第384話 40歳の壁
昨日の夕食中、長男から不意に質問を受けた。
「なぁ、父(最近長男は、私を「ちち」と呼ぶことが多くなった)。父は「40歳の壁」って感じたことがある?」
「『40歳の壁』って何?」
「うーん、まぁ、40歳ころを境に、自分の人生を見つめ直したり、仕事など自分の中での優先順位が変わったりとか、そんなことはなかった?」
「あぁ、40代は確かに前半と後半で、ずいぶん体力が落ちたり、老眼が出たり、ちょっと心の調子を崩して休んだりと、いろいろなことがあったけど、『年齢』で、そういったものが変わった、ということはなかったなぁ。むしろ、『結婚した』とか、『あんたらが生まれた』とか、そういったイベントの方が父の人生の在り方に影響を与えたと思うよ」
と答えた。「40歳の壁」という言葉を題名に冠した書物が複数出ていることは聞いたことがあったが、息子に聞かれるとは思わなかった。ただ、自分の中で大切にすべきもの、の順位が若いころと大きく変わった、とは感じていない。その一方、現実問題として、「自分の人生が『後半戦』に入った」あるいは、「自分の『これまで歩いてきた道』と、『自分の前にある道』を比べると、いつの間にか『自分の前にある道』の方が少なくなったなぁ」と思うことは多々ある。
自分は、現役生と比べて8年遅れで医学部に入学したので、私が初期研修医となったのは32歳の時だった。なので、実年齢は40歳でも医師としては8年目であり、まだまだ至らぬところばかりであった(いや、今でも至らぬところだらけなのだが)。
40歳なら、診療所に移動して、2年目のころだろうか?恩師もお元気で、週に一回は研修病院に戻って内科カンファレンスにお邪魔して、師匠のお言葉を聞きつつ、後期研修医時代から訪問診療でfollowしていた患者さんの訪問診療を継続していたりと、冷や冷やしつつ、仕事を回しつつ、という感じで仕事をしていたころだ。
現役で医学部に入学し、留年することなく研修医となっていれば、おそらく40歳は医師として16年目くらいになるのだろう。私が48歳の時は、ちょうど心を病んで休職していたころだから、私にとっての「40歳の壁」はそのころだったのかもしれない。
ただ、そのころは、自分の大切にしたいものの順位と、実生活が大きく乖離していたので(それが病気の原因であったのだが)、そういう視点で見ると、診療所時代後期の生活パターンから外れた、いわゆる「人としてまっとうな生活をできる」労働時間となった今では、自分の価値観と大きく外れることなく、仕事を行ない、家族を、そして自身を大切にできているのかもしれない。
ということを考えると、とてもありがたいことである。
結局長男には、「『40歳の壁』って、確かに体力的なことでは、衰えを感じることは増えたけど、自身の価値観とか、そういったものは大きく変わっていないと思うよ」と答えておいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます