第308話 「電気代」がこんなに上がっても…

2022年、円安が始まり、物価が「コスト・プッシュ型」の価格上昇が始まったころから、本当にあらゆるものの値上げが始まった。先日、訪問診療先のお宅で、たまたま居室のTVがついていたのだが、そこでは「電気代が月に13万円」という話題が取り上げられており、普通のお宅で電気代が13万円とは「マジか?!」と思うほどだった。


糖尿病の方を管理するときには、摂取する食事量だけでなく、血糖値を下げ、細胞にブドウ糖を取り込ませる働きのあるホルモン「インスリン」の動きもイメージしている。このインスリンの分泌動態と、日常の電力需要と供給の動き、実は考え方がほとんど同じである。


インスリンがなければ、ヒトは血中のブドウ糖(血糖)をうまく使うことができず、「糖尿病性ケトアシドーシス」の状態となって放置すれば死に至る。という事で、インスリンは生命維持に不可欠のホルモンである。なので、健康な方であれば常にある一定量のインスリンが分泌(基礎分泌)され、食事などで外界からエネルギーが入ってきた場合には、入ってきた栄養分に応じて追加してインスリンが分泌(追加分泌)される、という事が起きており、それで健康な人の血糖値は食事の量、タイミングによらず、常にほぼ一定値を保っている。


電力量も同様であり、昼夜を問わず使用され、要求されている電力があるため、発電量が昼夜を問わず一定で調節しづらいベースとなる電力(主に原子力)と、必要に応じて出力を変化させることができる電力(火力、水力)を組み合わせて必要な電力を供給している。電力は常に需要と供給が釣り合っていなければならず、その釣り合いが取れなくなると大きな支障が起きるため、場合によっては広範な停電(ブラック・アウト)を引き起こしてしまう。そのため、常に電力会社(今は配送電会社が管理しているのだろうか?)は需要の変化を監視しており(需要の変化は交流の周波数変化として観察される)、それに応じて供給量の調節を行なっている。


日本の電力供給については、いくつかの深刻な問題を抱えている。一つは、安定したベース電源が得られなくなっていること(原子力発電所の多くが停止していること)である。トラブル発生時のリスクが高く、放射性廃棄物の処理の問題も片付いていない原子力発電ではあるが、高出力で常に一定の電力を供給できる、という点でベース電力としては最適なものであった。核燃料そのものは高価ではあるが、必要量が少ないので火力発電ほどのコストがかかるわけでもなく、為替の変動に大きな影響を受けるわけでもない。CO2排出量も火力発電所と比較すればわずかである。


第二に、火力発電所の抱える問題である。現在ベースとなる電力がほぼ喪失されているので、ベース電力+調整電力を火力、水力を中心に提供しなければならない。水力発電は、ダム建設による環境問題はあるものの、できてしまえば、自然の力を使った発電なので問題は少ないが、火力発電については、削減目標を掲げているCO2を必然的に排出してしまう。なので、ベース電源の維持のため、CO2を出さない水力発電は常にフル活動とし、CO2を放出する火力発電所をベース電力不足と調整電力として使わざるを得ない。効率と環境汚染の問題を考えると天然ガス火力発電が優秀ではあるが、燃料費は高く、為替の影響を受けてしまう。


日本の石炭火力発電所は非常に優秀で、有害物質をほぼ排出することなく発電を行なうことのできるものとなっているが、非常に残念なことに、国内の炭鉱はほとんどが閉山してしまい、輸入石炭に頼らざるを得ない。これも結局為替の影響を受けてしまう。輸入炭が高価となってしまったら、再度閉山した炭鉱を再開発するのだろうか?それはそれで「新しい産業」となり、新しい雇用を生み出すのかもしれないが、やはり炭鉱労働者は危険な仕事である。


閑話休題。そして3つ目の問題がいわゆる「再生可能エネルギー」の問題である。これについてはいくつかの論点があるが、「電力供給」という視点で考えてみると、「一定の電力を安定して供給」できるものでもなく、「供給量を人為的に増減する」こともできない、いわば「駄々っ子」の電力である。これは風力発電、太陽光発電のどちらもである。太陽光発電は、太陽電池にどれだけの光エネルギーが入ってくるかで出力が変わる。なので、夜はゼロ、曇りの日は少な目、冬は日照時間が短く、夏はギンギンに発電してくれるが、一つは発電しすぎて困ってしまうこと、一つは発電のピークと電力使用量のピークがずれているので、ここ一番の役に立ってくれないことである。


雪国での太陽光発電は、曇天であれば発電量は減少する。また、九州電力管内では、夏には、需用電力を越える太陽光発電からの電力が流入するために、ピーク時には太陽光発電の一部を電力網から切り離さなければならない事態となっている。大容量の電力を効率よく安定して蓄える蓄電システムはいまだ開発されていないので、電力網から切り離された太陽電池からの電力は「全くの無駄」となっている。


かつては深夜の原子力発電の余剰電力を用いて「揚水発電」が行われていた。水力発電では「発電機」と「ポンプ」は全く同じもの(外から水力を加えて、電気を取り出しているときは「発電機」、外から電気を加えて、水をくみ上げれば「ポンプ」)なので、原子力発電の余剰電力を使って夜間にポンプを回して水をダムにくみ上げ(揚水発電用のダムをあらかじめ用意しておく)、日中の電力が必要な時間は、くみ上げた水を使って発電する、という事が行われていた。また、「深夜電力の活用」というのも同様で、原子力発電の余剰電力を安く使ってもらい、無駄を減らそう、という事であった。


しかしながら、現在では「揚水発電」は日中の余分な太陽光発電の電力を用いて水をくみ上げ、太陽光の発電量が低下する一日の電力ピーク時に発電に回す、という事を行なっている。電気エネルギーをポンプを回す、という運動エネルギーに変換するのはあまり効率のいいものではなく、また、蓄えられた水の力学的エネルギー(位置エネルギー+運動エネルギー)を電気エネルギーに変換するのもやはり効率の良いものではない。揚水発電だけではピーク時電力を賄えないので、現状では結局火力発電所を回すことになる。CO2を減らす目的で導入した再生可能エネルギーがあるために、火力発電所を回してCO2を作る、というのも悩ましいところである。


風力発電も、秋田県を中心にプロジェクトが進行中ではあるが、どうしても台風の影響を受けてしまう。また、大型の風車を回すタイプの風力発電では、建設費がかかる、維持費がかかる、壊れた時の修理費用も、修理に要する時間もかかる、大きい風車ほど故障しやすく、風がなければ発電しないし、限度以上の風が吹けば風車が壊れてしまうため、風が強すぎても発電ができない、と、現実はなかなか厳しい。比較的扱いの容易な小型風車をたくさん作るのが風力発電としては現実的だと思うのだが。


また、太陽光発電では発電された電気は直流なので、それを交流に変換するための大容量のインバータが必要である。風力発電で発電されるのは交流、あるいは脈流(向きは一定だが常に大きさが変化する電流)だが、風車の速度で周波数が変化するため、結局発電した電力を直流にして、インバータで一定の周波数の交流にしなければならない。ここでもエネルギーのロスが生じる。


屋上につけるタイプの太陽光発電、最近のものはパワーコンディショナー(発電した電力を交流に変換し、売電するか、電力会社から給電するかを判断する機械)は、自分の太陽電池で動くようになっているが、初期のものは給電されている100V電源で動いていたため、停電すると太陽電池は発電しているが、その電気を使えない、という事にもなっていた。


話は長くなったが、電力源としては極めて扱いづらいものが電力供給システムに入り込んでいるので、電力調整は一段と厄介になっている。原子力発電を作らない、というのであれば、システムの冗長性を持たせるために、再生可能エネルギーを使うために火力発電を作らなければならない、という大きな矛盾が発生してしまう。


また、メガソーラーについては、わざわざ二酸化炭素を吸収し、酸素を放出してくれる植物が生えている山を切り開いて、時には処分に困る電力を作る太陽電池をたくさん並べる、ということとなり、もうエコなんだか何なんだかわからない状況である。


あぁ、前置きが長くなってしまった。本題に戻すが、最近、電気代が上昇して、非常に家計を圧迫している状況である。そんなにバカみたいに電気代を払っているので、さぞかし電力会社は儲かっているに違いない、と思われるかもしれないが、電力会社はさらに大きな負担をかぶっており、巨大な赤字を計上しているのである。


東京電力は2022年度第三四半期まで(1年の3/4の時点で)6500億円の赤字、と報道されていた。私は少しばかり(自分のお小遣いで買ったので本当にわずかに)関西電力の株を持っているのだが、やはり第三四半期で約1800億円の赤字である。電気料金が上がっているので、収入は前年より増えているのだが、発電にかかる費用(燃料代など)を差し引いた「経常利益」は真っ赤っかである。株を持っていると会社の利益に応じて配当が支払われるのだが、2022年度初めに予想されていた配当からは大きく変わり、現時点では期末の配当については「未定」となってしまった(無配当の可能性もある)。


そんなわけで、電気料金はバカ高くなっているが、発電コスト(主に燃料費)はもっと上がっており、各電気会社は本来ならもっと値上げしたいところを耐えている状況だ、という事である。


日本の未来、どうなっていくのだろうか?私個人的には、最終的には農業や漁業などの第一次産業に従事している人が、最も飢えないのだろう(太平洋戦争直後のように)。日本国として、「第一次産業」へのテコ入れ(補助金、などという話ではなく、そこに従事する人を増やし、そこに従事することで「食べていくことができる、人間として最低限以上の健康で文化的な生活」を行なえるようにしていくこと)が大切なのでは、と思う。正直なところ、「ものづくり」も、「サービス産業」も、今の日本は「かろうじて過去の遺産を食いつぶす」状態で、この先は「ボロボロ」だと思うのだが。

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