1章-第6話

 窓から差し込む光は熱さえも感じるほどにリアルだった。学校の教室、わたしは自分の席近くに立っていて、森にいたときと変わらない距離に芦名あしなさんがいる。ただし一雷かずらいの姿がない。


 ここが本物の学校でないことにはすぐに気付く。放課後とはいえ、というのは不自然すぎるのだ。わたしは窓に近寄ると、誰もいないグラウンドを見た。声出しをする野球部員の姿も、ボールを蹴りながら走り回るサッカー部員の姿も、今はない。


 偽物の世界。要するに、昨日、一昨日に坂道で遭遇した『アレ』と同じ現象である。そして現象が同じであるならば、脱出の仕方も同じはず。


「芦名さん、大丈夫」

「なにがですか?」

「わたしに付いてくれば、助かるから」


 ここは学校に見えるけれど、実際にはさきほどまでいた森の中である。しばらく歩けば森の外に出ることができるし、この偽物の世界からも抜け出せる。


 わたしは方向だけ注意して歩き出し──机にぶつかって転んだ。あれ、偽物のくせに邪魔するのか。


「最上さん……あの」

「大丈夫、わたしに任せて」


 起き上がると、今度は椅子や机を避けながら歩く。ドアは閉まっていたが、今度こそはと思って体当たりしてみて、見事に弾き返された。


「最上さん……いやあの」

「大丈夫!」


 ふらふらと立ち上がって、仕方なくドアを開けてから廊下に出た。それから壁際まで歩き、ツンツンと指先で窓に触れる。硬い……。


 わたしはその窓を開けた。


「昨日は崖から飛び降りてもなにもなかった。今日も同じはず……」

「ここ三階ですよ? 

「いや、こっちに進めば」

「死にますって……、とりあえず戻ってください」

「大丈夫だって」

「ダメですって」

「わたしを信じて!」

「私の話を聞いてください。あなたよりも状況を把握していますから」


 芦名さんはわたしの髪の毛をと掴んで引っ張った。わたしは「ぐえ」とかそんな感じの声を出しながら、背中から床に倒れる。


「とりあえず教室に戻ってください。あなたからも聞きたいことがありますので」


 彼女はくるりと反転して、ドアの向こうに消えていった。引き倒すついでに受け止めてくれても良かったのに、そうしてくれなかったのは、やはり彼女がわたしに『情がわいていない』からだろう。


 仰向けのまま足を上げ、それを下ろす反動で上半身を起こす。開いたままのドア、窓際の席に腰掛ける芦名さんが見えた。



***



 とりあえず情報交換をしようということになり、まずわたしがこの三日間で起きたことをすべて芦名さんに話した。


 幻の世界なのに、二人は律儀にも自席に座っていた。日差しは本物のように思えるけど、窓を開けてみても風が吹かない。やはりこの場所、現実としては中途半端である。


「ありがとうございます。じゃあ解決策について話ましょうか」

「いや待って。わたしは芦名さんの話を聞いてないんだけど……」

「私の話?」

「うん。こんな状況にも動じてなくて──詳しいんだよね。怪異って言うのかな? こういう現象」

「私のことは──今回の件とは関係ないですし、話すつもりはないです」

「…………」


 先に根掘り葉掘り聞いておいて、ずるくない?


「話を進めますよ。たぶん最上さんの疑問はそれで解消します。最初に、一昨日と昨日、最上さんが遭遇した現象についてですね」

「うん。一雷は狸の仕業だって言っていたけど」

「タン、タン、タヌキの……なんでしたっけ、この歌。ふふ、可愛いらしい生き物だとは思いますけどね、狸さん。ただあなたの出会ったそれには、少しも可愛げがない」

「分かるの?」

「分かるもなにも、あなたにだって分かるでしょう?」


 そう言われても分からないので、首を傾げてみた。それを見て、芦名さんも同じ向きに首を傾げる。


「えっと、です。最上さんが遭遇した出来事はです。それでは犯人は誰でしょう? この誰にでも分かる簡単な問題を解いていただければ、おのずと答えは分かる……えー、分かりますよね?」

「ええ! 一雷って狸なの!?」

「……う、そこからですか? 私があなたに聞こえるように何度も彼のことを『狸』って呼んでいたのはなんのためだったのでしょうか? 無意味?」

「あ、気にはなっていたんだけどさ。だって一雷って、全然狸っぽくないし……あれのどこが狸なの?」

「人間に化けているだけですよ」

「あ、そっか。確かに狸って化けるって言うね。それはまったく考えなかった」

「…………」


 芦名さんは額に手を当てて、少し俯いた。小声で「アホという属性においてより適切に当てはまるのは、夏川君ではなくこの最上クウコアホ子なのでは?」と呟いている。いや誰がアホ子だ。


「さて、うん。分かりました。アホ子ちゃんのためにちゃんと時系列でお話しましょうか」

「アホ子言わないで……」

「じゃあアホ可愛いクウコちゃん。まず三日前の出来事。赤い目をした生き物らしきものを見たと言いましたよね?」

「はーいクウコちゃんでーす……うん。確かに見たよ」

「それは今回の件とは関係ありません。ただ危険性はありそうなので、将来的には面倒なことになることは間違いないでしょう。確率百パーセント」

「……降水確率百パーセントでも雨が降らないこともあるわけだし、なにも起こらないかもしれないね」

「そうだと良いですね……で、次からが本題です。一昨日の出来事、これは間違いなく、夏川君の仕業です」

「うん。わたしも最初はあいつが怪しいと思ったんだ」

「でも言いくるめられた挙句、家にも招待してしまい、お菓子やコーヒーを奢る約束をし、おまけにあなたにとって毒にしかならないもの──ピアスを受け取ったのですよね。どれだけ好き放題やられているのですか? あなたは」

「だって……色々と教えてくれたし。なんとかするって言われて信じちゃって──うーん、本当に犯人は一雷なの?」

「この状況で、彼を信じる道理がありますか?」

「ないなぁ」


 素行と言動。冷静に考えるまでもない。


「昨日の話をしましょう。夏川君があなたに渡したピアス、それは彼の幻術──化かしの効果を高めるものです。だから彼は今度こそあなたを術中にはめることができると思いながら、坂道で待ち伏せをしていた」

「一雷はピアスのことをお守りって言っていたけど……違うの?」

「刻印付きの銀製ピアス。魔除けの効果はありそうですね。低級の怪異に対してなら遠ざける効果もあるでしょう。ただ幻術の効果を高める細工もされているはずです」

「だから一雷は驚いたわけか。ピアスを持って幻術にかかり易くなっているはずのわたしが、あっさりと坂道の罠を突破したから」

「ピアスを盗んだ私には感謝してくださいね」

「うん。今度、芦名さんの分もコロッケ買ってきてあげるね」

「いりません」


 何故だ。コロッケ美味しいのに……。


「次は、やっと今日の話ですね。放課後、私は一人で夏川君と対決するつもりでした。だから彼を誘い込むように森へと入った。最上さん、あなたには邪魔して欲しくなかったんですよ、本当に」

「だって、芦名さんがこんなにあれこれ知っている人だとは思わなかったし、一雷はなにするか分からない人だし、あの場面なら何度でも同じ判断をするよ」

「そうでしょうね。まあ、はっきりと言わなかった私も悪かったです。ただ結果として、夏川君にとって都合の良いものがすべて揃ってしまった。幻術の効果を高めるピアスを──最上さんから盗んでいた私、ターゲットの最上さん本人、人気ひとけがなく、狸が力を発揮しやすい森という場所」

「昨日みたいに、この幻を簡単に抜け出せないのは……」

「森とピアスの力ですね。狸と侮っていましたけど、これだけの幻術を使うとなると評価を改めなければならないです」

「ええ……外に出られるよね? ずっと閉じ込められたままとか嫌だよ」

「出られますよ。この学校のどこかに、あの狸が身を隠しています。たぶん学校の備品に化けているでしょう。それを見抜いてとっ捕まえることができれば、私たちの勝ちです」

「…………」


 それ、簡単に言うけど……。学校の備品って、いくつあると思っているのだろうか。


「心配する必要はないですよ、最上さん。あの狸の気配、痕跡。一つずつ教室を見て回れば、必ず発見できます。こう見えて私、優秀なんですよ?」

「そうなんだ」


 どうやら彼女に頼っていれば、無事に脱出できそうである。


 こうしてわたしたちは、かくれんぼをする一雷タヌキを探しに、学校内の大捜索を開始したのだった。



***



「どうして見つからないのですか!?」


 自信満々だった彼女が悲壮感たっぷりの悲鳴をあげたのは、学校の敷地内を二周も回った後だった。


「教室はすべて見たはずですし、校舎の外だって隈なく調べた。彼がいかに巧妙に隠れていたとしても気配までは隠せない。絶対に」

「見てない場所があるとか?」

「ありますか?」

「ないと思う」


 わたしは自分の前髪を指でつつく。揺れるそれを眺めながら思考モード。


「芦名さん。一雷の気配は、そこにいれば絶対に気付く?」

「はい。同じ部屋にいれば確実に分かりますし、彼が通った跡を辿ることだってできます」

「気配って、匂いみたいなもの?」

「まあ、そんな感じですね」

「うーん。可能性として考えられるのは、芦名さんが口ばかり達者なポンコツであるか、または一雷の力が芦名さんの想定以上であるか」

「どちらも違うとすれば?」


 違うとすれば?


 わたしには、芦名さんが気配というものをどう知覚しているのか分からない。ただ、どんなときに見過ごしてしまうのかを想像することはできる。


 見えていないのか。あるいは見えているのに気付いていないのか。


「それなら……かもしれない。よし、芦名さん。理科室に行こう」

「え?」


 わたしは──三階の教室にいたのだが、そこから二階の理科室に向かって歩き始めた。その後ろを、疑問符を浮かべたまま、芦名さんが付いてくる。


「理科室に、彼がいるのですか?」

「さあてね。でも大丈夫。今度こそ、わたしに任せて!」

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