第794話 胃に人工肛門、横行結腸に胃瘻造設

3/1の共同通信より


<以下引用>

2022年に千葉県成田市の成田赤十字病院で受けた手術で、誤って人工肛門(ストーマ)を大腸ではなく胃に造設されて精神的苦痛を受けたとして、患者だった70代女性の家族が病院を運営する日本赤十字社(東京都)に計600万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴したことが1日、関係者への取材で分かった。提訴は2月27日付。


病院は共同通信の取材に医療ミスを認め「訴状はまだ確認できていないが、当院の不手際により、患者や家族に本来必要のない心配をおかけし、心からおわび申し上げる」としている。


訴状によると、女性は22年2月、成田赤十字病院で手術を受けた。執刀医の他にも医師2人が立ち会っていたのに、大腸の横行結腸か胃かを十分に確認することなく漫然と手術をして医療ミスを起こし、女性や家族が精神的損害を受けたとしている。


<引用ここまで>


腹部の解剖を考えると、臥位の状態(あおむけの状態)では、胃に覆いかぶさるように横行結腸がやってくることも多い。胃、横行結腸ともがっちりと固定されている臓器ではないので、「胃」をターゲットにした処置をしようとしているときに、横行結腸が上から覆いかぶさったり、今回のように、「横行結腸」をターゲットにしていたら、すっと逃げられて実は「胃」でした、という事は十分に起こりえることである。


私がしばしば話題に出す「マーフィーの法則」、その一つに「失敗する可能性のあるものは、必ず失敗する」というものがある。「失敗する可能性のあるもの」はいずれもどこかで誰かが必ず失敗している、という法則である。この事件を耳にして、最初に頭に浮かんだのが、この法則だった。


腹部手術をするときに、目の前のこの腸管が「小腸(空腸、回腸)」なのか、「大腸(盲腸、結腸、直腸)」なのか、を区別するには、大腸に特有の構造である「結腸ヒモ」を見つければよい、と教科書に書いている。他の消化管には見られないが、大腸は平滑筋線維が集合して線上につながっている3本の「結腸ヒモ」という構造物がある。これを見つければその腸管は大腸と確定するし、「結腸ヒモ」を見つけるのは、基本的には難しくない。


私は外科医ではないので、細かいところを語る資格はないのだが、「人工肛門」を作らなければならない場合、というのは大腸がんなどで大腸閉塞を来たして、減圧が必要な場合や、大腸がん、大腸穿孔の穿孔部切除術後で、創治癒までの間、吻合部分に食物残渣を通したくない場合である。


私が研修医時代に見聞した人工肛門造設術は、大腸がんの開腹手術とセットで行なわれており、「腹部正中切開」という、一番おなかの中を見やすい切開術で手術しているものだった。しっかり開腹すれば、横行結腸と胃を見間違えることはない。


ただし、切開創を広げるほど、患者さんの身体への負担が大きくなるのは事実である。少し時間の経ったニュースなので、どこで読んだのか、原文が見当たらないのだが、本症例は、緊急手術で、小切開で行なわれた、と読んだ記憶がある。


人工肛門造設単体を行なう場合はおそらく緊急で大腸の減圧を図る必要があるときである。Yahooニュースのコメントで、おそらくDr.からのコメントだろうと思ったのだが、「緊急で減圧を図らなければならない状態であれば、小切開で対応しようとすれば、十分に「結腸ヒモ」の確認ができないほどに大腸がパンパンになっているであろうと思われる。となれば、このような事故は可能性として起こりうるものだろう」というものがあった。


「胃と大腸を間違えるなんてありえない」というコメントがずらりと並んでいたからだろうか、そのようなコメントがあった。このコメントはある意味妥当だと思った。緊急減圧であれば時間との戦いになる。切開創を広げるほど、患者さんのダメージは大きくなる。となれば、可能な限り必要十分なサイズの切開としなければならない。ただその切開創だと、そこからパンパンになった結腸を2本(人工肛門造設のため切開するラインから見て、その口側と肛門側の2本)引きずり出すことは困難である。という事がミスにつながったのだろう、という事であった。


もちろんそのコメントでは、「胃の粘膜と大腸の粘膜、肉眼的に明らかに異なるので、人工肛門造設の術中にその粘膜の違いに気づかなければならないだろう」という批判は入っていたが。


報道されたのは「胃に人工肛門」を作った、という医療事故であったが、これとは逆に、「横行結腸に胃瘻を作った(正しく言えば、腹壁と胃壁の間に横行結腸の一部が挟み込まれて胃瘻が造設され、初回の交換後、交換した胃ろうの先端が横行結腸内にとどまった)という症例を見たことがある。これは私が後期研修医4年目(卒業間近)のころだった。


PEG(経皮的内視鏡下胃瘻造設術)では、絶食状態の患者さんを仰臥位にして、まず上部消化管内視鏡(胃カメラ)を胃内に挿入する。胃内をざっと見まわして、問題になりそうな病変がないことを確認し(ここが不十分で、胃瘻造設後に胃癌が見つかった方を訪問診療でfollowしたことがある)、一時的に内視鏡の観察光の強度を上げる。内視鏡室を薄暗くしておくと、腹壁を介して、その光が透けて見えるので、大まかな穿刺位置のあたりをつける。


観察光を通常に戻して、腹壁を指で押さえて、どのあたりが胃瘻造設に適切かを決定する。「ここ」という場所が決まれば、そこにマークを付け、超音波検査を行ない、腹壁と胃壁の間に横行結腸が挟まっていないことを確認する。確認できれば、胃瘻造設キットに付属の器具を使って、2か所、腹壁と胃壁をナイロン糸で密着、固定させる。そして、「ここ」という場所を十分な局所麻酔ののち、セルジンガー法を用いるため太めの針で穿刺。ガイドワイヤを十分に胃内に挿入し、穿刺部位に皮切を加えて、ダイレーターという「穴を広げるパーツ」をガイドワイヤに通し、胃ろうが挿入できるだけの穴を広げる。ガイドワイヤを残したままで、ダイレーターを抜き、ガイドワイヤに、挿入すべき胃瘻を通して、胃ろうを胃内に挿入する。これらの作業は胃内にある内視鏡で常に観察されており、胃内に胃瘻の先端が留置され、持続する出血がないことを確認した時点でガイドワイヤ、上部消化管内視鏡を抜去して、その日の処置は終了となる。


胃壁と腹壁の間に「横行結腸」が介在しないのを確認するのは、糸を通すための穿刺をする前の一回、短時間なので、そのあとに横行結腸の一部が滑り込んできてもわからない。なので稀に、胃壁と腹壁の間に横行結腸の一部が入り込んでしまう事が起きる。ただ、手技を行なっている間、横行結腸が滑り込んでいるかどうかはわからない。確認のしようがないのである。


このように胃と腹壁の間に横行結腸が介在してしまった胃瘻。造設時は内視鏡で先端が胃内にあることを確認しており、胃壁と腹壁を糸で固定しているので、大きな問題なく、ことが過ぎていくことがほとんどである。


最近は、胃ろう交換時には、内視鏡監視下で、というガイドラインが出たが、私が研修医のころは、まだそこまで厳しくはなく、あらかじめ色水を胃内に入れておき、胃ろう交換後、色水が引けたら成功、とか、交換後、新しい胃瘻からエアを入れ、「ブクブクっ」と胃泡音が聞こえたら成功、としていた。


で、この胃壁と腹壁の間に横行結腸が介在していた場合は、初回の交換時に、古い胃瘻を抜去すると、抑え込まれていた横行結腸のスペースが開き、腹壁と横行結腸の瘻孔と、横行結腸と胃との瘻孔に分かれてしまう。造設の時には糸で固定していたが、交換の時には糸で固定はしないので、腹壁から挿入した胃ろうは横行結腸内にとどまることになる。


すると、「胃瘻を交換してから、胃ろうから注入するとすぐに下痢をする」という主訴で患者さんが受診することになるのだ。腹部CTをとってもわかるし、胃ろうから「ガストログラフィン」という造影剤を流して腹部レントゲンを撮ると、胃ろうから横行結腸が染まるので、すぐに分かる。


命にかかわるトラブルではないが、患者さんは再度胃ろうを造設することになるので、患者さんにはしんどい思いをさせることになる。


胃瘻が横行結腸に入っていた患者さんの主治医は大きくしょげていた。一つは患者さんにつらい思いをさせてしまったこと、一つは「医療ミス」として、誠意をもって患者さんやご家族への対応に当たらなければならないこと、もう一つは、「職人」としての自分の技術の未熟さを否応なく目の前につきつけられるからである。


おそらく、「胃に人工肛門」を作った人も、「訴状」のように「漫然と」仕事をしていたわけではないと思う。注意して仕事をしていたと思われる。なので、術者も先の3つのことで苦しんでいるだろうと思う。医師も基本的には「普通の人間」である。今話題の「脳神経外科の竹田くん」のようなメンタルの人は極めてまれである。


裁判になった、という事だが、おそらくどこかで「和解」という形になるだろう。ただ、医師は、普通の人が思っている以上に大きなダメージを受けているのである。それを知っていただければありがたいと思う。

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