第21話 泣いた赤鬼

 鬼哭刀きこくとうを献上してから数日後、ゲルハルトはまだ喪失感から立ち直れないでいた。


 愛弟子には偉そうな事を言って綺麗にまとめたのだが、本音を言えばゲルハルトだってあの刀が欲しかった。


 自分の物にするにはどうすればよいかと本気で考えたが何も思い浮かばず、仕方なく伯爵に献上したのだった。


 付呪の儀式で精魂尽き果て、しばらく何もやる気が起きなかった。行く当てもなくふらふらと廊下を歩いていると、どこかから隙間風すきまかぜのような音が聞こえてきた。


 音を追ってみると中庭で見覚えのある男が刀を振っていた。マクシミリアン・ツァンダー伯爵である。


「……んん?」


 一瞬、思考が止まるゲルハルトであった。


 伯爵は生来病弱であり武芸の心得など無いし、やろうともしてこなかった。彼にとって戦いとは憧れの中だけの話ではなかったのか。


 気になって近づくと、伯爵もゲルハルトに気付いてはにかんだ笑顔を向けた。彼はもう四十をいくつか越えているが、笑うと少年のような印象を受ける。


「……私が刀を振っているのがおかしいか?」


「やってはいけないという訳ではありませんが、少し驚きました」


「そうだろうな。私とてただの思い付きでやっているようなものだ」


 刀を鞘に納めようとするがその手付きが危なっかしく、手を切ってしまわぬかと見ている方が焦ってしまった。


「この刀は本当に素晴らしい。礼を言うぞ、ゲルハルト」


勿体もったいなきお言葉にて……」


「それだけに疑問に思ったのだ。従者に持たせたり、ただ腰にぶら下げているだけで、私はこの刀の所有者マスターであると胸を張って言えるのかと」


 どうか、と伯爵が目で問いかける。


「いささか俗な表現になりますが……」


「構わぬ、わかりやすければそれでいい」


「結婚直後に妻をほったらかしにするようなものかと。心を通わせず、その身を味わうこともなく、ただうちの妻は美人だぞと自慢しても虚しいだけでしょう」


 何故こんな馬鹿な事を言ってしまったのかと後悔した。つい最近知り合った馬鹿夫婦の顔が思い浮かぶ。恐らく奴らのせいだろう。


 伯爵は特に気分を害した様子もなく、むしろ遠回しではあるが刀を振るのを認められた事を喜んでいた。


「私はこの刀の事をよく知りたい。刀の使い心地を聞かれて答えられぬようでは所有者とは言えまい」


 言いながらもう一度刀を抜いて振って見せた。やはり隙間風のような間抜けな音がした。


 伯爵は苦笑しながら言った。


「情けない音だろう? だがな、何度も振っているとたまに良い音をさせることがあるのだ。まるで今の振りは良かったと誉めてくれるようにな。それがとても励みになる」


 そういう考え方もあるのかとゲルハルトは感心した。ジョセルなどは良い音が出ない事で悔しがっていたが、振り方を矯正きょうせいしてくれると考えればこれほど良い教材はあるまい。


「閣下、刀の握りはもう少し両手で絞るようにお持ちなされ」


 つい余計な口出しをしてしまったが、伯爵は老人を鬱陶うっとうしがる事もなく素直に従った。初めての剣術でやる事なす事全てが物珍しく面白いのだろう。


「絞り、されど余計な力は入れず。……はい、よろしゅうございます」


 言いたい事ならばあと五十項目くらいあったが、一気にそんな事を言われても初心者が対応出来るはずもない。


 優しく沼に沈めてやろう。ゲルハルトは心中でにやにやと笑っていた。


「ふんむッ!」


 気合いと共に振り下ろされる鬼哭刀。隙間風ではない、確かに風を斬る音がした。ゲルハルトやジョセルには遠く及ばないが、それでもかなりの前進であった。


「おお、風が鳴ったぞ!」


「お見事にごさいます、閣下」


「ゲルハルトよ、他はどうだ。他に直すべき点はあるか!?」


 伯爵はすっかり興奮していた。


「一度に何もかも覚えられる訳ではございませぬ。本日はまず、握りを会得しましょう」


 言葉の中に、またやりましょうという意味を含ませた。剣術は底無し沼だ、膝まで浸かってくれれば後は勝手に沈んでくれる。


 その後、伯爵は素振りを続けていたのだが、突然口を押さえて激しく咳き込んだ。


「閣下!」


 ゲルハルトは慌てて駆け寄った。楽しそうに素振りをする姿につい、彼が病弱であるということを忘れてしまっていた。


「閣下、今日はここまでにしておきましょう」


「しかし、私は……」


 刀に認められたい。その気持ちはゲルハルトにも十分に理解できた。ある意味で尊敬の念も抱いていた。技術こそ伴っていないものの、心は確かに剣士なのだと。


 ゲルハルトは優しく、静かに首を横に振った。


「どれほど激しい修行をしたところで、一日で剣豪になれるはずはありませぬ。まずは丈夫な体作りからです」


「そうだな……」


「何も心配することはございませぬ。後は全て鬼哭刀が導いてくれるでしょう」


「ふ、ふ……。鬼哭刀、恐ろしげな名に反して優しい刀だな」


 呼吸もなんとか落ち着いた伯爵が微笑んで立ち上がり、刀を納めた。


 その姿を見てゲルハルトは鬼哭刀に対する未練が綺麗さっぱり消え去った。あれは伯爵の刀なのだ、自分が入り込む余地は無い。


 振る者は楽しいと言う。向けられた者は恐ろしいと言う。切れ味を追求した直刀を、優しいと評する者が他にいるだろうか。


 政務に向かう伯爵の背を、ゲルハルトは納得と羨望の眼差しで見送った。


 ゲルハルトの心から未練がすっぽりと抜け落ちた、その隙間に新たな欲が流れ込む。わしも自分専用の刀が欲しい。出来ればリカルドや伯爵の物よりも立派な奴を。


 ジョセルの前でもいつかルッツに作ってもらおうと言ったが、あくまでいつかの話であって、今すぐ狂おしいまでに欲しくなるとは予想外であった。


 伯爵の依頼ではないので金は自分の懐から出さねばなるまい。いくらまでなら出せるかと真剣に考えるゲルハルトであった。


 ルッツに刀の製作を依頼し、名前をクラウディアと一緒に考える。装飾は外部発注するとして、今回の業者よりも良い所がないかどうか探してみよう。付呪は自分でやるから良いとして、材料費だけはケチる訳にはいかない。


「金貨三百から五百を、個人の懐でなあ……」


 現代の感覚に置き換えれば、退職金と老後の貯えを全て趣味に注ぎ込もうと言っているようなものである。


 ゲルハルトは独身だからいいものの、もしも連れ合いがいればその場で刺されたっておかしくはない案件だ。


 それでもなおゲルハルトの思考はやるかやらないかではなく、いかにしてやるかという方向に傾いていた。


 それくらい伯爵と鬼哭刀の絆が羨ましかった。


 もう一度、刀に恋したい。

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