第313話 これは良くて、これはダメなの??

以前にも書いた、首相秘書官のLGBT(Q)発言。秘書官は更迭され、首相もある意味「手のひらクルー」状態で、一度は流れてしまった「LGBTQ理解増進法案」(この名前も「一体何なんだ!」と思ってしまうが)を法案再提出する、云々という話が出ている。


このドタバタを見ていると、「岸田内閣」は、多様性を理解し、大切にしようとしている、というフリ(いや、フリにもなっていない)をして、結局は「選挙対策」のため、という匂いがプンプンしていて、白けてしまう。では野党側はそのような問題に対して深い思考を行ない、深い思索の上から議論をしているか、というと、あまりそういうものも見えてこない。直前に書いた「共産党」の「民主集中制」なんて、多様性と対極であり、自民党より質が悪い。


誰しもが「情動」の部分で好き嫌いを持ち、その好き嫌いは各個人によって異なるので、「情動」としての差別感を完全に消し去ることは不可能である。これは人間の「業」と言ってもよいであろう。ただし、人間の理性は、「情動」のかなりの部分を抑制可能なので、「情動」ではなく、「理性」として、多様性の許容、差別の解消を行なうことはできるだろうと思っている。


今回はLGBTQのことが取り上げられており、法案の名称も確定ではないものの「LGBTQ理解増進法案」などと呼ばれているが、問題はLGBTQのことだけではないはずである。「家庭」という視点で議論するならば、「夫婦別姓」の問題もそうである。結婚すると圧倒的に「女性」が「男性」の姓を名乗ることが多い。過去の「家族観」の延長みたいで、憲法にも「婚姻は両性の同意によってのみ成立する」とあるが、「嫁入り」という言葉はいまだに死語にはなっていない。そういう点では「結婚」という行為は同性婚、異性婚にかかわらず、再定義、あるいは従前の意識を変革する必要があると思われる。


LGBTQを「性的嗜好性」という視点で考えるなら、よりマイナーな性的嗜好についても建前論ではない議論を必要とするのではないか、と思われる。


「サド・マゾ」の問題についてはその関係の二人の合意があれば、片方が命を落とすようなことがなければ、第三者の出る幕ではないが、「性的嗜好性障害」として頻度の高い「ペドフィリア(小児性愛)」などについても、頻度の高さゆえの議論は必要であろう。


少し「花街」について検索してみたが、江戸時代の「遊郭」では、10代前半の女性は『禿(かむろ)』と呼ばれ、花魁に付いて礼儀作法などを教育されていたとのこと。そして14~15歳ころに「床入り」を迎えるとのことであった。「性的嗜好性障害」が社会的、文化的側面を持つ、というのはこういう事であり、江戸時代では、ミドルティーンの性交渉は「珍しくもない」「当たり前」ということでもある。上級武士が妻を迎えるにしても、迎える妻も、そして夫もミドルティーン(何せ男性は16歳で元服(大人の仲間入り)であったわけである。と考えれば、世が世なら、「ペドフィリアでミドルティーンを好む」人は、現在はその欲望をリアルに叶えれば「犯罪者」であるが、江戸時代なら「当たり前」という事である。


世界の「ペドフィリア」に対する風当たりは激しく、当然現実世界の児童ポルノは「違法」であり、もちろんそれは「違法」であってしかるべきだが、「創造物、制作物」に対しても「違法」とされている国が多い。それは「捕鯨」をヒステリックに批判する行動と相通じるものがあるように感じられるのだが、それはそれとして、国内でも「創造物、制作物」も「違法」とする動きがあった。創作者たちがロビー活動を行なったことで、「創造物、制作物」そのものが「児童生徒」を直接害するものではなく、その制限は「表現の自由」に反する、という解釈を引き出した経緯がある。


そういったわけで、LGBTQの問題が解決すれば、「家庭観」「家族観」あるいは「性的嗜好性」についてすべてがクリアになるわけではなく、さらに為政者であったり、あるいは社会を構成する「一個人」としての思索が必要となるであろうと思われる。


最近しばしばネット界隈を賑わせる「某女性保護活動」をする団体。その主張を見ると、いわゆる容姿端麗ではない中高年の男性に対する強い「ヘイト」を感じてならない。


仮にその言葉をLGBTQの人に投げかければ、「深刻な人権侵害である」と言われるであろう言葉で、当たり前のように「侮蔑」の言葉をかけ、あまつさえその言葉を用いて動画をYouTubeにあげたりしている。


「貧困女性の支援」を謳いながら、援助しているのは「ホストに月額100万円以上貢ぎ、そのためにお金が足りなくなり、いわゆる『パパ活』で多額のお金を稼いでいる女性」などであり、そのグループが言うところの「キモイおっさん」に「私たちは買われている」とののしるわけである。


いや、第三者から見れば、自分が多額のお金をホストに貢ぐために「キモイおっさん」のお金を吸い上げているだけだろう。諸悪の根源は「金を貢がせているホスト(その上部に「キモイおっさん」がいる、というのも事実かもしれないが)ではないか?」分不相応な贅沢をするために、自分の価値を自分で切り売りしているのではないか?


もちろん男性がみんな聖人君子ではないのは、男性である私がよく理解していることではあるが、そのビジネスは「キモイおっさん」からの提案か、「安売りしている女性」側からの提案か、そんなものは一概には決められないだろう。「買う人がいるから売る人がいる」のか「売る人がいるから買う人がいる」のか、それこそ不毛な論議である。


LGBTQなどの人には決して使わない言葉を、平然といわゆる「中年男性」に使って平然としている人たちの「人権意識」はどうなっているのか、それを許容しているこの社会の「人権意識」はどうなっているのか、極めて疑問である。その対象が何であれ、深い思索の跡もなく、極めて感覚的に特定の属性を持っている人に「キモイ」と言い切る、公言することができる感覚が「おかしい」と私は思っている。


周りから理不尽に「キモイ」と言われ続けて、自ら命を絶ってしまう人もいるのだ。言葉の使い方、自分たちの在り方に対して、この方たちは「自省」することはないのだろうか??

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