第795話 これは「羊頭狗肉」だろう。

記事は南日本新聞、Yahooニュースより


表題は


胸がキュンとなる「恋の病」…ちゃんと病名があった ハートの専門家「度が過ぎると体に大きな負担がかかる」


というものだった。多くの人が、恋をして胸が「キュン」とした経験はおありだろうと思う。そんなものに病名がついていたのか、と思い、記事を呼んでがっくりした。


心疾患の中で、「たこつぼ心筋症」という疾患がある。日本で発見された疾患で、英語でも”Takotsubo-cardiomyopathy”と「たこつぼ」という名前がついている。


心室造影を行なったり、心エコー検査をすると、心基部(心臓に入る血管や心臓が出ていく血管が付着している部位)は収縮しているが、心尖部(心臓の先っぽ)あたりが全く動かず、「たこつぼ」のような形に見えるので、そのような病名がついた。


詳細なメカニズムはいまだ不明ではあるが、強い心理的、あるいは身体的なストレスが一時的にかかり、身体を活性化させる物質である「カテコラミン」と呼ばれる物質の血中濃度が増えることが発症のメカニズム、と現在は考えられている。ほとんどの場合、経過とともに心機能は回復するとされている。


私自身も、後期研修医時代に1例経験したことがある。食欲不振で入院された70代の女性。何か大きなストレスがあったわけではないが、入院第3病日の夕食後、「胸が苦しい」との訴えで、院内に残っていた私がコールを受けた。診察し、血液検査、心エコー、心電図を指示したところ、血液検査では、心筋がダメージを受けたことを反映する「トロポニンT」という項目が上昇。心筋逸脱酵素の上昇も認めた。心エコーではasynergy(心筋が全体として規則正しく収縮と弛緩を繰り返してはいない、心筋の一部分の動きがおかしいこと)を認め、心電図でも明らかに3日前、入院時の心電図とは大きな変化を来たしていた。


素直にデータを見れば「心筋梗塞」が疑わしい結果である。


「わ~~っ!!えらいこっちゃ!!」


と真っ青になり、ちょうど帰宅しようとされていた循環器内科部長を呼び止め、


「先生、今から緊急でご紹介したい方なのですが…」


と患者さんのデータを見てもらった。


「これは『緊急で冠動脈のカテーテル造影検査』が必要ですね」


と快く緊急カテーテル検査を引き受けてくださった。冠動脈のカテーテル検査では問題となる狭窄病変を認めなかった。その後、心室造影をしてくださり、検査終了後


「保谷先生、これは『たこつぼ心筋症』ですよ」


と診断をつけてくださった。


後期研修医2年目のころだったと思うが、学生の教科書には「たこつぼ心筋症」という疾患名そのものが載っていなかった。なので、私は知らなかったのだ。


「先生、『たこつぼ心筋症』ってどんな病気ですか?」


と教えを請い、部長先生から前述のようなことを教えていただいた。


「この患者さん、循環器で私が診ますよ。先生、お疲れさまでした」


と患者さんは消化器内科(食思不振精査のため)→循環器内科に転科となり、先生は颯爽と帰っていかれ、その後光に手を合わせる私であった。


さて、当方内科医をずいぶんと続けているが、「たこつぼ心筋症」これまでに経験したのは2,3人である。心電図異常や心筋逸脱酵素の上昇があり、心筋梗塞除外のため、心カテーテル検査が必要な疾患であるが、頻度としてはそんなものである。


「恋のドキドキ」でたこつぼ心筋症を起こす可能性がないとは言わないが、たぶん、道を歩いていて、交通事故に逢う可能性の方がよっぽど高いと思われる。


何が『恋のドキドキには病名があった』だ。これじゃぁまるで「羊頭狗肉」ではないか、と記事を見て少し憤慨した次第である。

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