせているぞ。


 触ったら、きっと指の形に凹んでしまうに違いない。

 それぐらい、成熟しているってことだ。


 遠目で幼馴染を見守るのか、近づいてマンゴーを凝視するのか。

 今、僕に、究極の迷いが生まれたのだ。


 幼馴染との夏の思い出は、得難いものである。

 しかし、本能が、マンゴーを欲しいって言うんだ。

 みずみずしい果実で、喉(のど)を潤(うるお)したいと渇望(かつぼう)している。


 僕も大人に、成長したんだろう。淡(あわ)いものより、濃いものを、求めているんだ。

 こいって良いな、ってことだと思う。


 「ふふ、貝が一杯獲れますわ。〈タロ〉様も、早く来てください」


 「あはは、早く来ないと、〈サトミ〉が全部とっちゃうよ」


 「うふ、大きな貝もいるのですよ。ここは、手付かずの場所ですね」


 許嫁達は、もう沢山の貝をとっているようだ。

 三人が持っている、網の袋は、結構膨らんでいる。

 ハマグリ程度の大きさと、ホタテくらいの大きさの貝の、二種類のようだ。

 小さな方はスープが良い感じで、大きな方は殻付きで焼けば、良い味が出るだろう。


 「分かった。僕も参加するよ」


 幼馴染との淡い思い出じゃなくて、マンゴー達とのこい思い出を選んだ。

 許嫁達に呼ばれたら、ほいほいと近づくのは、最初から決まっていたことだな。

 悩む必要はなかったよ。


 ただ、究極の迷いが、また生まれてしまった。

 どこでしゃがむかを、すごく悩んでしまう。


 三人のうち、誰の後ろで、しゃがんだら良いのだろう。

 三人のお尻は、甲乙つけがたい。

 大小の差はあるが、どれも丸くてプリンとしている。

 みずみずしくって、はち切れそうな果実だ。


 僕には、三人から一人なんて、とても選ぶことなど出来ないぞ。


 「〈タロ〉様、立ったままで、どうされたのです」


 「しゃがまないと、貝はとれないですわ」


 「〈タロ〉様、〈サトミ〉の横が、空いているよ」


 しゃがんだまま、僕に話しかける、三人の胸元から、先っちょが覗いている。

 二枚の小さな桜貝のようだ。

 前にしゃがむ選択肢もあるのか。


 六通りの選択は、僕には無理だ。

 頭がオーバーヒート状態になってしまった。


 欲望が空回りして、頭が壊れてしまうぞ。

 僕は頭を冷やすため、そのまま海に飛び込むしかない。

 空冷より、水冷の方が、より冷えるのは常識だ。


 「えっ、〈タロ〉様。何をしているんです」


 「貝は十分だから、僕は海老を獲るよ」


 マンゴーと、桜貝を諦めて良いのか。


 僕は海に潜りながら、自問自答を繰り返した。

 良いはずがない。


 ただ、僕には選ぶことが、出来なかったんだ。


 困難な場面から、逃げ出してしまったんだよ。

 僕は卑怯者(ひきょうもの)なのか。


 そうじゃないと思う。

 今は貝より、海老だ。蟹でも良いと思う。


 海老か蟹を捕まえたら、許嫁達は、卑怯者の僕を許してくれるだろう。

 海老や蟹は、美味しいからな。


 自分のマンゴーと、桜貝を選ばなかったことを不問にしてくれると思う。


 そうだ。最初から、マンゴーと桜貝を見て欲しいと、思っていない可能性もあるな。

 すごく薄い可能性だけど、ないことはない。


 いきなりだけど。


 僕は、蛸(たこ)を捕まえて、海から上がってきた。


 蛸は、吸盤で僕の腕に絡みついているので、結構痛いんです。

 だから、僕が蛸に捕まえられたと考えても、間違いではないと思います。

 現に、岩の間の海老を掴もうとした手に、絡みつかれました。

 僕の手が、何かのエサに見えたのでしょう。


 僕は「ぎゃー」と心の中で叫んで、陸に急いで上がりました。

 海の中では、叫べませんし、蛸は海適性を持っています。

 墨(すみ)も、吐きやがりました。

 命からがら上がってきたのです。


 海老は、もう諦めました。蟹もです。

 蛸がいると、海老や蟹は逃げてしまうのですよ。

 岩の隙間(すきま)から、もう出てきません。


 僕も逃げてきたのですが、異常にこの蛸が、しつこい性格で嫌なヤツだったのでしょう。

 今も腕から離れません。


 「キャー、〈タロ〉様、腕が齧(かじ)られていますわ」


 「うわぁ、グネグネしているよ。気持ち悪いな」


 「ほぉー、蛸ですね。初めて生きている姿を見ました」


 蛸の吸盤で、僕の腕は赤くなっているけど、許嫁達は近寄ろうとはしない。


 「ははっ、どんなもんだい。食材ゲットだぜ」


 「ゲットって何ですの。それに、それは食べられそうにないですわ」


 「〈タロ〉様、そのグネグネを食べるの。〈サトミ〉は、ちょっと嫌だな」


 「私は蛸を、触りたくありません。料理は、〈タロ〉様がしてくださいね」


 「おぉ、任せてとけよ。見た目はアレだけど、美味しいんだぜ」

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