18 自由詩


 供物ぐもつの腐臭は甘く揺蕩たゆた

 ひとは死をわすれ踊る春秋

 は家畜のごと食満ちて

 うたは呪ひだと月にいた


 贄のふるへは星のめぐりを狂はせ

 いつはりのみは玉盃を毀つ

 汝は家畜の如食満ちて

 ひなき夜の、闇のまにまに身を投げた


 あはれ、とぶらいの姸花たち

 誰かへりみる者なくとも、今をただ咲きほこれ

 今をただ咲きほこれ




挽歌というのは葬送の歌です。


中国では元来もともと、柩をきながらうたう歌だとしてこの名がつけられたそうです。(柩をつくるため木材を挽くイメージで捉えていましたが、あらためて調べてみると、どうやら柩を引っぱることを指すようです)

本家中国から伝わった言葉がそのまま日本で定着したところを見ると、当時の日本でも葬送で似たシーンはあったのでしょうか。昔は野や川に亡骸がそのまま放置されているという記述をよく目にしますが、高貴な方ははかに葬って柩らしきものもあったようだし、違和感はなかったかもしれません。


ともかく挽歌という歌のジャンルは中国でも日本でも立てられて、和歌のなかでその哀傷はときに胸に迫るものがあります。一方中国の挽歌は、感情を押さえてむしろ荘重に人生哲学を謳いあげるような歌が多い気がします。その違いは、人の情の違いを表すわけではなく、詩になにを詠みこむかという文化の違いなんでしょうね。


この詩も一種の挽歌ではあり、その感傷は、どちらかというと和風寄りのような気がします。

ただ、亡くなったひとを悼む感は匿されて、異端の挽歌ではありますね。むしろ残された人たちの愁いになみだを落とすような、愛でられることない花の運命を憐れむような。



まったく余談ですが、中国の楽府がふ題で葬送の歌としては「挽歌」に並んで「薤露かいろ」「蒿里こうり」があります。夏目漱石の小説『薤露行』のラストシーン、夭逝したエレーンが舟で運ばれる描写は、じつにうつくしい、散文で綴られた挽歌だと思います。

もし興味を持たれましたら、一度お目通しされてはいかがでしょうか。


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