第15話 仮の関係

 翌朝、俺はいつもより三十分早く学校へ登校した。

 校舎内に生徒は数えるほどしかおらず、俺は気づかれぬようそそくさと特別棟にある図書館へと向かう。

 図書室に到着して中に入ると、長机の奥、ぽつんと置かれた丸椅子に座りながら、奥沢さんは文庫本を読んでいた。

 辺りを見渡して、誰もいないことを確認してから、俺は奥沢さんへそっと声を掛ける。


「おはよう奥沢さん」


 奥沢さんは顔をこちらへ上げると、にこっと微笑を浮かべてから、居住まいを正してすっと立ち上がった。


「おはよう雪谷君。ごめんねこんな朝早くに来てもらっちゃって」

「全然平気だよ。それに今は、一刻を争う緊急事態だしね」


 紫音によれば、俺と奥沢さんが付き合っているという噂は、かなりのスピードで広まっているとのこと。


「ちなみに奥沢さんは、今回の件、誰から知った?」

「昨日の夜、クラスの人たちから何通もLI〇Eが届いて知ったよ。最初は何のことかわからなくて驚いちゃったけど、私が雪谷君を膝枕してたのをたまたま見かけた生徒がいたみたいで、そこから一気に噂が広まっちゃったみたい」

「なるほど、そういうことだったのか……」


 いくら人目につかない場所とはいえ、もっと気を引き締めて行動すべきだったなと改めて反省する。


「本当にごめん。俺が膝枕なんてしなければ、こんな面倒な事態にはならなかったのに」


 俺が頭を下げて謝ると、奥沢さんが手を横に振って否定する。


「謝らないで、私も慢心してたわけだし、雪谷君だけのせいじゃないもん。それに今は、この事態をどう対処するのか考えるのが先でしょ?」


 奥沢さんの言う通りだ。

 どちらが悪いのかなど謝っている暇などなく、事態は一刻を争っている。

 何かしらの策を打たなければ、噂はどんどんと広まっていってしまうばかり。

 こうしてわざわざ朝早く学校へ登校したのも、それを話し合うためなのだから。

 実際今ここで二人きりでいるのだって、かなりのリスクを伴っている。


「そうだね、今は謝るより先にすることがあるね。それでどうしようか? 今回の件を終息させるには、かなりの荒療治が必要になると思うけど……」


 本題へと話を移し、俺が悩んでいると、奥沢さんがとんでもない提案を出してきた。


「そのことなんだけどね。私たち、噂通りにしない?」

「えっ⁉ でも、それじゃあ奥沢さんに迷惑がかかっちゃうよ」


 ただでさえ、俺はASMRバレして注目を浴びているのだ。

 奥沢さんにさらに悪い悪評がついてしまう。

 しかし、奥沢さんは至極冷静な口調で言い募る。


「昨日も言ったけど、私は好都合だと思ってたりするんだよね」

「それはどうして?」

「ほら、私って清楚ビッチって噂が立ってるから、変な男の人からのアプローチが結構あったりするんだよ。もしここで、雪谷君と付き合ってるってことにしちゃえば、私に男の子は寄ってこなくなるでしょ?」

「確かに、それはそうかもしれないけど。奥沢さんは本当にいいの?」

「何が?」

「だって、こんな平凡で何の取り柄もない俺なんかと付き合ってるなんて知られたら、かえってさらに奥沢さんの評判を下げちゃうかもしれないよ?」


 俺が自信なさげに言うと、奥沢さんは突然ぷっと吹き出した。


「あははっ、雪谷君自分の事過小評価しすぎ! 少なくとも私は、雪谷君と噂が立って迷惑だなんてこれっぽっちも思ってないよ。むしろ雪谷君の方こそ大丈夫? 私なんかと付き合ってるって噂が立っちゃったら、清楚ビッチを堕としたヤリ目男って言われるかもしれないよ?」

「もうASM男って揶揄されてるんだ。さらに要素が一つ追加されても、被害は変わらないよ」

「なら私も同じようなものだよ。清楚ビッチっていう噂に要素が一つ加わるだけ。陰口の数は変わらないかもしれないけど、変な男が寄ってくることはなくなる。私にとってはメリットの方が大きいの」

「なるほどね」


 直接的なストレスは減るというわけか。


「まあそれで、奥沢さんの負担が減るのであれば、俺は構わないよ」


 俺がそう言うと、奥沢さんはふっと微笑んだ。


「ほんと、雪谷君でよかったよ。清楚ビッチなんて噂立てられてる女の子と、普通恋人関係になんてなろうと思う人なんていないよ?」

「だって、噂はあくまで噂だろ? 俺は実際に奥沢さんとこうして話して、少なくとも一度たりともビッチだなんて思ったことないからね」

「そっか……やっぱり雪谷君は、人のことをちゃんとよく見てるんだね」

「そんなことはないと思うけど……」


 裏を返せば、疑り深いとも捉えられるし……。

 

「それじゃあ、お互い合意の上で成立ってことでいいかな?」

「あぁ、契約成立だ」

「これからよろしくね、礼音」

「こちらこそ、ゆっ……優里香」


 俺たちはお互いに握手を交わし、仮の恋人関係の契約を結んだ。

 偽装とはいえ、奥沢さんのような美少女と付き合うことになるなんて、今日は雪でも降るんじゃないのか?

 それほどに、俺の中では、どこかまんざらでもない自分がいた。


「じゃあ早速、ボロが出ないように辻褄合わせしていこっか! お互い言ってることが食い違ってたら怪しまれちゃうからね」


 それから、HRが始まるまでの間、馴れ初めから付き合うまでの経緯や、どちらがいつ告白して付き合い始めたのか、今付き合って何カ月目なのかなど、聞かれた時の対処として、細かい口裏合わせをしていくのであった。

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