第92話 あのコンビニ

 今日の筋トレメニューが終わって解散した後、俺と唯葉先輩は二人で体育教官室へ向かった。

 男子バスケ部の顧問が体育の先生だからだ。

 俺達のいるかどうかも怪しい化学教員とは全く異なる純正の顧問。

 そんな先生に俺達は会いに行く。


 体育教官室は体育館にあるため、必然的にそこで練習中の男子バスケ部と遭遇することになった。


「……よぉ」

「どうも」


 本当に入部したらしい宮永先輩がそこにはいた。

 部活をしていなかったにしては引き締まった体を見せつつ、汗をぬぐう姿はさながらスポーツマン。

 昔から見てくれだけはカッコいいのがこの人だ。


 と、そんな俺に気付いた一人の男子が歩いてくる。

 確か、植木って名前のキャプテンの人だ。


「千沙山君、よかったらバスケ部に入らないか?」

「……遠慮しておきます」


 まぁそんな事を言われる気はした。

 この人達の実力は大して知らないが、選手として入部したら即戦力にはなるだろう。

 だがしかし、俺には他にやることがあるからな。


 俺の返事に植木先輩は歯を見せて笑う。


「ははっ。そうかそうか。まぁあんなバカが一緒に居たらやり辛いよな。この前はすまんかった!」

「なんで植木先輩が謝るんすか」


 練習に戻る宮永先輩の背中を指しながら笑う植木先輩。

 若干勘違いされているが、すぐに断りを受け入れてくれてありがたい。

 拒絶してもしつこく追い回してくる、どこかの馬鹿とは大違いだな。


 男子バスケ部の先輩達と別れると、唯葉先輩に言われる。


「あの、わたしたちに気を遣わなくてもいいですからね?」

「何言ってんすか。やりたいからコーチやってるんですよ」

「そうですか! えへへ、そう言われるとやっぱりうれしいですね」


 コーチを引き受けた最初はそこまで乗り気ではなかったが、もう一か月以上は一緒に居るわけで、俺もこの女子バスケ部という居場所が好きになっている。

 それに、選手として再起するのはもう無理だ。

 凛子先輩に気付かれた通り、どうしても足の怪我は切り離せない。


 そんな事を話しながら体育教官室に入り、顧問の先生に話を通す。


「そうかそうか。だがまぁ、二校で練習というのは流石にハードだな。もう一校くらいこっちで用意しよう」

「三校合同練習試合ですか! 楽しそうです!」

「それにしても、女バスがついに練習試合をできるほどの人数と熱意を取り戻すとは……」


 驚いたような顔で唯葉先輩から俺に視線を移す教官。

 厳しくて有名な先生の眼光を至近距離で受け、ちょっとビビる。


「千沙山にまさかコーチングの才能もあったとはな」

「えっと……」

「まぁいい。ちょっとそこで待っていろ」


 興味深そうに俺を見つめたままの教官は電話をかけ始めた。



 ◇



「練習試合が本当に確定しましたね!」

「そうですね」


 あの場でパパッと残り一校の対戦相手が決まった。

 流石は体育教官の人脈だ。

 電話一本で日取りも決めてしまうとは。


「頑張りますよ! なんたって実に数ヶ月ぶりですからね」

「俺も全力で指導します」


 練習の指導と試合時の指導はちょっと違うからな。

 上手くできるだろうか。

 それにうちには交代がいない。

 変な話、一人がファールアウトで退場した際に、四対五というバスケでは通常起こりえない地獄が起きてしまうのだ。


「……ファールだけは気を付けてください」

「怪我にも繋がりますしね。細心の注意を払います」


 ちっちゃい胸を叩く唯葉先輩だが、紛う事なきうちのキャプテンだ。

 それなりに信頼している。


 と、そんなこんなで先輩とも別れた。

 今日も塾があるらしく、慌てて飛んで帰った。

 そして俺は今一人で下校。


「ふぅ……」


 ここ数日、一人きりになると、毎回同じことを考えてしまう。

 それは言うまでもなく、金曜放課後の凛子先輩とのことだ。


『なんで避けないの?』


 あの質問をされたとき、心臓が止まったかと思った。

 完全に無意識だった。

 俺は本能的に拒絶せず、彼女を受け入れようとした。


 理由なんてわかっている。

 嫌じゃなかったからだ。


 凛子先輩とそういう関係になることを、俺は拒んでいない。

 だがしかし、おいそれと頷くわけにもいかない。

 俺と凛子先輩は同じ部活に所属する人間で、他にも部員は存在する。

 そしてその中には、俺に好意を寄せてくれている奴もいる。

 俺と凛子先輩が付き合い始めたら、絶対に仲が拗れてしまう。

 最悪の場合、今日決まった練習試合の件も流れ、また部員が揃わなくなり、せっかく申し込んだ公式戦にも出場できなくなる。


 だからこそ、今は先輩の気持ちに応えることはできない。

 普段通りに接していかなければならない。


「このコンビニだよな……」


 中学の時、あの冷やし中華の美人を見つけた場所だ。

 一目惚れだった。

 あれ以降、何かにつけて冷やし中華を買っていたくらいには、その女の人の事が気になっていた。


 そして、その女の人にそっくりな人が、今俺の近くにいる。


 確証はない。

 だけど、立ち振る舞いや仕草、背格好が一致する。

 大した時間見ていたわけでもないし、あれから一年以上経過している。

 だから別人である可能性も十分にあり得る。

 だがしかし、合宿の日、初めて彼女の前髪を下ろした顔を見て絶句した。

 俺が恋したあの顔が、そこにあったのだから。


「どうすりゃいいんだよ」


 初恋の人が、凛子先輩かもしれないだなんて、そんな事実をどう処理すればいいのか俺にはわからない。

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