第24話 君の名は

 謁見の間を出たリカルドとジョセルは薄暗い廊下を並んで歩いていた。


 正確に言えば、リカルドがジョセルに話しかけるために隣に付いたのだった。


「ジョセルさん、伯爵に何かあったのですか?」


「何か、とはなんだ」


 ジョセルの言葉にとがめるような響きがあった。伯爵への批判とも取れるような言い方は止めろ、そう言ったのである。


 ただでさえ今は伯爵の変化に賛否ある状態なのだ。


「失礼しました。本日は顔色も良くご機嫌であったようで……」


 あの坊っちゃんがクソ爺と一緒に刀馬鹿になっていたのはどういうことだ。


 と、聞きたかったのだが、それを丁寧な言葉に言い換えるのはリカルドの語彙力ごいりょくでは不可能であった。


 リカルドの気持ちを知ってか知らずか、ジョセルは快く答えてくれた。


「伯爵は新しい刀を大変気に入られてな。最近は午前の政務の前にお師様と一緒に素振りをなされているそうだ。無論、お体を壊さぬ程度にな」


「伯爵が、素振りを?」


 意外であった、伯爵のイメージに合わない。刀が気に入ったからといって、剣術に興味を示さなかった人間がそう簡単に変われるものだろうか。


「それくらい良い刀に巡り会えたのさ」


 ジョセルが答え、リカルドは納得すると共に微かな失望も抱いていた。味方だと思っていたジョセルも考え方が刀馬鹿どもの方に傾いている。


「私も早く自分だけの刀が欲しい。その点はお主が羨ましいよ」


 などと言われたが、現在進行形で刀に振り回されている身としては素直に頷くことは出来なかった。




 数日後、ゲルハルトから紹介状を受け取ったリカルドは指定された小屋へと来ていた。刀に名付ける事に大した興味は無かったが、伯爵がお膳立てしてくれたお勧めというのは命令と同じようなものだ。


「ごめんください、どなたかおられぬか」


 ドアを何度かノックすると、中から人の気配が伝わってきた。


 かんぬきを外す音がして、若い女が顔を出した。


「はい、どちら様ですか?」


 美しい女であった。愛くるしい顔に豊かな胸。古代の芸術家が彫ったのかと思えるほど大きく滑らかな尻。


 結婚してください、と言いそうになるのをなんとか耐えて、自分の役目を思い出し懐から紹介状を取り出した。


「ゲルハルト様の紹介で来た。刀鍛冶どのにお会いしたい」


 その女、クラウディアは紹介状を開いて軽く目を通した。彼女は文字が読めるのかとリカルドは少し驚いていた。


 リカルドは貴族ではない、聖職者でもない。


 この時代、知識階層でなければ文字など読めないのが一般的であった。一応は冒険者として自分の名前をサインすることは出来る、数字も読めなければ報酬を貰う時に困る。出来るのはそこまでだった。


「どうぞリカルドさん、中へ」


 そう言ってクラウディアは家の中へと案内した。


 確かにリカルドの名を呼んだ。つまり訳もわからず適当に羊皮紙を眺めたのではなく、きちんと内容を理解しているということだ。


 彼女がゲルハルトの言っていた女商人なのだろう。


 居間に通されるとリカルドと同じくらいの年齢の男が立ち上がって頭を下げた。


 ゲルハルトから刀匠は若い男だと聞いてはいたが、鍛冶屋の親方と言えば長く修行を続けた中年から初老の男というイメージがあったので、こうして見ると信じられない思いであった。


「ルッツくん、こちらゲルハルトさん紹介のお客さんだ。なんとあの妖刀の所有者だそうだよ」


「そうか、あの刀が戻って来たか……」


 ルッツとクラウディアが妖刀にどんな思いを抱いているのか、それはリカルドにはわからない。ただ二人の間に親密な空気が流れるのを読み取り、告白してもいない恋の終わりを痛感した。


「ルッツくんもリカルドさんも座って座って。ええと、二人は文字が読めるかい?」


 リカルドは首を横に振った。ルッツは読めないことはないが、あまり長いと疲れると言った。


「じゃあ私が読んで適当に要約するから。ええと、リカルドさんは妖刀の所有者で、つい先日巨大オークと対峙したのだが、なんと刀を向けたらアへ顔晒して自害しちゃったそうだねえ。怖い怖い」


「アへ……、え、何だって?」


 ルッツの当然と言えば当然すぎる疑問にリカルドが答えた。


「刀を向けたら性的快楽を感じているような顔をして、斧を自分の首に叩き込んだのだ。……オークのあんな顔は見たくなかった、今でも夢に出てきそうだ」


「緑色豚ヅラマッチョのイキ狂いアへ顔噴水出血自殺ショーなんて、そりゃあ誰だって見たくないよねえ。ハハハ」


 クラウディアの身も蓋もない言い方に、ようやくルッツも理解したようだ。確かに見たくなどない。よくも舌を噛まないものだと変な感心もしていた。


「本題に入ろうか。リカルドさんは伯爵のお勧めで妖刀に名前を付けに来た。で、いいのだね?」


「そうだ。名前が付けば愛着も湧くだろうと言われてな」


 リカルドはあまり気乗りしない様子で言った。ゲルハルトからはまず刀に感謝しろなどと言われたが、あの光景を見てしまったリカルドにとって妖刀はやはり死を振り撒く不気味な刀でしかない。


 愛着などと、馬鹿馬鹿しい。正直な所さっさと銘を入れて帰りたかった。


「リカルドさん、刀を抜いた時の幻覚について詳しく教えてくれないかな」


「ああ、それなら……」


 刀を抜くとまず甘い香りが漂う事、全裸で血塗れの女が現れる事、女がぴったり背後に付いて囁く事などを語った。そこで振り向けば殺されるだろうという予感についても話した。


 リカルドは話しながら頭のおかしい奴だと思われやしないかと心配になったが、ルッツとクラウディアは真剣に聞いていた。


 共に自傷一歩手前まで経験している。そこに魔力が加えられれば、そんなこともあるだろうと理解していた。


「……血を流す女か。そうだ閃いた!」


「却下だルッツくん」


 ルッツの考えをクラウディアは内容も聞かずに無効とした。


「まだ何も言っていないじゃないか」


「閃き方が最低だ。ルッツくん、品性とは口から流れ出すものだよ」


「むぅ……」


 実際ろくでもない考えであったので、ルッツは引き下がらざるを得なかった。


「甘い匂いのする、女の幻覚か。つまりあの妖刀は女の子ってことなのかな」


 などとクラウディアは真剣に考えていた。


 またか、とリカルドは目を細めた。こいつらも刀に人格があるかのように振る舞いやがる。どうなっているのだ、と。


「花の名前なんかいいな。よし、この妖刀は椿つばきと命名しよう!」


 クラウディアの宣言に、ルッツもそれでいいと頷いた。別に流された訳ではなくルッツもその名をかなり気に入ったようだ。


 椿。それは花弁を散らすのではなく丸ごと落ちる花だ。首が落ちると忌避きひする者がいれば、潔さを愛でる者もいる。


 言い換えれば鍔姫つばき。強く、妖しく、美しい刀にはぴったりの名だ。


 リカルドは不気味な刀の名前にしてはみやびに過ぎるのではないかとも思ったが、他に案も無いので反対もしなかった。


 ……椿、そうかお前の名は椿か。


 刀を持って口にしてみると、悪くない気もしてきた。


「後は俺の仕事だな。刀を渡してくれ」


 そう言って立ち上がるルッツを、リカルドは信じられないといった眼で見ていた。


「……こいつの恐ろしさは繰り返し話したよな。あんた、精神耐性魔道具とかは持っているのか?」


「いらんいらん、そんなもの。こいつは俺に危害を加えないよ」


「何故そんなことが言いきれる!?」


「わかるさ、俺が作った刀だからな」


 刀を受け取り、気楽に言い放ってルッツは鍛冶場に行ってしまった。


 あまりにも危機感が無さすぎるとリカルドは眉をひそめていた。やはり刀を抜いた時に感じる悪寒や、オークが自害した時の恐怖などは説明してわかるようなものではないのか。


「知らんぞ、どうなっても……ッ」


 苦々しく呟くリカルドの頭の片隅に、刀を信じきれていないのは自分の方かもしれないという疑念が沸いてきた。


 それが益々ますます、リカルドを苛立たせた。

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