2章-第18話
ノックアウト。
わたしの渾身の一撃は、
「
巨大チワワがこちらに向かってくるかもしれないし、赤目の犬が地面から生えてくるかもしれない。まだ戦いは終わっていないのである。
「というわけで、一雷。起きて。大事なときに寝ているんじゃない」
寝ている狸を起こそうと、揺すったりつねったりしてみる。しかし彼は気持ち良さそうな寝顔のまま「これが異世界ってやつか、へへ、楽しい冒険が始まりそうだぜ」と寝言を言うだけで、目を覚まさない。臨死体験でお試し異世界転生をしているところらしい。楽しそうだし、息の根を止めてあげた方がいいのかな?
と、冗談はさておき(もちろん冗談ですよ?)、どうにかして起こさないと。
「ふうむ」
わたしは一雷の体を抱きかかえると、その耳元に口を寄せた。彼はまだ「おお! 炎が出せるぜ! これが魔法か!」みたいなことを言っている。いやお前、
まあいい、起こそう。
「我は鍋魔神じゃ」
呟く。『鍋』と発音したところで一雷の体がビクンと揺れた。たぶん楽しい異世界ライフに、凶悪な鍋魔神が現れたことだろう。
「今から鍋料理を始める」
一雷の体がガタガタと震えだす。おそらく鍋魔神はその肉体から大量の湯気を立ち上らせた。
「使うのはカツオ
「ぎゃあああああああああああああああ!」
叫びながら、狸が目を覚ました。なお彼の眼前にはわたしの顔。
「おはよう」
「ぎ……」
「ぎ……?」
「ぎゃあああああああああ! 鍋魔神だ! 煮られる!」
「誰が魔神だ!」
なるほど。彼の夢の中では、鍋魔神のモデルはわたしだったのか。
「落ち着いて。ほら、状況を思い出して」
わたしは狸をポイッと放り捨てた。彼は起き上がると「聖オホーツク王国の女騎士はどこに消えた……?」とまだ寝言みたいなことを言っている。
彼はしばらく周囲を見渡していた。
「ん? ああ、そうか。犬ども戦って」
「そうそう」
「クウコが俺のことを振り回してマサムネにぶつけて」
「違う違う。一雷が自らマサムネに突進したんだよ」
「そうだっけ?」
「そうそう。ほら、よく思い出して。誰もあなたのことを野球のバットみたいに振り回してはいない」
「そう……なのか? おお、そうだ。思い出したぜ。倒れたクウコにトドメを刺そうとしたマサムネに、俺は決死の体当たりをかましたんだ」
「そうそう」
全然違うけど、それで良いです。
「ははははは! マサムネめ、てめえがいくら強くても、俺とクウコの友情パワーには勝てなかったってことよ!」
うんうん。実際にあったのは友情パワーではなく、限りなく
「というわけで一雷、最後の仕上げだね。残った犬たちを倒す」
「おうよ! って言ってもよお、もうすぐ芦名が片付けちまうと思うけど」
確かに。穴に隠れた犬たちを狩る
***
犬たちの始末は終わった──と、一雷の「美鈴の体からマサムネの気配が消えたぜ」という言葉により知った。
巨大チワワは芦名さんを妨害するため、ずっとちょっかいをかけ続けていたが、芦名さんが本格的に反撃を始めると巨大チワワは一方的に打撃、巻き付き、噛みつきなどの攻撃を受け、『ふんわり柔らかケーキが床に落っこちちゃった!』みたいな惨状になっていた(グロ描写を避けるため可愛らしく表現しております)。
「そりゃこうなるか。俺たちはよぉ、マサムネ相手に時間稼ぎさえしておけば良かったんだ。まあ勝っちまったけどな。芦名も驚くんじゃねえの?」
「そうかもね。
制圧を終えた芦名さんは、ズルズルと巨体を引きずってわたしたちの前に来た。わたしは早速、今の話をする。
「流記ちゃん、お疲れ様! わたしたちね、なんとあのマサムネを倒したんだ! 凄いでしょ!」
『…………』
しかし様子がおかしい。彼女の目には、驚きも、喜びも、
まるで人に懐くことのない、野生の蛇のよう。
「クウコ。そういやよぉ」
「なあに、一雷」
「芦名って、本体の蛇だけを切り離しておくと良くねえんじゃねえのか? 理性って人間側の体に宿ってそうだし」
ちなみに芦名さん。左腕(本体の蛇)以外の肉体は、わたしの部屋のベッドで寝ている。
「その上で……だ。野生の感覚を取り戻しそうな楽しい楽しいモグラ狩り。ははは……、ほらあの目。てめえのことを餌としか認識してねえ」
「か、一雷。怖いこと言わないでよ……。ねえ、芦名さん、冗談だよね? 理性あるよね?」
その蛇はチロチロと舌を出し、それから言った。
『クウコちゃん、オイシソウ……』
良かった。わたしの名前を覚えていてくれた。
「って、喜んでいる場合じゃない!」
たぶん僅かな理性が残っているだけだ。わたしは狸の尻尾を掴むと、全力で走り始めた。穴だらけのグラウンド、今度はわたしがモグラになって逃げるのか。
悪夢のようなモグラゲームの始まりだった。
***
土砂降りの夜道。幻術の学校を抜け、首ノ塚の通学路に帰ってきた。
幻術の世界はそこそこ涼しいので、レインコートを着たまま戦っていた。わたしは近くで眠る蛇(芦名さん)を掴むと、レインコートの中に入れる。
「一雷。気付くのが遅いよ」
「ちゃんと気付いたんだから怒るなよ。だいたい通行人がいたら見られちまうし、最後の手段にしかならねえって」
わたしたちは理性を失った芦名さんに追われて、グラウンドを逃げ回っていた。穴に隠れて、見つかったら反対側の出口から外に出て、また穴に隠れて。友達とやるなら楽しい遊びだけど、大蛇が相手じゃ恐怖しかない。
ただ途中で一雷が気付いた。芦名さんは大雨が苦手。元の世界に帰れば、弱体化するのでは?
というわけで幻術を解き、この場に戻ってきたわけである。そして思惑通り、すぐに芦名さんは動けなくなり、やがて眠りに落ちた。体も小さくなり、今は小さな蛇である。
「とりあえず帰ろっか。一雷はどうする? 歩いて帰る? いや、送るつもりはないから、そうしてもらうしかないんだけど」
「じゃあ聞くんじゃねえ。つーかよお、俺はともかく、美鈴をどうするんだ?」
美鈴ちゃんはモグラ姿のまま眠っている。
マサムネは消えてくれたけど、美鈴ちゃんがちゃんと目を覚ましてくれるのか、元通りの彼になってくれるのか、それはまだ分からない。信じて待つしかない状況だった。
「仕方ないからわたしの家に連れていくよ。怪我してるけど、モグラを病院に届けるわけにはいかないし。止血は一雷がしてくれたから命に別状はないんじゃないのかな──ありがとう、助かったよ」
「おう、俺は有能なんだぜ。って、珍しいな、てめえが礼を言うなんて」
「あなたとの会話をさっさと終わらせて、一刻も早く帰りたいだけ。わたしはね、今日は絶対に熱いお風呂に入るんだ」
一雷は「ははははは! 照れてるんじゃねえ!」と茶化してきたが、わたしは無視してリュックに美鈴ちゃんを入れた。それから倒れたままだった自転車を起こす。
「じゃあ行くよ」
わたしが言うと、一雷は「おうよ」と言いながら、ママチャリのカゴに飛び乗ってきた。
意味が分からない。
「よし、行け。俺は最初から送ってもらう気満々だったぜ」
「は? まさかあなたも
「狸の姿なら大丈夫だろ。床で寝るし」
「寝るって、泊まる気!? ちょっとそんなことになったら、わたしの部屋──」
まるで動物園じゃないの!
蛇と
特に蛇女さん、あなたです(教訓)。
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