憤怒

「ねえ、アイツのことやっぱ忘れられないの?」

走るバスの中、モモが私の顔を覗き込んでこう訊いた。

「この中に本人がいたら嫌だから」

モモが周りを見渡して、

「大丈夫、アイツいないから」

と意地悪な口ぶりで詮索してくる。嫌気がさして、ひとつ大きなため息をついて、

「忘れられないというより、思い出したくないってかんじかな」

「ふ~ん」

モモはつまらなそうに返事をして窓のほうへ顔を向けてしまった。


 その夜、柑橘の夢を見た。すべてを覚えているわけではないが、柑橘が「ごめん」と言って私に近寄ってくるシーンは何となく思い出せる。きっと昔の私なら嬉しくて抱きしめにいっただろう。その夢の中で幸せを感じることができただろう。でもその夢の中にいた自分は、柑橘の伸ばした腕を力強く叩き落として逃げていた。私は柑橘に対して「怖い」と感じるようになっていた。


 柑橘を思い出すと頭が痛くなるし、なにより自分のことが嫌になって仕方がない。柑橘を思い出してもやもやしている私をよそに、柑橘は私のいない世界を謳歌しているような、そんな感覚が身体中を焼き焦がす。柑橘に対してはとっくに「好き」だとか、そういった感情は一切湧かなくなった。ただ相手は、もっと早くにその感情が湧かなくなっていたと考えると、私の愚かさがみっともないほど浮き彫りになる。私は誰かを幸せにすることなどできない。私の幸せは相手の不幸せ。そういうことだろう。

 

 大体、恋愛なんて私のようなものが手を出すものではないのだ。あれは違う世界の住民の娯楽の一つ。私は恋愛なんぞする必要ないのだ。人肌が恋しいからくっついていたいだとか、淋しいから一緒にいたいだとか、これが悪なら恋愛など極悪であろう。大罪である。


 結局、恋愛というのは悪を正当化・合法化したグレーゾーンなのである。こんなことやってられるか。

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続編・柑橘について 村上 耽美 @Tambi_m

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