3 学級委員長、石井スズナ

 なけなしの300円を握りしめて家を後にした。

 最寄りのコンビニまで歩いて10分ほど。

 駅前なので人通りがあり、田舎といえどもにぎやかだ。

 時刻はもう19時を過ぎており、9月の寂しい秋風が吹く。

 会社帰りの人々が生気を失ったような顔つきでさっさと歩いていく。

 バスが来た。

 最終便が20時なので、混雑している。


 「物価上昇の今、300円でどれくらい買えるかな」


 おれはつぶやき、ポケットの中の小銭をぽん、と叩く。

 ずっと先のコンビニの駐車場が視界に飛び込んできた。

 ライトが当たってない死角で誰かが囲まれている。

 女の子だ。


 おれはもともと目がいい方だったが、1年前に山田グループに激しく殴られた際、左目をほぼ失明していた。

 しかし今は完全に治っており、暗い所でもよく見える。

 じっと目を凝らすと、少女は4人の男に囲まれているのが分かった。

 様子からして質の悪いナンパかカツアゲだ。

 そしておれは少女を知っている。


 石井スズナだ。

 同じクラスの学級委員長。

 ほっそり小柄で透き通るように色白な女子。

 いじめをやめさせようとしていた、数少ない良心的な生徒だ。

 そして彼女を囲んでいるのは・・・。

 おれは全身を集中させ、瞬間移動を試みた。

 空中浮遊できたので、もしかしてこれぐらい・・・。


 「やった、できた!」


 「ぎゃああ、いきなり出た、出たぁ!」


 山田ら不良グループは思わず腰を抜かした。

 それもそのはず、スズナの後ろからおれの姿がにょきっと生えてきたようなものだから。

 ホラーな瞬間をプレゼントしてしまった。


 「そんな、オバサンみたいな声出さなくていいよ」


 にっこり笑うと、不良どもはナイフを取り出した。

 山田に八田、沼田、長澤か。

 ひょろ眼鏡の北川はいない。

 この男は去年引っ越してきたばかりで、無口でおとなしく、不良グループの構成員だというのにおれをいじめたことはない。

 なぜこんな奴らと一緒にいるのか不思議だった。


 「く、黒木君?」


 スズナも上ずった声を出し、へたりと座り込んでしまった。


 「おい山田。

 女に告るときは明るい所で一人でやれ。

 手下なんか呼ぶんじゃねえ。

 刃物に頼ってるようなおまえじゃ、無理だろうけど」


 プププと笑うと、山田の血圧は推定200まで上がったようだ。

 南無三。


 「さっきから妙な真似ばかりしやがって!」


 発情した馬みたいに鼻の穴をおっぴろげ、八田がおれの首めがけてナイフを下ろした。

 スズナの悲鳴が響き渡る。

 

 「同じ過ちを繰り返すなんて、お馬鹿さんね」


 おれは右手に力を込めた。

 八田のナイフを握った手が鬱血し、青紫色に変色する。

 カランと、刃物がアスファルトの上に落ちた。


 「トモちゃん、次はそっちの手を染めてあげようか」


 おれがそう言うと、山田らは一斉に逃げていった。

 アンモニアのにおいがする。

 八田が失禁したようだ。


 「そうそう、トモちゃん。

 おまえに取られた10万円、返してもらうよ」


 「ば、バケモン・・・!」


 「かよわいぼくちゃんにそんなこと言っちゃダメよ。

 ほら、10万円出せ。

 出さないと利子を付けるぞ」


 威圧を強めると、アスファルトがぐっしょりと濡れた。

 人間の体は嘘つかないものだ。


 「トモちゃん・・・」


 「い、今、3万円しかないんだ。

 ポ、ポ、ポケットの中に・・・」


 「なんだそうか。

 ではもらおう。

 あと7万、忘れんじゃねえぞ」


 威圧を解くと、八田はびしょ濡れのズボンのまま脱兎のごとく逃げていった。


 「大丈夫、石井さん?」


 おれが聞くと、スズナはガタガタ震えつつうなずいた。


 「あ、ありがとう・・・」


 「よかった。

 間に合ってよかった。

 じゃ、気を付けて帰ってね、バイバ・・・」


 「黒木君」


 スズナは震える声で遮り、ぼくの顔を指さした。


 「め、目が・・・」


 「え?」


 「目が金色・・・」



               ―――



 時刻は19時25分。

 おれは今、駅前のヨネダコーヒーにいる。

 向かい合って座っているのは、石井スズナ。

 色白の頬は上気して赤くなり、透き通るような大きな茶色い目が潤んでいる。

 まさか、学級委員長からお誘いが来ると思わなかった。


 「ありがとう、黒木君」


 「ユウマでいいよ。

 それにお礼を言いたいのはこっちの方だ。

 いじめられてたおれを助けようとしてくれたのは、石井さんだけだったし」


 たとえそれが失敗に終わっていても。

 非力な女子生徒が男子のいじめをやめさせるなんて、所詮不可能なことだ。

 

 「山田に脅されて・・・?」


 そう聞くと、スズナはこくんとうなずいた。

 コンビニに支払いに行った際、奴らに出くわした。

 

 「邪魔するなって言われた。

 黒木君―――ユウマ君の事」


 スズナは抹茶ラテを少しずつ飲みながら言った。

 

 「いうこと聞かないと、嫁にいけないようにしてやるって」


 「最低だな。

 手足をへし折ってやればよかった」


 思わず氷水の入ったグラスに力が入った。

 パリッと不吉な音がする。

 

 「お客様、大丈夫ですか!?

 すぐ取り替えますので」


 店員の女性が慌てて来た。

 すまないことをした。


 「でもびっくりした。

 ユウマ君が後ろから出現するんだもん」


 「すまん。

 それぐらいしか思いつかなかった」


 「ねえ、ユウマ君」


 ガラスのように透き通った茶色い瞳がじっとこちらを見ている。


 「あなたの力、隠さないと危ないよ。

 だって担任の先生は、タダモノでないから」


 「政治団体に属してるって聞いたけど」


 スズナはほっと溜息をつき、軽く右手を振った。

 おれたちの席が青い透明なベールに覆われた。

 

 「遮音したからね」


 「石井さんも力を・・・?」


 「私ね、父が僧侶なの」


 彼女は話し始めた。


 「隣のS市の龍頭寺。

 真言宗のお寺よ。

 父も私も霊能力を受け継いでる」


 「なるほど。

 おれは今日初めてだけど」


 「びっくりした。

 目が金色になってるんだもん。

 今は元に戻ってるから大丈夫ね」


 彼女は微笑した。

 図抜けた美貌ではないが、それでも十分美人だ。


 「担任の杉田はね、ギンコンスなの」


 「なんだそれ?

 日本語?」


 彼女はうなずき、手短に言った。


 「ユウマ君、横目で左の窓をそっと見て。

 何が映ってる?」


 言われた通りにしてみた。

 通りに面した大きなガラス窓の外側に、銀色の小さな犬みたいのが張り付いている。


 「犬がいる。

 毛並みは銀色で、目は赤」


 「先生の使い魔よ。

 先生は新興宗教団体『ギンコンス』の最高位。

 稲荷信仰が崩れたような宗教で、なまじ霊能力をもってるから厄介なの。

 先生、あなたのことを知ったら何するか分からないわ」


 「ヤバい話だな。

 どうしてそんなこと知ってるの?」


 スズナは抹茶ラテにミルクを足し、答えてくれた。


 「お寺の関係で・・・ね。

 ギンコンスの証拠も見つかったし。

 今度学校に行ったら、先生の後ろ姿をじっと見てみればいい。

 そうすればわかるから」


 「教えてくれてありがとう。

 なんだか魔境に堕ちた気分だよ」


 「ねえ、ユウマ君」


 スズナはじっとこちらを見て、意を決したように言った。


 「ごめんなさい!」


 いきなり頭を下げた。


 「いきなりどうしたんだよ?」


 「謝らなくてはいけないの」


 スズナは小さい声でしかしはっきりと言った。


 「私の先祖があなたを封印した。

 許されざる罪を犯した。

 義経様、どうか石井を・・・お許しくださいませ」


 「ちょっと待て。

 話が見えない。

 スズナはおれを何だと思ってるんだ?」


 「源九郎義経公・・・の転生体」


 「バレてんのかよ」


 思わずテーブルに突っ伏した。

 スズナはうつむきつつもこう言った。


 「私の先祖、石井正親は800年以上前、平泉の寺院にいた僧だったの。

 法名は円快といって、地元の豪族の息子だった。

 封印や結界術の達人でね、鎌倉軍が奥州征伐に来た際、捕らえられた」


 石井一族は捕らえられ、義経の魂を封印することを強いられたという。


 「当然、正親はこれを拒否。

 すると、鎌倉殿は正親のまだ幼かった弟の首を刎ねた。

 母親の首も斬ろうとした時・・・」


 正親もとい円快は母まで殺されるには耐えられず、承諾してしまった。


 「彼は終生鎌倉殿を恨んでいたらしい。

 殺された弟の菩提を弔い、義経公に懺悔しつつ北関東のこの地まで流れ歩いて寺を建てた。

 それが龍頭寺の始まりよ。

 一般には知られてないけれど、寺の本当の由来はそれなの。

 晩年、彼は子弟と共に不動明王に誓った。

 封印が解けた暁には、彼の子孫が義経公に仕え、守ることを。

 それまでは明王から授かった霊力で、この国に巣食う魔と戦い続けることを」


 「おれは誰も呪ってないぜ、好きに生きればいいのに」


 スズナはあきらめたような微笑を浮かべた。


 「そうね。

 でも、あなたを傷つけたりまして封印すること自体が呪われる行為なの。

 石井は日本の神々に嫌われ、親子同士が共に暮らすことができない状態で・・・」


 なるほど。

 霊能力をもった石井の者が二人以上いると、神祇が攻撃してくるのだという。

 

 「母と私はこの街で暮らしてるけど、父は隣の寺で一人暮らし。

 たまに会いに行く分には大丈夫だけれど、どんなに好きな肉親でも一緒にいられないなんて」


 スズナの母親は他家の出身なので、呪われていないらしい。

 互いに親愛の情をもっているのに一緒にいられない石井家。

 情もへったくれもない欲望丸出しの黒木家。

 おれは目を閉じ、人間の醜さを感じた。

 すべては鎌倉の―――腹違いの兄、あいつのせいだ。


 「スズナ、おれはもう石井のことは何も思ってない。

 それよりどうだ、ヨネダコーヒー名物のホワイトケーキを食べないか?

 いつも世話になってるからさ、おごらせてよ。

 あと、サンドイッチも頼んでいいぞ」


 結局いやがるスズナを説き伏せ、すべておごった。

 ついでもって彼女はベジタリアンだった。 

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