君を想えば、
あれから三週間が過ぎたが、以来これといった進展はなく、ただ何時もと同じような関係が続いていた。
相変わらずハルカの周りを男女が囲んでいて、笑い声が絶えない。ミノリは自分の席からそれを眺めていた。
「……ぇ、ねぇ、聞いてる?」
「でよー……って、聞いてんのか?」
「聞いてない」
頬杖をつきながらハルカは答える。彼の眼差しに堪えていたが、もう我慢が出来ない。
「もぅ、今、皆で海に行こうって話してたの」
毛先を巻いた女の子が言い放った。彼女はハルカの隣の席が定位置で、話し込むにはイスを引っ張り出すだけでことは済む。
「悪いけど、行かないから」
言い放ちつつ彼はイスから立ち上がる。大事な人がいなければ意味がないし、足を伸ばすのにも億劫になるものだろう。
「ちょっと、ハルカっ」
女子の制止には聞く耳を持たず、彼はミノリの席まで歩み寄った。
「お前はバカか」
「いきなりなんだよ」
行くなりバカにされてしまう。が、それもいいものだ。
「海……行けばいいだろ」
「聞いてたんだな」
「違うっ! 『聞いてた』んじゃなくて、『聞こえてた』んだよっ」
言い放ち、彼はフイとそっぽを向いてしまう。
「聞こえてたなら話は早いな。ミノリがいないと意味がないから、行かないんだよ」
「なんだよそれっ」
顔を元に戻すと、ふにっ、と両頬を軽くつねられる。
「……
「笑って」
笑えと言われて笑える訳がない。大体そんな器用なことが出来たら苦労はしないだろう。
「
女子が近付いてくるのが判る。ハルカは彼女に背を向けているので判らないが、ミノリの瞳には映っていた。
「ハルカっ」
高い声と共に肩に細長い指が置かれ、ハルカは渋々頬から手を離して振り返る。不機嫌さを丸出しで。
「なに?」
「海、行こうよ」
「それは別に俺じゃなくてもいいだろ?」
「よくないっ。ハルカと一緒に行きたいのっ!」
彼女は声を荒げる。どうしても、と。
「……一緒に行きたいのは、俺の方だ。でも、その子は泳げない。海に行ったとしても、荷物番をするぐらいしかないだろ?」
「その子って誰?」
「別に、知る必要はないし」
紡いだ後に、ミノリを見遣る。それはすぐに逸らされたが。
「まさか……その子って、木下くん?」
疑いの眼差しで彼女は彼を見据える。チクチクと刺さるそれは、大いに気まずさを醸し出していた。
「えっ!? いや、オレは別に……関係ない、から……」
「そうだよね。ハルカが木下くんみたいな子に興味があるわけないよね」
『みたいな子』とは失礼な。そう思ったが、なにも言えない。判ってしまった。――この子はハルカが好きなんだ。
「だって木下くん男だし、男同士なんて気持ち悪いよ」
言葉が突き刺さる。例え軽口だろうと、攻撃力は鋭利な刃物に価するようだ。二度三度と視線を泳がせ、俯いてしまう。
「ミノリ」
「え、なに……?」
名前を呼ばれ顔を上げると、彼は携帯を持っていた。
「あ……」
そこには誕生日プレゼントのパンダのぬいぐるみストラップがぶら下がっている。
「気にするなよ」
「……バカじゃねぇの」
頬を染めて視線を逸らす。
「な、なによっ! なんでハルカは木下くんに優しくするのっ?」
「優しくするとかしないとか、そんなのは俺の勝手だから」
「っ――、木下くん、なんかクラスで浮いてるし、ほっとけないんでしょ?」
「……知りもしないくせに」
掌を握りポソリと呟く。なにも知らないじゃないか。
『浮きたくて浮いている訳じゃない。知りもしないのに、適当なことを言うな!!』
そう言い掛けた言葉を寸でのところで飲み込む。荒げることはしたくなかった。
「え? なに?」
「――なんでもない」
怒りを鎮めようと、ふーとため息を吐いた。それでも、簡単に鎮められないけれど。
「ハルカは海が嫌いなのか?」
ミノリは徐に口を開く。どうにかしてあげたい。彼女の為に。
「別に嫌いじゃないけど……」
「なら行けばいいだろ。オレは行けないけど、楽しんでこればいいよ」
「……本気で言ってるのか?」
思わず眉根を寄せれば、一瞬ミノリの躯が跳ねる。なんだか怒らせてしまったらしい。その証拠にハルカの機嫌は悪くなってしまった。
「本気っていうかっ……オレだって行きたいけど、人が多いのは苦手だし……」
「今なんて?」
「え、本気っていうか……?」
「行きたいけどって、言ったよな?」
「ハルカとなら行きたいよ」
「じゃあ、行こうぜ。ミノリが行くなら俺も行くし」
いとも簡単にあっさりと言い放った。こうも変わるものなのか。
「へ?」
「ミノリが行かないなら、俺も行かない。ミノリがいないのなら、それは俺にとっては意味のないことだから」
彼は真面目な顔付きで言葉を紡ぐ。
「なっ、なにっ! な、なに言ってんだよっ」
耳まで赤く染めてミノリはイスから立ち上がった。
「バカじゃねぇのっ」
そう言い放ち、彼はその場から走り去る。恥ずかしいので教室にはいたくなかったのだ。
ミノリがいなくなった教室には一瞬にして沈黙が訪れた。誰もなにも言わず、成り行きを傍観しているようだ。
「逃げられたか」
その中でも沈黙を破るように、ハルカは短いため息を吐く。
「ハルカ……、木下くんのこと」
「――だったら、どうする?」
「どうって……」
「そうだよ。君にはどうすることも出来ない。俺が想う間は変わらないから」
「っ……」
彼女は言葉に詰まる。強い口調から彼が本当に好きだと判るから。それでも、と絞り出した声は上擦っている。
「でも……っ、同性同士なんて変じゃないっ」
「ミノリと一緒なら、どう思われてもいい。俺の世界はミノリがいるから成り立ってるんだよ。他の誰かじゃ成り立たない。君じゃ無理だ」
きっぱりと言い放った。そうして歩き始める。本当はすぐに駆け出して後を追いたかったし、空気の悪い教室には一秒だっていたくはなかったのだ。
「ハ……ハルカっ」
声を掛けられ、渋々立ち止まって振り返る。
「なんだよ?」
「木下くんはっ? 木下くんは、どう思ってるの?」
彼女は縋るように必死になって聞いてきた。それは少しの同情を誘うが、しかし怯みはしない。
「君には関係ない」
そう言い切り、踵を返して歩を進める。長い指でドアを開け、大きな音をたてながらドアを閉めた。
ミノリの行きそうなところは大体見当がつく。――多分、あそこだ。
◇◆◇◆◇◆
綺麗な青い空にゆっくりと流れる白い雲。今はその全てに近付いていた。手を伸ばせば掴めそうだ。時々、そんな幻影に囚われる。唯一近付ける場所――彼は屋上にいた。
「バカじゃねぇの……」
フェンスに背中を預ければ、カシャン、と金属音が響いた。
「くそっ」
ミノリは髪を掻き上げる。鼓動が速く躯が熱い。
「変態か、オレは」
ただ真面目な顔をされただけなのに。……言葉は意味が深かったが。
一緒に行きたいよ。一緒にいたい。でも、行くとハルカは楽しめなくなる。
「どうしよう……」
求める気持ちだけが大きすぎて、どうしようも出来ない。ずっと好きで、でも言えなかった。ハルカも自分のことが好きだったなんて知りもしなかったし、相思相愛になったのは三週間程前の話だ。
「ハルカ……」
どうしたらいいのか、と傍にいない彼の名を小さく呟く。
◇◆◇◆◇◆
当の本人――ハルカは物陰に隠れて口に手を当てていた。
あの顔は反則だろ。本人は全然気付いてはいないが、時折妙に色っぽい顔をするのだ。その顔になる時は大抵なにか悩んでいる時で、見る度に触れたいという欲望が止められなくなる。泣かしたくはないので、理性で欲望を抑え込んでいるが。
「あ、いいこと思いついた」
小声で言い放ち、二つ折りの携帯電話を取り出す。それを開き、画面上にアドレス帳を出した。何時ものように操作をし、携帯を耳に当てれば呼び出し音が耳に響く。近くから聞こえる着信音が途切れた。
『ハルカ?』
「ミノリ、今どこにいる?」
『どこって……、空に近い場所』
「そっか。ミノリは昔から空が好きだよな。なんで?」
話しながらゆっくりと地面に腰を下ろす。
『なんでって言われても、なんとなくかな。綺麗だし』
「綺麗な物なら他にもあるけど?」
『そう言われるとそうかも知れないけど……』
彼は数秒間言葉に詰まった。
『でも、オレは空が一番綺麗だと思う。皆が気付かないだけで、空には日々違う綺麗さがあるんだよ』
「そう」
『空を長く見てたからさ』
「ん? ごめんな、聞き取れなかった」
最近の携帯は性能がよく、小さな声で紡がれた言葉も難なく聞き取れていたが、わざとらしく言い放つ。
『別に、大したことないからもう言わねぇよ』
自然と唇を尖らせる姿が浮かんだ。
「じゃあ本題な。ミノリは海に行きたい?」
『行きたいけど……だって行くとハルカは楽しめないよ?』
「まだそんなこと言ってるのか」
彼は超がつく程優しかった。それは人一倍、他者を思いやっているからだろう。
『だって』
プツッ、と一方的に通話を切る。折り畳んだ携帯をポケットへと突っ込んで立ち上がった。
「解らせないとダメか」
近くから慌てるように「おい、ハルカっ!?」と聞こえた。
◇◆◇◆◇◆
ツーツーと機械音が耳に響く。
「切りやがった……」
通話を切り、携帯を折り畳みつつため息を漏らす。
「なに?」
違和感にふと目線をあげると、無言のハルカと目が合って驚いた。
「わあぁっ!? なっ……に? いい、いるならいるって言えよっ」
彼は落ち着かせるように、数秒の間ミノリの頭を撫でた。落ち着いたミノリは問う。
「何時からいたんだ?」
「電話、かけただろ? その時にはいたんだよ。まぁ、物陰に隠れてたんだけどな」
「あ、そう」
「で、ミノリくん」
ハルカはずいと顔を近付ける。いきなりの行為にミノリは躯を竦めた。
「な、んだよ?」
「ミノリは俺のこと好きだよな?」
「な、なんだよっ、いきなりっ」
「答える」
「バカかっ」
「ミノリ」
手を伸ばして両頬を包み込めば、顔を背けて呟いた。
「っ………………き」
「聞こえないよ、ミノリ」
聞こえるように言ってくれ。気持ちが同じだと、判りたい。
「好きだよっ」
「なら、一緒にいたいって思わないか?」
「思う……けど」
「決まりだ。海に行こう」
「それとこれとは――っ」
『話が違うだろ』とは言えなかった。言い掛けた言葉を飲み込む。――哀しそうな顔をしたから。
見ていたくなかった。そんな顔するなよ。笑っていてよ。笑顔が見たいんだ。
「――っかったよ。行けばいいんだろ、行けばっ」
「ありがとう」
ふ、とハルカは笑顔を溢し、ミノリの頭を撫でた。
「べ、別に、考えを改めただけだから」
どうしたって、哀しげな顔は見たくない。
君を想えば、結論は一緒にいたいんだ――。
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