第二章

第23話 夏川ゆらの候補

 暦は六月へと入り、日中は三十度を超える日も増えてきた中、平々凡々な学生生活を送っていた雪谷礼音ゆきがやしおんの身の回りは、この一か月で劇的な変化を遂げた。


 授業中にASMRを聞いているのがバレたという黒歴史から始まり、清楚ビッチとして知られている奥沢優里香おくさわゆりかに、リアルで耳かきをしてもらうというイベントまで。、

 かと思えば、二人で一緒にくつろいでいる所を校内の生徒に見られてしまい、偽の恋人関係を結ぶことに……。

 

 そんな劇的な五月を乗り切った矢先、次にやってきたのは、なんと最推しである夏川なつかわゆらちゃんが、俺の身近にいるという衝撃的な事実。

 今は念のため、クラスメイトの石川台賀いしかわたいがと一緒に卓球部の部室にて、夏川ゆらあてと思われる例の手紙と、その証拠である生配信の部分を聞かせている所だった。

 音声を聞き終えた台賀は、両腕で肩を抱きながら身震いする。


「うぅっ……やっぱり俺にはこのASMRの生々しい感じの音が性に合わねぇや……」

「それで、どう思う?」


 俺は、台賀のASMRボイスに対する感想を無視して、見解を尋ねた。


「まっ、普通に考えて、この手紙と書いてある内容と一致してるわけだし。時系列から考えても、『夏川ゆら』本人からの手紙なんじゃねぇの?」

「やっぱり、そっか……!」


 俺は思わず天を仰ぐ。


「その手紙はどこで手に入れたんだよ?」

「ASMRバレした翌日の放課後に、下駄箱を覗いたら入ってたんだよ」

「ってことは、その日に夏川ゆら本人が手紙を忍び込ませたって可能性が高いな。誰か心当たりはいねぇのか?」

「うーん……」


 俺が手紙の日のことを思い出していると、台賀がさらに話を続けた。


「というかそもそも、夏川ゆらは顔出し配信者じゃねぇんだろ? さっき聞いた配信でも言ってたけど、この手紙も勇気を振り絞って書いたって言ってんだ。顔は知られたくねぇんじゃねぇの?」

「うん、その気持ちはわかるよ。俺だって出来れば、ゆらちゃんは配信上だけの存在でいて欲しいし、別段顔を知りたいとは思わない」

「ならどうして、お前は夏川ゆらに会いたいって相談してきてるんだよ」


 そう、俺は『夏川ゆら』に会いたいから協力してくれと、台賀に頼み込んだのだ。

 台賀の言及に対して、俺は頭を掻きながら答える。


「なんていうかさ、俺をASMRの世界に導いてくれたのは、全部ゆらちゃんのおかげなんだよ。だから、ゆらちゃんには感謝の気持ちしかなくて、むしろこっちがいつも癒してくれてありがとうって、本当はファンレターで送らなきゃいけない立場なんだけどさ。でも俺は、この気持ちを直接会ってちゃんと伝えたいんだ」

「もし、相手が迷惑だと思っててもか?」

「うん、だって俺はたとえゆらちゃんがどんな子だったとしても、幻滅したりはしないから」


 俺が言いきると、台賀はすぐに呆れ交じりのため息を吐いた。


「わーったよ。お前のキモさはよく分かった。しゃーねぇから夏川ゆら探しに協力してやるよ」

「ありがとう台賀。感謝する」

「まっ、いいってことよ」


 こうして台賀と結託して、俺は夏川ゆらの探しをすることになった。


「とりあえず、下駄箱に入ってたってことは、お前の下駄箱の位置を知ってる人間しか入れられねぇってことだな」

「うん、俺もそうだと思う」

「だとしたら、夏川ゆらは意外と礼音の身近なところに潜んでいるのかも知れねぇな」

「えっ⁉ そ、そんな」

「よく考えて見ろ? 配信の声なんて、簡単に変えられるだろ? 素の声で喋ってたとしても、マイク越しだと普段と違う風に思えることなんてざらにあるしな」

「た、確かに……。ってことはつまり、ゆらちゃんは俺が良く知ってる人物ってこと⁉」

「灯台下暗しって言うだろ? 案外答えはすぐそばにあったりするもんなんだよ。とりあえず、その日会った女子全員挙げてけば、おのずと答えは分かるんじゃねぇの」


 ひとまず、俺は台賀に言われた通り、あの日一日の動向を思い返し、出会った女の子をリストアップしていく。


「まず、朝台賀と悠羽に絡まれて、それから昼に図書室に行って奥沢さんにお昼を誘われて、テニスコート脇の所で昼食を取ったんだ」


 そこで、とあることに気づく。


「ん、待てよ。俺その時、外履きに履き替えてる。戻ったときにも手紙はなかった」

「ってことは、午後の授業の間か、放課後に忍び込ませた可能性が高いな」

「えっと、確か放課後は……そうだ! 教室で宿題を済ませた後、悠羽が男子生徒に告白されてたんだ!」

「んだと⁉ おい、そいつ誰だ⁉ 悪い礼音。俺は今すぐにそいつをぶち〇しにいかなきゃならねぇ!!!」


 激高した台賀が立ち上がり、今すぐに殴り込みに行かんばかりの勢いで部室を出ていこうとするのを、俺は必死に引きとめる。


「落ち着けって! 安心しろ! 告白は断ってたから。悠羽は『ほかに「好きな人がいるから』って言ってたぞ」

「なんだ……それならよかった……ってなんだと⁉ 悠羽ちゅぁんに好きな人だとぉぉぉ⁉」


 再び、台賀が理性を失いかけて雄たけびを上げる。


「もしかしたら、お前だったりしてな」


 俺がにやりとした三重でそう言うと、台賀はすっと真面目な表情になった。


「悪い礼音。ちょっくら俺、今から悠羽ちゅぁんに告白してくるわ」


 今すぐに部室を出ていき、悠羽に告白しに行こうとする台賀を必死に抑え込む。


「落ち着け! これで玉砕したら二度と立ち直れなくなるぞ!」

「どいてくれ礼音! 俺にはやらなきゃならないことがあるんだよ!!!」

「ほら、果報は寝て待てって言うだろ? 大丈夫、本当に好きなら、台賀の魅力に気づいた悠羽の方から告白してきてくれるはずだから」

「はっ……た、確かに!」


 何かを悟った台賀はにやにやと気持ち悪い笑みを浮かべながら鎮座した。


「そうかそうか。悠羽ちゅぁんは告白する勇気が出なくて恥ずかしがってるんだな。全くもう……仕方ない子猫ちゃんだぜ。でもそういう所が可愛い!」


 まあ多分、あの様子じゃ絶対に台賀ではないと思うけど、友人の恋を簡単に終わらせることなくことが済みそうで、俺はほっと胸を撫で下ろした。


「それで、その後はどうしたんだよ?」


 正気を取り戻した様子で、台賀が尋ねて来る。


「それで、悠羽が走って逃げ行ったから急いで荷物を教室に取りに行ってから後を追ったんだよ。そしたら昇降口に手紙が入ってて……」

「え待って。ってなると、一番怪しいの悠羽じゃね?」

「……確かに」


 俺たちは思わず、顔を見合わせてしまう。


「嘘だろ悠羽ちゅぁん……こんなAMSR好きに手紙を送るなんてやめてくれ」

「おいこら」


 頭を抱えながら打ち震える台賀に、思わずツッコミを入れてしまう。


「ほ、他には誰かいなかったのかよ?」

「他に……あーそう言えば、手紙をバッグの中にしまって悠羽を追って校門に向かったら、黒亜がいたんだよな」

「黒亜ちゃんって確か、お前の幼馴染だよな?」

「そうそう。んで、悠羽と凄い険悪な雰囲気だったんだよな……。あれもなんだったんだろう」


 夏川ゆらちゃんのほかに、またもや気になる事件を思い出してしまった。


「……だ」


 すると、突然台賀が謎の言葉を口にした。


「えっ、なんて?」


 俺が尋ねると、台賀がズビシっと俺を指差した。


「間違いない! 夏川ゆらの正体は、お前の幼馴染の黒亜だ!」

「えっ、えぇ⁉ 黒亜はないって、ASMRの事全然知ってるような感じじゃなかったし。そもそも、学校が違うから、俺の下駄箱の位置も知らないよ」

「いや、それはお前にバレたくないから、あえて隠してるに決まってる! だって、あんなに俺を毎日の優しくフミフミしてくれる悠羽ちゃんが、ASMRなんてしてるわけないんだから!」

「いや、それただお前の願望と現実逃避が入ってるじゃねーか!」


 でもまあ、あの日に限って、どうして黒亜が校門で俺を待っていたのかも、確かに引っ掛かりを覚えるっちゃ覚えるんだよな……。

 黒亜と悠羽、この二人が、ひとまずは夏川ゆらの最有力候補になるのは間違いないみたいだ。


「とりあえず、黒亜から探りを入れてみるかぁ……」


 この場で悠羽を疑ったら台賀がブチギレそうだったので、ひとまず俺は、幼馴染の黒亜から詮索してみることにした。

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