2章-第1話

「だからなんで宿題やってこないの、そしてなんで人の宿題写そうとするの」


 朝からどんよりとした空模様。そのせいか、ホームルーム前の教室内もどこかもっさりとした雰囲気だった。ただしこの男──夏川一雷かずらいには関係がない。不愉快なほど爽やかな笑顔で「宿題見せてくれ。英語と数学と生物だけでいいから」などと言うのである。それあなた全科目の宿題なのですけど?


 わたし──最上もがみクウコは、怒りすらもなく、ただ彼のことをジト目で見ていた。この男は、先月、せっせと借りを重ねておいて、見事にその恩を仇で返してくれたのである。そして今月早々また借りを作ろうとしている。どういう神経をしているのか、まったく理解できない。


「は? そんなの面倒だからに決まってるじゃねえか!」

「なんで逆ギレなの!? あのね、何度も言うけれど、わたしはもうあなたに貸しを作るつもりはないし、必要以上に親しくするつもりもない。この間、わたしになにをしたのか忘れちゃったの?」

「ははははは! もちろん覚えてるぜ。一緒にそこにいる蛇女をぶっ倒した!」

「それじゃない!」

「他になんかあったか?」

「あなたがわたしを森に迷い込ませて、全身の毛を剃ろうとした件だよ!」


 わたしは言ってからはっとなった。声が──少し大きかった。


「え、嘘。あの二人、もうそこまで関係が進んでるんだ」

「森って、そんな場所で……? ちょっとサカりすぎじゃないかな」

「剃毛プレイだと……? あの銀髪、なかなか分かってやがるな」


 小声で好き勝手言い始めるクラスメイトたち。芦名あしなさんの方を見てみたら、彼女もくすくすと笑っていた。わたしは怒りに身を任せ、彼に向かって叫ぶ。


「完璧に誤解されちゃったでしょ! 一雷が悪いんだからね! 絶対、宿題見せないから!」

「ちょっと待て今の事故はどう考えてもてめえが……うがっ!」


 わたしは辞書を投げつけてから(一雷の顔面に命中)、犬猫を追い払うように「しっしっ」と手を振った。それを見て一雷はしばらく恨めしそうにこちらを見ていたが、すぐにまた明るい表情に戻る。口元に邪気。


「分かったよ。クウコには頼まねえ。よし芦名、代わりに宿題見せろ」

「見せるわけないでしょう。馬鹿なんですか?」


 真顔の芦名さんに言われて、今度こそ一雷はショックを受けたような表情をした。


「てめえらなぁ、じゃあ俺はどうやって宿題やりゃあいいんだ!」

「自分でやれ! 一雷のアホ!」


 そこまで言われても彼は自席に戻らず、へらへらと「そんなこと言わずによぉ、頼むぜクウコちゃん」などと言い続けていた。性根の腐ったやつが鋼のメンタルなのは迷惑でしかない。



***



 一雷に宿題を渡さなかったおかげで、時間が平穏に流れていく。彼は休み時間(昼休み含む)を宿題に費やしていたので、わたしに絡みにくる余裕がなかったのである。


 そして一日の授業を終えて、ホームルームになる。六月には体育祭があり、髭面の担任からその説明があった。学校としてあまり熱の入れているイベントではないが、参加する競技を決めたりクラス別の練習があったりとやらなければいけないことはそれなりにある。


「金曜のロングホームルームで各自の参加種目は決めるぞ。考えておけよ、決まらなかったら放課後に延長戦だ。よし、号令」


 きりーっつ、礼。ありがとうございましたー。


 挨拶をして帰り支度を始める生徒たち。その頃にはバッグを持って教室から出て行こうとしている一雷(途中、一度だけこっちを睨みつけてきた。宿題のことを根に持っているのだろうけど、ざまあとしか思わない)。わたしもバッグを肩にかけ、それから芦名さんに声をかける。


「今日も送ってくれるのかな? 蛇さん」

「今日も送って良いのですか? 狐さん」


 わたしが頷くと、彼女も頷いた。とにかく危ない首ノ塚の通学路である。よこしまな狸だけでなく、わたしのことを狙う怪異はいずれ彼(と彼女)以外にも現れるに違いない……とのことなので、大通りに出るまで彼女が護衛してくれることになっている。


 彼女なりの罪滅ぼしなのか、なのか、あるいは友達だからなのか。理由は分からない。でもわざわざ確かめる必要もない。


 バッグを肩にかけ、教室を出る。駐輪場で自転車を取ってから、それを押しながら歩く。その横を芦名さんがぴたりと付いてくるが、彼女はこちらから話しかけない限り終始無言である。


「体育祭だね」


 わたしが言うと、芦名さんは「そうですね」と答えた。それっきり黙ったままである。少し間を置いてからわたしは言葉を続ける。


「芦名さんは何に出るの? 二種目選ばないといけないみたい」

「余ったやつにします。リレーでも綱引きでも、なんでもやりますよ」

「えー、リレーとか嫌じゃない?」

「走るだけです。順位とか興味ないですし」


 素っ気なく返事をされ、また会話が途切れる。彼女はたぶん雑談が好きではないのだろう──わたしも無言が苦痛になるタイプではない。無理に話をする必要はないと思い、黙って歩くことにする。


 そのまま坂道の終端まで下り、わたしは自転車に跨った。一方、芦名さんはバス停に向かって歩き始める。


「じゃあね、芦名さん」

「はい、最上さん。あ、そういえば」

「ん、なあに?」

「体育祭、二人三脚という種目もあるみたいですね。じゃあまた明日。さようなら」


 スタスタと去っていく彼女。わたしはというと『爆発しない爆弾みたいなもの』を置いていかれたような気持ちで、え、どうすればいいの?


 冗談なのか、それとも一緒に二人三脚のバディを組んで欲しいという意図なのか。惑わせるための冗談だとは思うけど……。


「分からない。まあ明日ちゃんと話そうか。てゆうか冗談だろうがなんだろうが、こっちから誘ってしまえばいいんだ」


 彼女はどんな反応をするか。もしかしたら「面白い人は嫌いです」と怒るかもしれない。



***



 一応、わたしには女子高生という属性が付与されている。栗色髪の謎生物と形容されたり中学生と勘違いされたりと見た目については多少の不足もあるが、JK値は実測値ベースでは基準値を超えているはずだし、日本社会における女子高生としての役割を十二分に果たしていることは国家も大いに認めるところであろう。


「…………」


 そして女子高生は変質者に狙われやすい。幼さと女性らしさを兼備した肉体の発育具合に加え、可愛らしい制服を装備していることにより、ある種のロリコンどもの理性を破壊し(元々、理性なんかあるのか疑わしいけど)、蛮行に走らせるのである。


 ちなみに小学生を狙うような真性ロリコンに言わせると、女子高生は『ババア』らしい。その価値観を思えば、わたしたちを狙う変態はまだ正常と言えるかもしれな──言えるか馬鹿。


 ここは首ノ塚を離れ、自宅近くの住宅街である。わたしは自転車でちんたらと走っていたが、コンビニに用事があることを思い出し、急な方向転換をした。これまで走ってきた道を戻り、角を一つ曲がったのである。


「何をしているの?」

「…………」


 男と会ったのはそこである。その男はなんと──首ノ塚高校の制服を着ていた。ただそれだけなら良いが、男の手に持っていたものが問題である。


「それ……わたしの髪の毛?」


 その男は左手に小さなビニール袋を持っていた。中には大量のが入っている。不特定多数の人間から集めたものでないことは毛の色を見て分かった。そして右手にはピンセット。


「…………」


 男はなにも答えない。ちなみにピンセットの先には髪の毛がある。栗色の癖毛、たぶんわたしの髪の毛。ビニール袋の中にあるものもすべて同じである。


「変態……?」

「変態じゃないもん!」


 男が叫んだ。(わたしが言うのもなんだが)中学生と間違えそうな童顔で、それが半泣きの表情である。


「それ……わたしの髪の毛だよね。もしかしてずっと付けてきたの? 髪の毛拾うために。そんなことをするのは変態だよ」

「仕方なく集めてるだけだもん! そうじゃなきゃ全然セクシーじゃないお前の髪の毛なんて欲しくないもん!」


 こ、こいつ……。


 わたしがセクシーじゃないという点については本人も了解するところであるため特に文句を言うつもりはないが、語尾に『もん』を付けるあたり、かなりのあざとさを感じる。


「ふうん。じゃあどんな目的で集めているのかな?」

「言わないもん」

「うん。まあわたしは問い詰めるつもりはないけど、あとで警察のお兄さんにしばかれながら尋問されると思うから頑張って黙秘してね」

「け、警察を呼ぶの!?」

「当たり前だよ! あなたの行動は純度百パーセントの変態活動だからね!」

「だから変態じゃないもん! 悪いことなんかしてないもん!」


 わたしがスマートフォンを構えたところで(通報準備)、彼は脱兎のごとく走り去ってしまった。足、速ええええええええええ!


「自転車乗ってるわたしの後を付けられるぐらいだから足は速いのは当然だろうけど……あれ、もしかして人間じゃない?」


 その様子を見てようやく理解した。わたしが相対していたのは、変態な人間ではない。変態な怪異だと。

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