320.有効的に使わないと勿体無いわ

 晒された死体を見て引き返したエルフ族はいなかった。代わりに、長老達に駆け寄り助けようとしたエルフが捕まる。ただの同情心なら愚かだし、聖国が差し向けた間者の一人なら……さらに愚かだわ。


「黒でした」


 テオドールが淡々と報告する。影による拷問と精霊による判定の結果は黒、我が国へ送り込まれたスパイよ。聖国へ食糧を送ったり、援助するよう命じられていたらしい。敵に回った精霊の怒りに恐れをなし、ぺらぺらと自白した。


 エルフ族にとって、精霊はよき隣人であり友人だった。その本気の怒りに触れ、恐怖に慄いたのだろう。自分達の置かれた立場と罪を、ようやく理解した。だけどね、遅いのよ。


「晒す死体を一つ増やしたいのですが」


「あなたは本当に外交に不向きね。こういう時は、無傷で返す方がいいの」


 人扱いする気はないから「帰る」ではなく「返す」を使う。


「ですが」


 テオドールはどうしても処刑したいと願い出た。そんな彼に丁寧に教えてあげる。人もエルフも一皮剥けば大差ないわ。特に疑心暗鬼のような感情は、どの種族も共通じゃないかしら。


「テオドールの配下の影が失敗したとしましょうか。正体がバレたのに無傷で放された。あなたならどうするの?」


「当然、処分……ああ、そういうことですね」


 自分の手で処理したい気持ちは分かるけど、どうせ同じ死なら活用しなくては勿体無い。こちらで処分してしまえば、そこで終わり。だけれど、向こうへ返したらまず疑われるわ。


 裏切って敵についたのではないか? もし敵に寝返ったなら、情報を聞き出して殺すことを考える。実際は裏切っていないので、こちらの情報なんて持っていない。だが問い詰めて殺してしまっても、疑念は晴れないわ。


「一度膨らんだ疑念はずっとエルフ達の中に残る。捕まったエルフが己の無実を証明するのは、ほぼ不可能よ――悪魔の証明ね」


 あることを証明するためには、物を提示すればいい。だがその物が世界に存在しないことを証明するのは不可能なの。もしかしたら見落とした先にあるかもしれないでしょう?


 エルフ一人の死で、彼らはずっと仲間を疑い続ける。互いを監視し、距離を置き、やがて国という組織は瓦解するわ。同じ死なら、ここまで利用し尽くさないとね。


「さすが、ブリュンヒルト殿下です」


「ねえ、そろそろ呼び方を変えましょうか。人前では今のままでいいけれど、私的な時はヒルトでいいわ」


「大変な名誉ですね。ありがとうございます、ヒルト様」


 敬語は直らないでしょうから、注意しないわ。手配に動く彼の背を見つめた。執務机の上を綺麗に片付け、印章やインクを引き出しに入れ鍵をかける。


「ヒルト様、どうぞ」


 心得たように伸ばされた腕を取り、執務室を出た。いつもより二刻は早い。明るいうちに食事を摂って、たまにはヴィンフリーゼと過ごしましょう。加工した琥珀の首飾りを渡したいから。

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