第42話 月下の密約

 ダンスホールを抜け出して月明かりが照らすバルコニーに二人きり。これが美しい女性とならばロマンチックなのだろうが、残念ながら待っていたのはいかつい顔の男であった。


 愛想笑いを浮かべる必要もなくなったか、ベオウルフがじろりとマクシミリアンを睨み付けた。


「今から話すことは他言無用だ」


 じゃあ聞きたくないです、と言えればどれだけ楽だったか。


「蛮族どもとの和平交渉が水面下で進んでいる」


「それは、おめでとうございますと言うべきでしょうか」


「無駄金を使わなくて済むなら結構な事だ」


 南の国境際で異教徒の国ともう十年ほど小競り合いを続けていた。大きな争いに発展することは無いとはいえ、ずっと軍隊を張り付けているのは国庫に大きな負担をかけていた。


 周辺の村も荒れ放題であり、両国が共同で増えすぎた野犬の退治をするような事まであった。


 領土は増えない、戦利品も賠償金も取れない。それでいて金と食料は消費し、たまに死人も出る。戦争に正義はあるか、悪はいるか。少なくともこの戦争については無駄の一語に尽きる。


「教会の連中、異教徒の土地を占領して改宗させろと散々煽っておきながら、戦争が長期化するとわかるとあっさり手を引きやがった」


「閣下、教会を非難していると誤解されるような発言は慎むべきかと」


「……そうだな。誤解、誤解をされては困るな。私は敬虔なる神の信徒であり、国家の行く末をうれいているだけだ」


 ベオウルフは苦い物でも吐き出すように言った。そして、マクシミリアンは何故和平交渉をこっそりとやらねばならないのかを理解した。教会からの横槍を警戒しているのだ。


 損得勘定からすれば、誰も得しない戦いなどさっさと終らせた方がいい。戦争に向けるエネルギーを領地の発展に注ぎ込んだ方がよほど建設的である。


 教会の司祭たちもそれはよくわかっているはずなのだが、中には本気で異教徒を殲滅するのが神の為だと信じている者がいる。


 そういう人間が一番厄介だ。資金がどうとか、人的資源がどうとか、占領地の管理の難しさだとか、そうした問題をいくら説いても聞く耳を持たないのである。神のご意志は全てに優先される、と。


「あいつら、信仰が耳に詰まっていやがるからな」


 ベオウルフが憎しみを込めて言い、マクシミリアンは慌てて周囲を見渡した。特に誰もいないようだ。


 ツァンダー伯爵領は南の国境からは遠く、小競り合いには参加していない。たまに王家から協力金を要求されて舌打ちするくらいであった。マクシミリアンはどこか他人事のように考えていた。


 ……国境際で戦争をやっているらしい。金がかかる、ああそうなんだ。止めちゃえばいいんじゃない?


 と、それくらい他人事である。面子めんつと利益と憎悪が絡み合った状態での和平交渉が如何いかに難しいものかも、いまいちピンと来なかった。


「問題はここからだ。蛮族どもの風習でな、手打ちをする時はお互いに贈り物をしなけりゃならん。奴らの幹部のひとりに金を掴ませて聞き出したところ、『覇王の瞳』と呼ばれる特別なダイヤモンドを用意しているとのことだ」


「特別なダイヤですか。それは実に素晴らしいですねえ」


「……気楽に言ってくれるな。こちらも同等かそれ以上の物を用意しなけりゃならんのだ。そうでなけりゃ奴らから国家として下だと見なされる。信じられるか、私たちが蛮族どもから文化で劣る猿だと言われるんだぞ?」


 和平交渉が決裂するだけならばまだマシな方だ。贈り物を用意できなかったという結果は周辺国家にも伝わる事だろう。そして、舐められる事になる。


 この会談が国家崩壊のアリの一穴にもなりかねないのだ。


「具体的にダイヤモンドとはどれくらいの大きさなのでしょうか?」


「それがわからんから、こちらも何を用意すれば良いのかと悩んでいるのだ。適当な壺か彫刻でいいのか、既存の宝刀を渡せばいいのか、蛮族の王の好みに合わせてお作りしますとまで言わなきゃならんのか」


 マクシミリアンにもおぼろげながら話が見えて来た。向こうの習慣に合わせねばならないという事は、和平は王国側から言い出したのだろう。


 恐らく、蛮族どもは贈り物の価値で相手を潰すという外交を得意としている。そうやって統合吸収を繰り返して出来た国なのだ。


 ……蛮族、そうだ。蛮族という呼び方が悪い。


 異教徒とか蛮族とか、ただ同じ神を信じていないという理由で相手を見下し知ろうともしてこなかった。そのツケが回ってきたのだ。


 それを失態だと教会が認めるはずはない。認めてしまえば支配力の低下に繋がるからだ。


 この世に神はただ一人。他は全て邪教であり、唯一神を崇める聖職者たちが最も高貴な存在なのだ。そうでなくては彼らが困る。


 ここに来るまでは想像もしていなかった面倒な事態だ。和平交渉を成功させたい者、失敗させたい者がそれぞれの陣営にいるのだろう。


「マクシミリアン卿、悪いが場合によっては鬼哭刀を召し上げるぞ」


「……見返りは?」


 ベオウルフは薄く笑って、マクシミリアンの評価を一段上げた。何故かとも、嫌ですとも言わなかった。それはこの状況を正しく理解しているということだ。


 どうせ断りきれないならば少しでも有利になる条件を引き出したい。


 マクシミリアンの理解の早さよりも、見返りを求めた事をベオウルフは評価をしていた。


 ……貴族とは、そうでなくてはな。


 侯爵の威光を恐れて額を床に擦り付けるだけなら、パートナーにも共犯者にもなれないのだ。


貴卿きけいが王宮に自由に出入り出来るよう取り計らおう。それと、私が個人的に借りを作る事になる」


「二つ目の方がメリットが大きそうですね」


「あまり怖い事を言ってくれるな。なるべく早く返済したい所だな」


 と、言って二人は笑い合った。秘密を共有する事で少し打ち解けてきたのかもしれない。


「ついでと言っては何だがもう一つ謝っておこう。この約束、文書で残すわけにはいかないぞ」


「文書でなくとも構いません。代わりに何か証となる物をいただけませんか」


 食い下がるマクシミリアン。


 ベオウルフはここで、俺の事が信用できないのかと一喝すれば追い払う事は出来るだろうが、信頼関係は失われる。


 信じろと強要する事ほど信頼から程遠い行為はない。


 ベオウルフは左手で腰の剣を撫でながら考えた。これならば十分、質になるだろう。この剣を渡すことの意味は何か。じっくり話をしたのは今日が初めてという相手をどこまで信用できるのか。


 ……どこかで賭けに出なければならない場面は出てくるものだ。


 腰から剣を鞘ごと引き抜き、マクシミリアンに差し出した。


「私がこの剣を差している所を、戦場で多くの者が見ているはずだ」


 見る者が見ればベオウルフの佩刀であるとすぐにわかる。もしもベオウルフが約定を違えた場合、彼の政敵の所へ持って行って訴えれば、致命傷とは言わずともかなりのイメージダウンになるだろう。


 マクシミリアンの訴えを事実無根だと言い張っても、何故マクシミリアンがこの剣を持っているのかという点で説明が付かなくなる。


 それだけの物を差し出された。


 自分で言い出した事である、マクシミリアンはただで帰る訳にはいかなくなってしまった。


 ……なるほど、贈り物には同等の物を出さなければ無礼となる。なかなか難しいものだ。


 マクシミリアンは意を決して、鬼哭刀を差し出した。ベオウルフはしばし黙って見ていた後、それを受け取った。


「よいのか、今受け取っても?」


「全てが無事に終った時、また交換しましょう」


「わかった、大切に預かろう。何か動きがあったらこちらから連絡する」


 深く一礼し立ち去るマクシミリアンの背を、ベオウルフは顎を指先でなぞりながら興味深く眺めていた。


 ……掘り出し物とは奴自身であったかもしれぬ。


 ベオウルフの剣が重いせいか、マクシミリアンの身体が少し左に流されているのは見なかった事にしてやった。

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