第339話 「上気道閉塞」は完全閉塞直前まで酸素飽和度は落ちない(ように思う)

また悲しい医療事故が起きてしまった。愛媛県の病院で下顎骨の手術を受けた10代の女性が、術後2日目の深夜、呼吸苦を訴えが強く、その診療科の宅直医師に連絡。体位調整で様子を見るように指示があった。看護師さんは注意してその患者さんのケアに当たっていたが、残念なことに、その1時間後、女性が急変し呼吸停止。院内当直中の救急医を呼び、気道確保、蘇生処置を行ない心拍再開したものの、20日後に永眠された、とのことである。


極めて残念な事故である。おそらく「患者さんが苦しそう」という時点で院内の医師(のちに救急科のDr.が出てこられるが、特に救急科のDr.なら)を呼び、患者さんを見てもらえば(これは「診る」ではなく「見る」レベルでわかるはず)、大慌てになっていたであろうと思われる。おそらく、患者さんは相当苦しかったと思う。ただ、メカニズムはよくわからないし、経験則でもあるのだが、中枢気管~上気道の閉塞に伴う呼吸苦は、呼吸停止直前までSpO2の値がほとんど動かない印象がある。末梢気道の閉塞である喘息なら、「息苦しい」とそれなりにひどく苦しがっている人のSpO2は低下しているのが普通であるにもかかわらず、である。


上気道閉塞~中枢気道の閉塞に直面することはめったにないことで、私自身が記憶しているのは、悪性腫瘍による気管閉塞の方、魚骨の梨状陥凹穿孔に伴う下咽頭~喉頭軟部組織の膿瘍形成の方、急性喉頭蓋炎の方くらいしか思い出せないが、いずれの方も呼吸苦はかなり強かったが、SpO2の値は97~98%と良好であった。悪性腫瘍の気管閉塞の方は、stridorもかなり強かったが、何もできるわけではなく、ご本人も延命治療を望んでいなかったので、麻薬で呼吸苦を取って、お看取りとした。


魚骨穿孔による頚部膿瘍形成の方は、私に引き継がれた時は、ERボスの必殺技、盲目的経鼻気管内挿管術(何の器具も用いず、鼻から気管内挿管チューブを挿入し、「えいやっ!」で気管内挿管をする技。理屈では、空気の流れは鼻から自然に気管に入るように流れる構造になっているが、それでも多くの場合経鼻挿管の場合はマギール鉗子などで誘導することが多い。何も器具を用いず、呼吸のタイミングに合わせて「えいやっ!」で挿管できるのは豊富な経験があるから)で気道確保ができた後だったので、搬送時の状態はカルテと、救急隊からの情報用紙しかなかったが、そこでもSpO2は97%だったと記憶している。


急性喉頭蓋炎の方は私が診断し、気管支鏡を使って挿管を試みたが不成功。当直医が消化器内科医で、経鼻上部消化管内視鏡を使って挿管してくださったが、この方も、気管支鏡で覗くと気道はピンホール状態だったが、SpO2は98%だったと記憶している。いずれの方も、窒息寸前であった。


おそらくいずれの方も、仮に気道が完全閉塞したと仮定すると、それと同時にSpO2は急降下したのだろうと思っている。


これは私の空想だが、喘息など末梢気道の攣縮では肺胞や呼吸細気管支など、ガス交換を行なうすぐ近くで狭窄が起きているので、肺胞内に空気が入りにくくなり、病状の重症度とSpO2は比較的リンクしているのでは?逆に中枢気道の狭窄では、狭窄を乗り越えた後は肺胞まで気流制限なく空気が入っていけるので、狭窄を乗り越えるための呼吸運動が大きくなり、呼吸苦が強くなるものの、酸素飽和度は末期まで維持できるのでは、と考えている。


いずれにせよ、中枢気道の閉塞については、SpO2の値より、本人の苦しさの方がよほど重症度を反映している。だから、SpO2が悪くないから大丈夫、なんて思っていると大怪我をするのである。


確か診療科は形成外科だったと記憶している。これが耳鼻咽喉科/頭頚部外科だったら違った対応になっていたのではないか、と思わなくもない(「急性上気道閉塞」の専門診療科は「耳鼻咽喉科/頭頚部外科」なので)。あるいは、看護師さんから見て明らかに重症である場合は、院内の適切な診療科にダイレクトで診察を依頼できる体制があればよかったのかもしれない。


私の研修病院では、各科の垣根も、あるいは医師と看護師さんの垣根も低く(1年次の「右も左も分からない状態」からお世話になっているので、年次が上がり、専門医を修得したりしても、力関係はあまり変わらない。私も研修病院を離れるまで、看護師さんからはニックネームで呼ばれていた)、何かあれば、どこの病棟なのかも関係なくERにHelpの電話がかかってきていた。ダッシュで行かなければならない場合は、ダッシュしていた。そのような関係が成り立っていたら、患者さんが呼吸停止する前に、救急科の医師を呼んで、気管内挿管なり、気管切開なり、ミニトラックの挿入なりを行ない気道を確保し、命にかかわることはなかっただろう。


大病院ゆえのルールの縛りがあったのかもしれないが、本来失われなかったはずの命、とても悲しいことである。心からご冥福をお祈り申し上げる。

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