第41話 伯爵の長い夜

 ベオウルフ・エルデンバーガー侯爵の屋敷で行われているきらびやかな舞踏会。宴もたけなわといった所でひとり、またひとりと脇をすり抜け別室へと消えていくが、それを気に止める者はいなかった。


 音楽と談笑が遠くに聞こえる別室には二十名ほどの男女が集まっていた。その中に、ゲルハルトのスポンサーであるマクシミリアン・ツァンダー伯爵の姿もあった。


 貴族にとって遊びとは遊ぶためだけのものではない。


 テレビも電話も無いこの時代、直接顔を会わせて話し、名前を覚えてもらうことは非常に重要であった。


 上流階級で何が流行っているかを調べ、趣味を身に付けて積極的に参加するというのも当主としての大事な役目であった。現代におけるゴルフ接待を思い浮かべれば近いかも知れない。


 マクシミリアンにとって、この武具自慢の集まりはとても都合が良かった。彼はあまり社交的ではない。口下手で他人に話しかけるのも苦手だった。


 しかしこの集まりならば白刃を抜いて自慢している者に近付いて、


「とても良い剣ですね」


 と言えば向こうも上機嫌になり話も進む。


 この集まりに何度か参加しているうちに顔見知りも出来た。元々武具や戦いの物語が好きであったので、無理して身に付けた趣味という訳でもなく自然体で接することが出来た。


 顔はなんとなく覚えているが名を思い出せない、といった程度の付き合いの子爵が手を振って来た。


「おや、マクシミリアン卿。今日は剣をお持ちで」


 と、目敏めざとく腰の刀を見つけた。


「眼の肥えた皆様の前で、自信を持って披露できる物がようやく手に入りましたよ」


「ほほう、それはそれは……」


 子爵は笑顔を浮かべたが、眼だけが笑っていない。自分を満足させられるのかと挑むような眼をしていた。


 マクシミリアンは辺りを見回して、刀を抜いて他人に当たらない事を確認してから鬼哭刀を引き抜いた。


 子爵の喉がごくりと鳴った。視線は白刃に釘付けである。今までありとあらゆる素晴らしい武器を見てきた、そんな自信はただの勘違いであったと思い知らされた。彼は強がる事すら忘れて魅入っていた。


「美しい、実にビューティフル! ファンタスティックでエロティックだ! ああ、私はこの刀で斬られて人生を終えるなら、それはそれで満足してしまうかもしれない!」


 子爵の限界突破するテンションに少し引いてしまったマクシミリアンであったが、彼の妄言の中に気になる単語があるのに気が付いた。


「刀と言いましたが、ご存じなのですか?」


 博識を誉められた子爵は満面の笑みで頷いた。


「行商人が持って来た物を何度か見たことがあります。いや、そのつもりだったと言うべきでしょうか。今夜初めて本物の刀を見たという思いです」


 そして少し声を落として聞いた。


「もしも、もしもですよ。その刀を売るとすればいかほどに……?」


「申し訳ありませんが、これを手放すつもりはありません」


 子爵は落胆した。同時に、そうだろうなと納得もしていた。


「……そうでしょうね。私が持っていればやはり、いくら積まれても手放さぬでしょう」


 武器マニアとしての最大の賛辞であった。


「ではせめて、手に取って拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」


「はい、価値のわかるお人に見ていただければ刀も喜ぶ事でしょう」


 刀を立てて、刃を自分に向けて子爵に渡した。丁寧に受け取った子爵は刀身に刻まれた文字を見てまた絶句する。


「五文字! ワォ、なんてこった! それほどの魔力に耐え得る刀身か!」


 子爵は鬼哭刀を傾けて様々な角度から刀身を眺め、さらには自分の立ち位置も変えて騒いでいた。


 何事だろうかと遠巻きに見ていた者たちが続々と集まって来た。


「何だあの変わった剣は?」

「あれは刀という物らしい」

「五文字の付呪とか嘘だろう、ただの飾りじゃないのか?」

「いや、あの輝きは本物ですぞ。魔力も感じます」

「五字というのは技術的に可能なのですか」

「王家の宝物庫にそうした剣が納められているとは聞きましたが……」


 マクシミリアンは頬がだらしなく緩むのをなんとかこらえていた。注目され、噂される事がなんとも心地よい。今まで自慢の剣を持ち込んだ事は何度もあったが、ここまで注目の的とされるのは初めてであった。


 人が、人の前で見栄を張りたがる気持ちがよくわかった。これは一種の快楽だ。


 人垣を分けて一人の大柄な男が現れた。この城の主であるベオウルフ・エルデンバーガー侯爵である。若い頃から戦場を駆け回っていた男であり、その独特な雰囲気にマクシミリアンは気圧されてしまった。


「私にも見せてもらっていいかな」


 歳は五十をいくつか過ぎているはずだが、声に張りと艶があった。なるほど、この声で叱咤されれば兵たちは喜んで死にに行くだろう。


 子爵はうやうやしく刀をベオウルフに渡した。身分差がどうであれ持ち主であるマクシミリアンに断りを入れるのが最低限の礼儀であるが、そんな事すら忘れてしまうほど子爵は緊張していた。


 マクシミリアンもわざわざ咎めようとはしなかった。騒ぎ立てて侯爵の言葉を遮るような真似をする方が悪印象で面倒だ。


「ふむ……、ふぅむ」


 ベオウルフは唸り、刀に魅入っていた。ただの興味本位で手にしたのだが、次第に本気でのめり込んでいた。


 差して歩きたい。振ってみたい。出来れば人を斬り殺したい。首を斬って断面図をじっくり見たい。あまりにも切り口が綺麗すぎて標本のようにしか見えないのではないか。


 そんな事を考えていると、皆が自分を見て何か言うのを待っているのに気が付いた。迂闊うかつであった。この場を取り仕切るべき立場でありながら心を奪われてしまっていたのだ。


「皆が知りたいであろう事を話そうじゃないか」


 ベオウルフは張り付けたような笑顔で、芝居がかった仕草で言った。


「五文字の付呪だがこれは本物だ。確かに風の魔法が付与されている。内包する魔力も相当な物だ」


 おお、とざわめきが起きた。これは伝説の剣だ、国宝級だと侯爵が宣言したも同然であった。


「マクシミリアン卿、この刀は何という名かな」


「鬼哭刀と名付けました」


「鬼が泣くのか哭かせるのか、いずれにせよ妙な名前だな」


「刀を振ればその意味する所がおわかりいただけるかと」


「ふむ……」


 ベオウルフがさっと手を水平に振ると、見物人たちが下がって十分なスペースを作った。歴戦の将軍が刀を上段に構えると、凍るような迫力に辺りはしんと静まった。


「ふんッ!」


 見物人たちは一瞬たりとも見逃さぬよう凝視していたが、それでも目に止まらぬ一閃であった。


 いつの間にか振り下ろされ、ベオウルフは正眼の構えを取っていた。耳に残る風の音だけが刀が振られたという証明である。


 風の精霊が耳朶じだを撫でたような美しい音色であった。


 振った当人を含め誰もが恍惚としている中で、マクシミリアンだけが複雑な表情を浮かべていた。


 自分が振った時よりもずっと良い音が出ていた。つまりは嫉妬である。


 ……妻が間男に抱かれ、聞いたこともないようないやらしい声を出している現場を覗いてしまったような気分だ。脳が破壊されそうだ。


 そこまで考えてから、あまりの馬鹿らしさに呆れていた。あれは刀だ、女じゃない。そうは思ってもスッキリしない気分だけが残った。もう他人に触らせるのは止めておこう。


「なるほど、刀が哭きよるわ。マクシミリアン卿、この刀を売ってくれ。金はいくらでも出す。いや、城をひとつくれてやってもいい!」


 興奮して叫ぶベオウルフであったが、マクシミリアンはここでも首を横に振った。


「お譲りいたしかねます」


「へぁ?」


 ベオウルフの口から間の抜けた声が出た。マクシミリアンが何を言っているのか理解できない。


 この会合に参加している者は皆、侯爵とよしみを通じたがっているのだ。武器を持ち込むのはある意味で侯爵の目に止まり献上したいが為だ。


 求められて拒絶するならば、お前は一体何をしに来たのだという話になる。


 周囲から突き刺さるいぶかしげな視線に負けぬよう、マクシミリアンは早口でまくし立てた。解散されたり追い出された後では取り返しが付かない。


「この刀は私の為に作られた物です。長さも重さも私に合わせてあります。力が無いので軽量化の為に細身にしてあります。風の属性をまとわせたのも軽くする為です。実際、閣下には少し軽すぎたのではありませんか?」


「……まあ、確かにな」


 ベオウルフの体格からすれば鬼哭刀は軽く、爪楊枝を振っているようなものだった。武器というのは重すぎては役に立たないが、軽すぎても物足りないものだ。


 ……だからと言ってお前はどうしたいのだ。


 ベオウルフの眼には不信感が宿ったままだ。


「いかがでしょう。この刀をお譲りするのではなく、我が領内の職人たちに命じて閣下の為の新しい刀を作らせるというのは。長さ、重さ、付与する魔法に彫刻の種類まで、全て閣下のお好みに合わせます」


 あらかじめゲルハルトと相談して用意していた台詞であった。侯爵と関係を深めたいが鬼哭刀も手放したくはない。その為の受注生産である。


 ゲルハルトによれば既に職人たちの予定は押さえているとのことだ。本格的に武具外交を行うならば彼ほど頼れる者はない。


 鬼哭刀を手放さないのは愛着があるというだけでなく、これからも話の呼び水として使うためでもあった。


 ひとつ誤算があるとすればマクシミリアンの言い方が完全に棒読みであったことである。最初からそのつもりだったなとベオウルフに見透かされていた。


 とはいえ、これはベオウルフにとっても悪い話ではない。自分だけの、最高の刀が手に入るというのであれば鬼哭刀を無理に取り上げるような真似をするよりもずっと良いはずだ。


 デメリットと言えば、こいつに乗せられるのは何かしゃくだという本格的にどうでもいい事だけである。


「それは素晴らしい話だ。是非とも……」


 笑顔を浮かべて両手を広げるベオウルフであったが、急に言葉を区切って口元を手で押さえた。


 こうなるとマクシミリアンは何か間違えただろうかと酷く不安になってきた。侯爵を怒らせるというのはつまり、ツァンダー伯爵領全体の損失に繋がるのだ。


「いかがなさいましたか、閣下?」


「……何でもない。マクシミリアン卿、刀のリクエストは少し待ってもらってもいいだろうか?」


「え、あ、はい。こちらとしては特に急ぐ理由もございませんので。閣下のご都合のよろしい時に、いつでも」


 そうか、と何処か上の空で答えるベオウルフであった。


「少し酔ったようだ、夜風に当たってくる。皆は構わず楽しんでくれ」


 そう言ってバルコニーへ向かおうとする。他人を拒絶するような雰囲気があふれていたので、誰もお供しますとは言えなかった。


 マクシミリアンはこれで偉い人との話は終わりだと安堵あんど半分、困惑半分といった気分であった。


 しかし鬼哭刀を返すついでにベオウルフから小声で、


「お前も来い」


 と、鋭い目付きで言われてしまった。


 間違いなく面倒事である。


 マクシミリアン・ツァンダー伯爵の長い夜はまだ始まったばかりであった。

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