第570話 災いの元
ルッツが長老の工房を訪れた時、既に親方衆は集まっていた。
長老、オリヴァー、モモスといったいつものメンバーに加えて短刀製作会に来ていた高弟たち、そしてウィルソンの姿もあった。
そうか、彼らも受け入れられたのだなと、他人事ながら何となく嬉しくなるルッツであった。
親方衆はウィルソンが作ったという短刀を見ながら笑っていた。それは嘲りではない、自分たちもこういう失敗をしたぞという同調の笑いであった。
「どうも」
「おう、来てくれたか」
ルッツの姿に気が付くと長老は隣の席を勧めた。至極当然とばかりにルッツを自分の隣に座らせる長老にオリヴァーとモモスが眉をひそめるが、彼はこの工房の主であり食事会の主催者なので文句も言えなかった。
……なるほど、そういうものか。
と、ルッツは納得したように小さく頷いた。
この食事会は長老が同業者たちに『伯爵家お抱え鍛冶師どのと一番親しいのはわしだぞ』とアピールする場でもあるのだ。以前は偉い人たちは何故パーティを開きたがるのかと疑問に思っていたが、そこには様々な思惑があるものだなと、何となく理解出来るようになったルッツであった。
長老がパンパンと手を叩くと、奥の部屋から料理の盛られた大皿を持った女性たちが現れた。職人たちの家族であろうか、老婆、中年、若い女性と年齢は様々である。長老はルッツに期待するような眼を向けるが、全くの無反応であるのを見てため息を吐いた。
うちの孫娘はどうですか、可愛いでしょう。そういった話に持って行きたかったらしい。このジジイまだ諦めていなかったのかと、オリヴァーとモモスが長老に呆れたような視線を向けていた。
大きなテーブルに大きな皿が次々と並べられていく。スープ、串焼き肉、揚げ物、ゆで肉、ソーセージ、焼き魚。そして樽ごと持ち込まれた大量の酒。全体的に茶色い、まさに男の宴会飯である。
「堅苦しい挨拶などは抜きにしましょう。さ、どうぞ」
長老が勧め、他の客たちもじっとルッツを見ている。まずは主賓が口を付けねば始まらないのか、普段は礼儀作法などくそくらえといった態度であるのに妙なところでしっかりしているのだなと考えながらルッツは串焼き肉に手を伸ばした。
焼きたてを持ってきたのか、肉はジュウジュウと音を立て湯気を昇らせている。顔を近づけるとニンニクとハーブの香りが鼻腔を刺激した。どうやらかなり丁寧に下味を付けているようだ。
……これは絶対に美味いやつだな。
そう思いながらかぶりつく。肉はルッツの期待を裏切らなかった。
肉、肉汁、塩、ニンニクとハーブ。様々な味が口の中で混ざり合い、それをワインで流し込むのは至福のひとときであった。
「うん、美味い!」
その感想を切っ掛けに、参加者たちは待っていましたとばかりに料理へ手を伸ばした。肉を大量に食える機会などめったにないと、職人たちは貪るように料理を腹に詰め込んでいった。
ルッツがスープ皿に手を伸ばすと、そこには肉団子が浮かんでいた。何もかもが肉尽くしである。
肉団子には脂とハーブが練り込まれており口当たりはまろやか、そして塩とコショウがしっかりと味を引き締めていた。
肉は高級品であり、香辛料は貴重品である。それをこうもふんだんに使えるのは長老の財力と、ルッツを歓迎する事への本気度がうかがえた。
「技術の秘匿は大事だが……」
と、赤ら顔のオリヴァーが呟いた。
普段から『酒と女と鉄が生き甲斐です』といった顔をしているが、ひょっとすると酒に弱いのかもしれない。
「やり過ぎて弟子が育たないってもの不味いよなあ。最近はそんな事ばかり考えているぜ」
オリヴァーの意見にウィルソンが深く頷いた。彼もまたつい先日、その結論に至ったばかりである。
「とは言え、何もかも吐き出して自分の立場を危うくする訳にもいかんからな」
モモスの言葉に反論する者はいなかった。職人を保護する法の整っていない社会において、技術を与えるのは財産を分け与えるに等しい行為だ。
やりすぎて自分が無一文になっては眼も当てられない。何も与えず弟子たちが貧しくなってもいけない。そのバランスが難しい。
「そもそも何で親方の地位を必死に守らなきゃならんのかといえば、親方の数が限られているからだよな」
ソーセージに手を伸ばしながら言うオリヴァーに、長老は眉根を寄せながら答えた。
「組合の定員制を否定するつもりか? そんな事をすれば腕の悪い職人が一斉に親方を名乗りだし、粗悪品ばかりが出回る事になるぞ。結局、鍛冶屋全ての評判を悪くするだけだ」
「それと仕事の割り振りなども上手く行かなくなりますからね」
ウィルソンが切実な表情で言った。
定期的に開かれる組合の会合では釘や武具、蹄鉄などの大量注文を各工房に割り振っていた。忙しい工房にはそれなりに、暇な工房には仕事を多く任せるといったようにである。
こうした制度があればこそ、あまり評判の良くないウィルソン工房もなんとか食っていく事が出来たのだ。意識改革こそ始まったものの、結果を出すには時間がかかるので定員制の撤廃など賛同出来るはずもなかった。
「いやいや、俺も別に今のシステムを完全破壊しろとまでは言わねえさ。ただ伯爵領内の鍛冶技術が上がって取引規模も大きくなったんだから、それに応じて工房を増やすくらいの事はしてもいいんじゃねえか?」
親方の椅子を譲るつもりはないが、優秀な弟子をいつまでも飼い殺しにしておくのも気が引ける。
他の親方たちも賛同するように頷いた。
「しかしなオリヴァー、私たちだけで勝手に増やす訳にはいかんだろう。伯爵の許しを得ないとな」
モモスが焼き魚を手掴みで齧りながら言った。
「それと増やせたとしても一軒か二軒だろう。誰が新しい親方になるのか、それが問題だ」
誰だって自分の工房から新たな親方を出したかった。何もしなければそれは長老の弟子から選ばれる事になるだろう。今は長老が主催する食事会、彼の存在感と影響力を示されている真っ最中なのだ。
親方衆と高弟たちが牽制し合うような視線を交わす中で、ルッツがのんびりと口を開いた。
それは飲み慣れぬワインのせいか、それとも腹がふくれて眠くなったせいか、火に油を注ぐような事を言ってしまった。
「お弟子さんたちが伯爵に武具を献上して、一番気に入ってもらえた人でいいんじゃないですか?」
シンと場が静まり返り、緊張感を含んだ視線が一斉にルッツへ向けられた。
……どうやら何かまずい事を言ってしまったようだ。
口は災いの元。そんな言葉を思い出すのは、いつだって手遅れになってからだ。
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