第571話 熱狂の時代

 その言葉を吐いたのがルッツ以外であればさほど問題にはならなかっただろう。オリヴァーあたりが『ゲハハ、そいつはいいな!』と、豪快に笑ってそれでおしまいだ。小粋な鍛冶屋ジョークで済まされる。


 ルッツには伯爵へ進言出来る伝手つてがある。つまり、ただの冗談が一気に現実味を帯びてしまったのだ。


 工房を増やすにしても、何の行動も起こさなければ新規親方は長老の弟子に決まってしまう。ならば少しでもチャンスが残るバトルロイヤルの方がまだマシだ。


 皆からの視線が集まり、ルッツはようやく自分がやらかしたのだと気が付いた。


 ……済まないクラウ、やっちゃったぜ。


 ルッツはワインの入ったコップを置いて引きつった笑いを浮かべた。


「な、なぁん……」


「なんちゃって、などと言って引っ込めるなよ」


 長老に先手を取られてしまった。いつになく真剣な視線がルッツの胸に突き刺さる。


「組合に属していないルッツどのにはわかりづらいかもしれないが、数限られた親方の地位に就くというのは職人の夢なのだ。出来れば弟子たちは全員親方にしてやりたいがそうもいかん」


 長老が語り、他の親方衆と高弟たちが何度も深く頷いていた。ルッツとしては居心地悪い事この上ない。


こいがれて夢に出る、そんな職人たちの切実な願いを、どうか嘲笑わらってくれるな。ルッツどのは冗談のつもりだったのかもしれん、だが我々は夢の実現という可能性を感じてしまったのだ」


「むう……ッ」


 男の夢を嘲笑うな。その言葉は義理と人情とロマンを抱えて生きるルッツに強い衝撃を与えた。


 職人は誰だって親方になりたい。しかし上は詰まっておりライバルも多いのでそう簡単になれるものではない。誰もが夢と堅実に折り合いをつけて寂しげな笑みを浮かべて生きているところに、ルッツが希望という火種を投げ入れたのは確かなのだ。


 絶対にやらなければならない義務がある訳ではない。


 しかしここで『うるせえなジジイ!』と叫んで椅子を蹴飛ばすのは男として格好良い振る舞いだろうか。答えはノーだ。


 男の美学と倫理観、そのふたつがルッツに無責任である事を許さなかった。


「……わかりました。今の話を実現させる為、力を尽くしましょう」


「そうか、やってくれるか!」


 長老の顔がパッと明るくなった。弟子を親方にしてやれるからなのか、それともルッツが望んだ通りの良い男であったからなのか。何故こんなにも嬉しいのか、それは長老自身にもよくわからなかった。


「しかしですね長老」


 と、ルッツが懸念を残す顔で言った。


「俺は伯爵に直接話を通せるような身分ではありません。ゲルハルトさんに、これこれこういう話が出てきたのですがいかがですかと言えるだけです。その後ゲルハルトさんが伯爵に話すかどうかまでは責任が持てません」


 それでいい、と長老は頷いた。出来る範囲で出来る限りの事をしてもらえる、それで十分だ。そしてルッツはやると言ったらやってくれる男だ。


 むしろここで『マックちゃんはマブダチで、俺の言う事はなんでも聞いてくれるんだぜ』などと大言壮語を吐かれる方がよほど不安になるだろう。


「あまり心配する事はないんじゃないか?」


 と、モモスが口を挟んだ。


「ゲルハルトさんがこんな面白い話を断るとは思えないな。むしろ手を叩きながらゲラゲラ笑うって感じじゃないか?」


「……容易に想像できますね」


 ルッツの脳内でゲルハルトの声がかなりの解像度で再生された。確かに彼ならば面白がって賛同してくれるだろう。


「ゲルハルトさんがエスターライヒ領から帰って来たら話をしておきます。それと実際に品評会をするとなれば最短でも一年後くらいになるでしょうね」


「何でだ、一ヶ月くらいじゃダメか?」


 オリヴァーが彼らしいせっかちさで聞き、ルッツは静かに首を横に振った。


「伯爵の望みは刀の輸出量を増やす事であり、求めているのは刀を作れる工房でしょう。そうでなければ親方も工房も増やす意味はない」


「うん、まあ、そこまではわかる」


「こう言ってしまうのも何ですが、皆さんは伯爵を唸らせるだけの刀を作れる自信はありますか?」


 各工房の高弟たちに向けて聞くと、彼らは悔しげな顔をして『ない』と答えた。あまり認めたくはない事だが、数々の名刀を生み出した職人を前にして意地を張っても意味のない場面だ。


「そういう訳で本腰を入れて修行する期間は必要でしょう。それと他の工房にも話を伝えねばなりません」


「……ここにある四つの工房、ここにいる八人の弟子だけで決めるってのはダメか?」


「ダメです」


 またしてもルッツはオリヴァーの頼みをバッサリと却下した。


「俺は立場上、誰かを依怙贔屓えこひいきする訳にはいきません。技術公開はする、そこに来るか来ないかは向こうの勝手です。今回もチャンス自体は平等に与えられるべきだと考えています。参加するかしないか自由です」


「そうだな、お前は最初に会った時からそういう奴だった」


 オリヴァーは苦笑いを浮かべて肩をすくめて見せた。オリヴァーがルッツに刀の製法を教えてくれと頼んだのが全ての始まりであった。その時、ルッツが出した答えは親方衆全員に公開する事であった。そういう男なのである。


「まあいいじゃないかオリヴァー」


 と、モモスが諭すように言った。


「既に刀作りを見学しているという点で、私たちの弟子が有利である事に変わりはないのだからな」


「そりゃまあ、そうだけどよ……」


「それとも、弟子を一流の職人に育て上げる自信がないのか?」


「へっ、テメェこそ弟子に追い抜かれて親方の椅子を奪われました、なんて事にならないようにな」


 親方ふたりが睨み合っていた頃、彼らの弟子は、


「うちの親方がいつもすいません……」

「いえいえ、こちらこそ……」


 などと謝り合っていた。こうした光景にはすっかり慣れっこであるらしい。


 皆、早く工房に戻りたいだろうという事で食事会は終了、解散となった。


 残った料理を包んでもらい帰路につくルッツは、


 ……さて、クラウに何と説明したものか。


 などと首を捻って悩んでいた。


 怒られた。




 情熱と激動の食事会から一ヶ月後。


 エスターライヒ領の情勢は落ち着いたようで、ゲルハルトが戻って来た。政治がらみの仕事ばかり押し付けられて少々不機嫌であったゲルハルトだが、ルッツが面会を求め食事会での出来事を話すと、


「なるほど、そりゃあいい!」


 と言って腹を抱えて笑っていた。


 ゲルハルトが絶賛してお勧めするなら伯爵も反対はしないだろう。


 つまり、高弟たちの親方争奪戦は決定事項である。

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