2章-第18話

 ノックアウト。


 わたしの渾身の一撃は、美鈴みすずちゃんの意識をマサムネごとすっ飛ばし、その姿を眠れるモグラさんに変えていた。そしてマサムネに体当たりしてくれた一雷かずらい君も、狸の姿のまま安らぎの眠りに就いている。


芦名あしなさんはまだ戦闘中か。でも油断はしないようにしないと」


 巨大チワワがこちらに向かってくるかもしれないし、赤目の犬が地面から生えてくるかもしれない。まだ戦いは終わっていないのである。


「というわけで、一雷。起きて。大事なときに寝ているんじゃない」


 寝ている狸を起こそうと、揺すったりつねったりしてみる。しかし彼は気持ち良さそうな寝顔のまま「これが異世界ってやつか、へへ、楽しい冒険が始まりそうだぜ」と寝言を言うだけで、目を覚まさない。臨死体験でお試し異世界転生をしているところらしい。楽しそうだし、息の根を止めてあげた方がいいのかな?


 と、冗談はさておき(もちろん冗談ですよ?)、どうにかして起こさないと。


「ふうむ」


 わたしは一雷の体を抱きかかえると、その耳元に口を寄せた。彼はまだ「おお! 炎が出せるぜ! これが魔法か!」みたいなことを言っている。いやお前、現世こっちでも魔法みたいなことしてるし、炎なんて狐火で見飽きてるんじゃないの?


 まあいい、起こそう。


「我は鍋魔神じゃ」


 呟く。『鍋』と発音したところで一雷の体がビクンと揺れた。たぶん楽しい異世界ライフに、凶悪な鍋魔神が現れたことだろう。


「今から鍋料理を始める」


 一雷の体がガタガタと震えだす。おそらく鍋魔神はその肉体から大量の湯気を立ち上らせた。


「使うのはカツオ出汁だしと昆布出汁だし。そして狸の出汁だしじゃああああああ!」

「ぎゃあああああああああああああああ!」


 叫びながら、狸が目を覚ました。なお彼の眼前にはわたしの顔。


「おはよう」

「ぎ……」

「ぎ……?」

「ぎゃあああああああああ! 鍋魔神だ! 煮られる!」

「誰が魔神だ!」


 なるほど。彼の夢の中では、鍋魔神のモデルはわたしだったのか。


「落ち着いて。ほら、状況を思い出して」


 わたしは狸をポイッと放り捨てた。彼は起き上がると「聖オホーツク王国の女騎士はどこに消えた……?」とまだ寝言みたいなことを言っている。


 彼はしばらく周囲を見渡していた。


「ん? ああ、そうか。犬ども戦って」

「そうそう」

「クウコが俺のことを振り回してマサムネにぶつけて」

「違う違う。一雷が自らマサムネに突進したんだよ」

「そうだっけ?」

「そうそう。ほら、よく思い出して。誰もあなたのことを野球のバットみたいに振り回してはいない」

「そう……なのか? おお、そうだ。思い出したぜ。倒れたクウコにトドメを刺そうとしたマサムネに、俺は決死の体当たりをかましたんだ」

「そうそう」


 全然違うけど、それで良いです。


「ははははは! マサムネめ、てめえがいくら強くても、俺とクウコの友情パワーには勝てなかったってことよ!」


 うんうん。実際にあったのは友情パワーではなく、限りなく同士討ちフレンドリーファイアに近い一撃だったけど。


「というわけで一雷、最後の仕上げだね。残った犬たちを倒す」

「おうよ! って言ってもよお、もうすぐ芦名が片付けちまうと思うけど」


 確かに。穴に隠れた犬たちを狩る巨大な蛇の姿圧倒的な戦力を見ていると、この戦いは間もなく決着するように思えた。



***



 犬たちの始末は終わった──と、一雷の「美鈴の体からマサムネの気配が消えたぜ」という言葉により知った。


 巨大チワワは芦名さんを妨害するため、ずっとちょっかいをかけ続けていたが、芦名さんが本格的に反撃を始めると巨大チワワは一方的に打撃、巻き付き、噛みつきなどの攻撃を受け、『ふんわり柔らかケーキが床に落っこちちゃった!』みたいな惨状になっていた(グロ描写を避けるため可愛らしく表現しております)。


「そりゃこうなるか。俺たちはよぉ、マサムネ相手に時間稼ぎさえしておけば良かったんだ。まあ勝っちまったけどな。芦名も驚くんじゃねえの?」

「そうかもね。流記るきちゃんの驚いた顔、楽しみだ」


 制圧を終えた芦名さんは、ズルズルと巨体を引きずってわたしたちの前に来た。わたしは早速、今の話をする。


「流記ちゃん、お疲れ様! わたしたちね、なんとあのマサムネを倒したんだ! 凄いでしょ!」

『…………』


 しかし様子がおかしい。彼女の目には、驚きも、喜びも、ねぎらいも、そもそもなんの感情も感じられない。


 まるで人に懐くことのない、野生の蛇のよう。


「クウコ。そういやよぉ」

「なあに、一雷」

「芦名って、本体の蛇だけを切り離しておくと良くねえんじゃねえのか? 理性って人間側の体に宿ってそうだし」


 ちなみに芦名さん。左腕(本体の蛇)以外の肉体は、わたしの部屋のベッドで寝ている。


「その上で……だ。野生の感覚を取り戻しそうな楽しい楽しいモグラ狩り。ははは……、ほらあの目。てめえのことを餌としか認識してねえ」

「か、一雷。怖いこと言わないでよ……。ねえ、芦名さん、冗談だよね? 理性あるよね?」


 その蛇はチロチロと舌を出し、それから言った。


『クウコちゃん、オイシソウ……』


 良かった。わたしの名前を覚えていてくれた。


「って、喜んでいる場合じゃない!」


 たぶん僅かな理性が残っているだけだ。わたしは狸の尻尾を掴むと、全力で走り始めた。穴だらけのグラウンド、今度はわたしがモグラになって逃げるのか。


 悪夢のようなモグラゲームの始まりだった。



***



 土砂降りの夜道。幻術の学校を抜け、首ノ塚の通学路に帰ってきた。


 幻術の世界はそこそこ涼しいので、レインコートを着たまま戦っていた。わたしは近くで眠る蛇(芦名さん)を掴むと、レインコートの中に入れる。


「一雷。気付くのが遅いよ」

「ちゃんと気付いたんだから怒るなよ。だいたい通行人がいたら見られちまうし、最後の手段にしかならねえって」


 わたしたちは理性を失った芦名さんに追われて、グラウンドを逃げ回っていた。穴に隠れて、見つかったら反対側の出口から外に出て、また穴に隠れて。友達とやるなら楽しい遊びだけど、大蛇が相手じゃ恐怖しかない。


 ただ途中で一雷が気付いた。芦名さんは大雨が苦手。元の世界に帰れば、弱体化するのでは?


 というわけで幻術を解き、この場に戻ってきたわけである。そして思惑通り、すぐに芦名さんは動けなくなり、やがて眠りに落ちた。体も小さくなり、今は小さな蛇である。


「とりあえず帰ろっか。一雷はどうする? 歩いて帰る? いや、送るつもりはないから、そうしてもらうしかないんだけど」

「じゃあ聞くんじゃねえ。つーかよお、俺はともかく、美鈴をどうするんだ?」


 美鈴ちゃんはモグラ姿のまま眠っている。


 マサムネは消えてくれたけど、美鈴ちゃんがちゃんと目を覚ましてくれるのか、元通りの彼になってくれるのか、それはまだ分からない。信じて待つしかない状況だった。


「仕方ないからわたしの家に連れていくよ。怪我してるけど、モグラを病院に届けるわけにはいかないし。止血は一雷がしてくれたから命に別状はないんじゃないのかな──ありがとう、助かったよ」

「おう、俺は有能なんだぜ。って、珍しいな、てめえが礼を言うなんて」

「あなたとの会話をさっさと終わらせて、一刻も早く帰りたいだけ。わたしはね、今日は絶対に熱いお風呂に入るんだ」


 一雷は「ははははは! 照れてるんじゃねえ!」と茶化してきたが、わたしは無視してリュックに美鈴ちゃんを入れた。それから倒れたままだった自転車を起こす。


「じゃあ行くよ」


 わたしが言うと、一雷は「おうよ」と言いながら、ママチャリのカゴに飛び乗ってきた。


 意味が分からない。


「よし、行け。俺は最初から送ってもらう気満々だったぜ」

「は? まさかあなたもうちに来る気!?」

「狸の姿なら大丈夫だろ。床で寝るし」

「寝るって、泊まる気!? ちょっとそんなことになったら、わたしの部屋──」


 まるで動物園じゃないの!


 蛇と土竜もぐらと狸。見た目だけはどれも可愛いけど(え、蛇も可愛いよね?)、どれも手に負えない怪異たちであることを忘れてはならない。


 特に蛇女さん、あなたです(教訓)。

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