第572話 事業拡大

 ゲルハルトがルッツを伴い、マクシミリアン・ツァンダー伯爵の執務室を訪れた。


 この組み合わせは儲け話か面倒事か、あるいはその両方か。いずれにせよ話くらいは聞かねばなるまい。


 聞きとうない、よきにはらかえ。喉まで出かかった言葉をぐっと堪えてマクシミリアンは羽ペンを置いた。


「ご心配なく、閣下。今回はただの提案でございます」


 それなりに長い付き合いである、ゲルハルトはマクシミリアンの不安を読み取って安心させるように笑いかけた。


 それなりに長い付き合いである、マクシミリアンはただの提案だと言われても警戒を解かなかった。


「閣下が進めてこられた武具生産奨励政策は軌道に乗り、年々その規模は大きくなっております」


 ゲルハルトが主君への賛辞を交えながら言った。


 ツァンダー伯爵領が武具の名産地として大きく飛躍したのはルッツの登場と刀の製法公開が切っ掛けであるが、その下地を作ってきたのは紛れもなくマクシミリアンの功績である。


 良い鉄が採れるから武具の生産を奨励した。

 良い鉄が採れるから流れ者の鍛冶屋、ルーファスがこの地に住み着いた。

 良い鉄で良い刀が生み出され、ルッツという名工が頭角を現した。


 今のツァンダー伯爵家があるのはただの偶然ではない、全ては一本の糸で繋がっていたのだ。


「どうですかな、ここらでひとつ工房を増やす許しを与えては」


「ふむ……」


 マクシミリアンは視線を書きかけの羊皮紙に落として考え込んだ。


 工房を増やして刀の生産量を上げようという理屈はわかる。しかし彼の基本的な考えは保守的であり、メリットよりも先にリスクを気にするタイプであった。


 工房をむやみに増やしてもそれが役に立つかどうかは別の話である。金と土地が無駄になり、管理の手間が増えるだけでは無意味どころか害悪でしかない。


 また、工房が増えればそれだけ一軒につき割り当てられる仕事は減り、全員が等しく貧しくなった、などという事にもなりかねない。


 やはりここは慎重に検討したいところだ。


「なあゲルハルトよ。この城塞都市には十五軒の鍛冶工房があるが、その全てが刀作りを行っている訳ではあるまい?」


「はい、閣下。積極的に取り組んでいるのが四軒、片手間で行っているのが七軒、完全に諦めている工房が四軒ございます」


 ゲルハルトは少しだけ明るい声で言った。つい最近まで積極的に取り組んでいるのは三軒だけであった。そして先日、そこにウィルソン工房が加わった。


 今は亡き友、ボルビスが遺した工房が活気を取り戻した事が嬉しいようだ。無関心を装っていたが、何だかんだで気にしていたらしい。


「やる気のない親方の尻を蹴飛ばせば済む話ではないのか?」


 今あるものだけで改善をしたいと言うマクシミリアンに、ゲルハルトはゆっくりと首を横に振って見せた。


「無理にやらせて上手くいくようなものではございません。また、鍛冶屋の仕事は刀作りだけではないので奴らの存在もまた必要です」


「ううむ……」


「また、新しい工房を建てて新しい親方を認めるというのは鍛冶屋全員に刺激を与える事になるでしょう。刀作りに本腰をいれる工房も出てくるかもしれません」


「なるほど、工房を増やす利点については理解した。しかしなゲルハルト、新しい親方が使える奴だという保証はあるまい。せっかく認めてやった新親方が怠け者の役立たずでは、良い刺激どころかむしろ悪影響しかないぞ」


 自分の利益しか考えない下級貴族と、傲慢な騎士たちに悩まされ続けてきたマクシミリアンにとって無駄に無能が増えるというのはかなり不愉快であり、なんとしても避けたいところであった。


「ご安心を。使える親方を確実に引き立てる案がございます」


「ほう……?」


 興味をひかれたか、マクシミリアンは椅子に深く座り直した。


 ゲルハルトが振り返り目配せすると、後ろに控えていたルッツがスッと前に出てきた。ルッツが一礼し、マクシミリアンは無言で頷いた。これで進言する許しをもらえたという事だ。


「親方の地位を望む者全てに刀を献上させましょう。そこで気に入った者がいれば新たな工房を開く許しを与えてやればよいかと」


「豪快だな、強引で乱暴でもある。だがわかりやすくて悪くない。しかしな、ルッツよ……」


 マクシミリアンは指先で机を叩きながら話を続けた。


「各工房の弟子どもはまともな刀が打てるのか?」


 刀作製の工程はかなり複雑である。実際、やれば儲けになると理解していながら諦めた工房がいくつもあると、つい先ほど話したばかりである。親方に出来ない事が弟子たちに出来るとは思えなかった。


 この質問にルッツはあっさりと答えた。


「出来ないでしょうね」


「おいおい……」


 こいつは何を言っているんだと呆れるマクシミリアンに、ルッツは軽く頷いてから話を進めた。


「今はまだ、です。親方になれる希望があれば皆、必死に腕を磨く事でしょう。俺も月一回くらいのペースで技術公開の場を設けようと考えております」


「期間は?」


「短すぎては修行が出来ず、長すぎてはモチベーションが保てず、一年くらいが妥当ではないかと」


 うむ、とマクシミリアンは唸るように答えた。話が現実味を帯びてきた。悪くない、やってもいいかという気になっていた。


「……わかった。まずは工房を一軒増やし、状況を見ながら二軒目三軒目と続けていこう。一年後に刀を見せに来いと、職人どもにはそう伝えておけ」


 ルッツとゲルハルトは同時に一礼し、執務室を後にした。


 マクシミリアンは羽根ペンを手に取り仕事の続きをしようとしたが、集中できずに筆は止まったままであった。


 刀を打てる工房が増えれば輸出量が増えて儲かる、というだけの話ではない。


 装飾師や付呪術師たちの仕事も増える。素材を用意する者、運搬する者たちの懐も潤う事だろう。往来する商人が増えれば宿、酒場、娼館なども利用客が増える事となる。


 人が増えればトラブルも増えるだろう、以前はそこが問題となりむやみに取り引き規模を大きく出来なかったが、今は開拓村から引き入れた元帰還兵の騎士たちがいる。治安維持に問題はない。人手が足りなくなればまたスカウトすればいい。


 マクシミリアンは羽根ペンを動かすが、羊皮紙に書かれたのは地図であり、人名であり、数字であったりと、落書きのようなものであった。


「ふ、ふふ……」


 マクシミリアンの口元に自然と笑みが湧いてくる。


 楽しい。全ての歯車が上手く噛み合って動き出した、そんな気分であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る