第792話 こんな外来、20年で初めてだ。

昨日は外来日。診察開始前には「どうか重症患者さんが来ませんように。どうか患者さんの病気を見逃すことがありませんように」と天に祈ってから外来を開始するのだが、祈りが届いているのかどうか、これは天のみが知ることだろう。少なくとも診察が始まってしまえば、全力で診察をするのみである。


お見えになる患者さんは、土曜日のためか、平日は仕事で受診できない年齢層の方の定期診察や、健診異常についての精査、などの比率が上昇する。特定健診を含め、そのような患者さんを診察していった。


そして、「次の患者さんです」ということで回ってきたカルテを見て「あれぇ?」と思った。というのも、私が定期診察をしている、認知症、心房細動をお持ちの方で、先日診察し、6週間分の薬を出したばっかりだったからだ。


「何だろう」と思いながら患者さんを診察室に呼び込む。診察室にはいつもご主人がついてこられる。この日もご主人付き添いだった。


「おはようございます。今日はどうされたのですか?」

「先生、実は、この2年で、4回、意識を失っとるんですわ。昨日の晩も夕食中に意識を失って、救急車を呼びました。運ばれた病院でされた血液検査がこれですわ。なんでこんなに意識を失うんか、と思って、今日来させてもろたんです」


2年で4回か…。厄介だなぁ、と思った。ご本人はいつもと様子は変わらず、受け答えもいつも通りで変わった様子はなかった。


一時的に意識を失うことを「一過性意識消失発作」と呼ぶ。一時的に意識を失うので、一般の人(そして残念なことにある程度の割合の医師も)は、脳に問題がある、と考えている。確かに最終的には脳の大きな部分が一時的に機能不全を起こすので意識を失うのだが、結局それは「最終結果」であって、なぜそうなったのか、を考えるのが「医師」の仕事である。


まず原因が「脳」そのものにあるか、「何かの要因」で「脳が一時的に働かなくなった」か、と考えてみる。「脳」そのものが壊れてしまうと、当然のことながら、「一時的に意識を失って、数分後に完全に改善する」なんてことは起きない。なので、「脳出血」は考えにくい。「クモ膜下出血」ならごくまれに、一時的に意識を失い、その後意識を取り戻す、という経過を取ることはあるが、基本的に激しい頭痛を伴う。脳が強い衝撃を受けて意識を失うものとしては「脳震盪」や「急性硬膜外血腫」の“Lucid interval”(意識が清明な期間)が考えられるが、夕食中に意識を失った、という話とは合わない。あとは、様々な原因で、脳に不自然な電気刺激が起き、全体に不調和で不自然な電気刺激が脳全体を走り回る「てんかん発作」は忘れてはいけない。


「何かの要因」で「一時的に脳が働かなくなった」という場合は、その「何かの要因」を考える必要がある。脳の神経細胞には常に「酸素」と「ブドウ糖」が必要である。なので、その供給が途絶えると脳の機能が失われる。もちろん長時間酸素とブドウ糖の供給が止まってしまえば脳細胞が死んでしまうので、「一過性意識消失発作」となるには、その供給が「一時的かつごく短時間」途絶える、という状態である。なので、「窒息」や「一酸化炭素中毒」、「低血糖」は「遷延性意識障害」の原因とはなっても「一過性意識消失発作」の原因としては不自然である。


となると、「一過性意識消失発作」の原因としては、「一時的に脳を潅流する血液量が激減する」病態、と推測がつく。このような病態を“Syncope”(失神、シンコピーと発音する)と呼ぶ。


強い心理的ショックを受けたり、ひどい痛みなどで血の気が引いて意識を失う病態を「血管迷走神経反射」と呼ぶ。副交感神経である「迷走神経」が痛みや心理的ショックで過度に興奮し、血圧が低下することで、物理的に高い位置にある「脳」に十分な血流が届かないことで起きる。


あとは、不整脈が原因で、心臓から送り出される血液量が低下することで脳に血流が十分に送れない病態もある。この病態は大きくひっくるめて”Adams-Stokes発作“と呼ばれたりする。Adams-Stokes発作による失神発作は、不整脈が続けば命を落とすこともあるので、「危険な失神」である。


と、このようなことを医学生の時に勉強し、私がトレーニングを受けた研修病院では、ERで嫌と言うほどこのような患者さんを診察するので、今では診察の時には、こんなに考えることはなく、「一過性意識消失発作」と聞けば、鑑別診断(考えるべき診断)として、「てんかん発作」「血管迷走神経反射」「Adams-Stokes発作」「それ以外の原因」と、この4つがすぐに想起される。「それ以外の原因」となれば、そこで深く考えることになるわけである。


「なるほど。それは大変でしたね。救急搬送された病院ではどんな検査を受けて、どんな診断でしたか?」

「いや、娘がついていったんだけど、血液の検査をして、点滴をして、『いま、意識が戻っているから大丈夫でしょう』といわれて返されました」

「あぁ、そうですかぁ…」


と、私は少し残念な気持ちになった。今回救急搬送された病院は、非常にしっかりした病院であることはよく知っているし、この病院だけでなく、他の病院、時には大学病院もそうであるが、最近強く感じるのは、「ER、救急外来での初期評価が不十分」だということである。


私自身、気持ちはまだまだ後期研修医なのだが、実際は、この春で20年選手となる。今の急性期医療を取り囲む環境と、私が初期・後期研修を受けたときの環境も異なり、また、私がトレーニングを受けた病院が、「ERでのトレーニング」を極めて重視していたこともあり、つい、自分の研修医時代と比較してしまうのだ。「老害」といわれればそうなのかもしれない。


とは思いつつ、それぞれの病態に対して、考え方が極端に変わった、ということはそれほど多くはない。一過性意識消失発作とて、同様である。まず病歴から想定される病態を推測し、必要な検査を行なう。疾患が診断され、ERの対応で治療が完結できるなら治療を、専門医の評価が必要だが入院は不要、ということであれば専門診療科の予約を取って帰宅、入院が必要であれば適切な診療科に入院を依頼、というのがERの仕事である。


その一方で、私たちの時代からも「夜間救急は、翌日までの繋ぎでいいんだ」という考え方もあった。


少なくとも、患者さんがERで受けた対応は、「一過性意識消失発作」の原因を探る、という対応ではない。


「すいません、ご主人。奥様が意識を無くされたときは、どんな感じでしたか?」

「はい、娘も交えて会話をしながら食事を取っとったんですわ。そしたら、直前までしゃべっていたのに急にしゃべらなくなって、全身が強くこわばり、両手がガクガクと震えていました。呼びかけても返事はなく、身体を触ると冷たくなっていたのでとりあえず横にして、救急車を呼びました。そんな状態が5分ほど続いて、意識がだんだん戻ってきました」


ご主人は結構細かい方なので、いつもの診察の時にはずいぶん気を使っているのだが、今回はそのご主人の細かさが診断に非常に有用であった。当初は、患者さんが「心房細動」という不整脈を持っておられるので、「Adams-Stokes発作」ではないか、と思っていたのだが、ご主人が細かく見ていてくださったおかげで、容易に診断がついた。「てんかん発作」だ。


「あぁ、そうでしたか。ありがとうございます。ご主人が細かく様子を覚えてくださっていて、ものすごく助かりました。『一過性意識消失発作』は、発作の時の様子が診断に非常に大事なんです。ご様子をうかがうと、一番可能性が高いのは『てんかん発作』だと思います。ある程度年齢を重ねてから出現したてんかん発作は、脳出血や脳梗塞、脳腫瘍など、ダメージを受けた脳の部分が「焦点」という、てんかん発作の出発点になっていることが多いです。頭部のCTで問題がないかどうかを確認させてください」


ということで、頭部CTを確認した。以前の頭部CTと比較するが、大脳の萎縮はあるものの、明確な脳梗塞や、脳しゅようを疑うような変化はなさそうだ。一過性意識消失発作の原因は、同様の発作を繰り返しており、「てんかん」と考えてよさそうだ。


「ご主人の観察が、今回の診断の一番の鍵でした。診断は「てんかん」でいいと思います。脳の病気があって起きる「症候性てんかん」とは言い難いと思います。いずれにせよ、抗てんかん薬を試してもらいましょう。いつもの薬と日数を合わせて処方します」


と説明し、抗てんかん薬を処方し、経過観察とした。


そして、またいつものように診察を続けた。


11:30ころか、全く初診の方のカルテが回ってきた。40代の男性で、知的障害があり、施設に入所中、とのことだった。受診理由は「2013年に頭部外傷を受傷してから、しばしば睡眠中に急にうなり声をあげ、様子を見ると、手足が強直して動かず、呼びかけても目覚めない状態が5分程度続く、ということを繰り返しており、今朝未明にも同じ発作があったので受診した」とのことだった。


ご本人とお父様が診察室に入ってこられた。ご本人は特に麻痺もなく、受け答えもそれなりにしっかりしており、知的障害がある、ということを考えると「問題はなかろう」という印象だった。胸部聴診では不整脈はなく、何よりこの患者さんも「発作時」の様子を詳しく見ておられ、やはり「てんかん」が最も可能性が高いと考えた。


基本的には「てんかん」は小児期~思春期に発症することがほとんどで、年を重ねてから「本態性」(簡単に言うと、「取り立てて原因の見つからない」)の「てんかん」を発症することは稀である。私の白衣のポケットに入っている「医師」の「格言集」でも、


「40歳を超えて発症したてんかんは、否定できるまでは『脳腫瘍』が原因と考える」


とされているほどである。初診の患者さんなので、電解質異常や臓器の問題などを確認するために血液検査と、頭部CTを指示した。検査結果は特に問題なし。


「お話からは、睡眠中のてんかん発作の可能性が高いです。この年齢で始まった「てんかん発作」は、脳に何か傷がついたりして起きる「症候性てんかん」が多いので、頭部CTを取りましたが、CTでは問題はありませんでした。血液検査の結果も、特に問題はなく、診断としては「てんかん」と考えて良いと思います。てんかんのお薬を開始しましょう」

「あの…先生?脳波とか、そのほかの検査はいらないんですか?」


おぉっ、いいところを聞いてくださる。「脳波検査」はあくまで「補助診断」という扱いなのである。発作の最中の脳波を取れれば一番良いのだが、そうでない場合、「脳波」で異常を認めても、全くてんかん発作を起こさない人もいれば、検査では異常波がないにもかかわらず、てんかん発作を繰り返す人もいるのだ。なので、「脳波」を取らなければ「てんかん」の診断ができない、ということはないのだ。


その旨、お父様に説明したが、


「いや、それでも…」


と検査を希望される。それならそれで問題はない。残念ながら当院では脳波は検査していないので、大きな急性期病院を紹介し、精密検査、治療を受けてもらうということにした。


お父様から希望の病院を確認。今は「てんかん」は「精神科」ではなく「脳神経内科」が管理するので、希望の病院に「脳神経内科」があることをホームページで確認し、紹介状を書くことを伝え、診察を終了とした。


その後も大きな出来事なく、土曜日にしては非常に穏やかに外来が終了した。


ただ、一枠の外来で、「てんかん」と初診で診断をつけた人が2人おられた、というのは、これまでで初めてのことだった。単純に確率の問題ではあるのだが、「初めてだなぁ」と思った次第である。

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