第575話 短刀直入

 ルッツは追加で短刀五本を仕上げ、クラウディアと共にエスターライヒ領の冒険者村を訪れた。


 村は以前見た時よりも建物の数が増え、活気に満ち溢れていた。


 迷宮の稼働は良好、宝石の取り引きなども活発であった。迷宮の宝石が尽きてしまったら、冒険者たちが来てくれなかったら、そんな心配は解消されたようだ。


 しかし村を見回すクラウディアの表情は晴れず、どうしたのかとルッツが聞いた。


「村が大きくなっているのに、管理する側の人数はそのまま。そうした歪な構造のツケは誰に押し付けられているのかと思うと、申し訳なくなってくるね」


 クラウディアは己の不明を恥じるように深くため息を吐いた。物資を用意する事と管理する事には全く別の苦労がある。この地に駐屯する騎士、マリーノの要求がなければ気付く事すらなかったのかもしれないのだ。


 もしも気付かぬまま放置していたらどうなっていただろうか。最悪の場合、ため込んでいた不満は爆発し、騎士たちと冒険者たちの間で凄惨な殺し合いが起きていたかもしれない。ここには非戦闘員も多く暮らしているが、彼らも巻き込まれ犠牲になっていただろう。


 知らなかった、ただそれだけの事で。


 組織を運営する事、人をまとめる事の難しさを改めて思い知らされた気分であった。政治の失敗は、いとも容易く人を殺す。


 悩み、その端麗な表情に暗い影を落とすクラウディア。ルッツは彼女の大きな尻をポンと叩いた。


 励ましたり慰めたりする前振りとして身体に触れるのはよくある事だがそれは通常、頭か肩、場合によっては背中くらいだろう。つい尻に触れてしまったのは一番大きくて叩きやすい部位がそこにあったからとしか言い様がない。


「ルッツくぅん……?」


 何事だよ、とクラウディアが怪訝な眼を向けた。ルッツはその視線に気付かぬふりをして話を進めた。


「ものは考えようだ。村は良い具合に発展している、人手が足りそうにない。これでエスターライヒ家に騎士の増員を申し込む条件が整った訳だ」


「ふぅン……」


 クラウディアは細い顎を撫でながら考え込んだ。


 前を見て、やるべき事をやろうというルッツの意見は正しい。増員を申し込めばルッツたちに恩義があり高潔な人物でもあるアルドル・エスターライヒ男爵は快く応じてくれるだろう。しかし、何もかもが上手くいくとは思えなかった。


 クラウディアは貴族社会というものを全く信用していない。それは善人がひとりもいないという意味ではなく、正しい事をしようとする人間が足を引っ張られ排除される構造であるという意味でだ。


 増員計画には恐らく下級貴族たちから反対意見が出る。


 それは己の存在感を示す為だけに行われる反対の為の反対なので、道理をもって説得しようとするのは無駄だろう。


 もう一押し、何かが欲しい。


「ルッツくん。この前の技術公開で打った刀、もらってもいいかな?」


「いいよ」


「相変わらずの即答だねえ……」


「尻をなでまわした代金とでも考えてくれ」


「おやおや、私のお尻もずいぶんと高値がついたものだ」


「俺にとってはそれだけの価値がある」


 クラウディアはお返しだとばかりに、ルッツの尻を強く叩いた。鍛冶仕事で鍛えられた分厚い臀部ケツはパァンとなかなかに良い音がした。


 ひとしきり笑い合ってから、クラウディアは声をひそめて言った。


「……先に使い道だけ言っておこうか。ルッツくんにとっては不本意だろうが、賄賂だよ。下級貴族たちのまとめ役っぽい奴を探して味方するよう説得する為さ」


「ああ、構わないよ」


「これまたあっさりと認めるものだね」


 ルッツは深く頷き、村を見回してから言った。


「刀を渡す事で増員が認められ、この村が豊かになり、エスターライヒ領内で宝石の取引が活発になり、領民の生活が安定する。結構な事じゃあないか」


「……それでルッツくんの美学が汚されたとしてもかい?」


「眼を閉じたままでは理想すら見えやしない。使い方はどうであれ刀で人を救えるならば、それはきっと正しい事さ」


 と、ルッツは少しだけ寂しそうに言った。


「ありがとうルッツくん。あの刀は絶対に役立ててみせるよ」


「こちらこそ。俺はただの刀馬鹿で刀を打つことしか出来やしない。それをどう活かすかはクラウに頼りっぱなしだ」


「ふふん、そこは任せたまえよ。ルッツくんたちが必死に守ったこのエスターライヒ領、必ず豊かにしてやろうじゃないか。ところで……」


 クラウディアは意味ありげに笑い、斜め前の建物に視線をやった。


「あそこでチラチラとこちらを見ている不審者がいるねえ」


「……騎士団に捕まえてもらうか」


「ははっ、素晴らしいアイデアだ」


 建物は騎士団の詰め所であり、中から物欲しげな視線を送る中年男は今回の短刀贈呈話の切っ掛けとなった元帰還兵の騎士、マリーノだ。


「可愛い短刀ちゃんが待ちきれないようだね。あんまり意地悪するのも気が引けるし、さっさと行ってあげようかねえ」


 そう言ってクラウディアはルッツの手を引いて小走りで詰め所に向かった。ルッツの作品を高く評価し心待ちにしている者がいる。それがクラウディアにとって、我が事のように嬉しかった。




「いいいぃやほぉぉぉぉぉう!」


 短刀を鞘から抜いて奇声を上げる男たち。子供のようにはしゃぐ、などと評すれば子供たちだって嫌な顔をするだろう。こんな怪しいおっさんたちと一緒にするなと。


 詰め所にいる騎士は三人、他のふたりは見回りに行っているらしい。楽しいイベントの最中でも最低限の備えは忘れないというあたり、実戦経験豊富な元帰還兵らしい。はしゃいでいる三人が見回りを押し付けられた者たちから恨まれるかどうかはまた別の話であるが。


 皆を代表してマリーノが泣き笑いのような顔で話しかけてきた。


「いやぁ嬉しい! 実にありがたい! あぁ、思わず短刀に頬ずりしてしまいそうですよ、あっはははは!」


「それだけは勘弁して下さい……」


 色々と昔の事を思い出しながら苦笑いを浮かべるルッツとクラウディアであった。


「疑っていた訳じゃないんですけどね、ちょっと図々しいお願いをしちゃったかなぁって不安になっていたんですよ。短刀を貰えたのも凄く嬉しいのですが、俺たちのような半端者との約束を忘れず守ってくれたというのも本当に嬉しいですなぁ!」


 図々しいお願いだなと考えてしまったのは事実なので、クラウディアは曖昧な笑みを浮かべたまま何も答えられなかった。


「姫様が惚れているからってだけじゃない、俺たち自身もあなた方に惚れましたよ! 力になれる事があれば何でも言ってください、あっはははは!」


 刀を頭上に掲げてくるくると踊り回るマリーノ。


 ルッツはその様子を見ながら、最近は中年男に好意を示される事が多いなと頭の片隅でぼんやりと考えていた。

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