第302話 「昔話の変遷」は昔から

昨日、ネットニュースで「『日本昔話』に変化 コンプラ事情」という見出しを見つけた。気になったので覗いてみた。ソースは@DIME。記事の内容をまとめると以下のような感じである。


近年、バラエティ番組やマンガなどで、表現の規制が強化されてきている。そのコンプライアンスの強化は昔話の世界でも広がっているとのこと。例として、「さるかに合戦」、「カチカチ山」を取り上げ、もともとの伝承→現代の絵本での記載を比較している、というものだった。もちろん、「昔話」は口承文芸であり、そこにバリエーションが生まれるのは必然だ、としている。


例に挙げた一つ、私たちは「さるかに合戦」という名前で認識しているのだが、最近の絵本では、「合戦」という言葉を嫌って「さるかにばなし」という表題にしているとのこと。


私の記憶では、悪知恵の働くサルが、おにぎりを持っていたカニに対して、「おにぎり」と「柿の種」の物々交換を強引に進めるところから始まる。カニは柿の種を植え、「早く芽を出せ柿の種。出さぬとはさみでチョン切るぞ」と歌いながら世話をし、柿の種はどんどん成長して柿の木となり、たくさんの身をつける。ところがカニは木登りができない。サルはそこで「木に登って、柿を取ってきてあげるよ」と言って木に登るが、自分が食べるばかりでカニには実を渡さない。カニが「僕にも柿の実を取ってくれよ」というと、熟していない青い柿を「これでもくらえ!」とカニにぶつけ、カニが大怪我をする、という話だった。ところが伝承では、カニは下記の直撃を食らい、甲羅が砕けて死んでしまうとのことである。まぁ、確かにカニの大きさと、柿の実の大きさを考えると伝承の方が妥当ではあるが穏便ではない。この時点で、50年近く前の私の子供のころから、伝承から少しマイルドな方向に話は変わっていたのである。ネットで調べると、子供のころお世話になったアニメ「まんが日本昔ばなし」では1990年に「さるかに合戦」が放映されているが、その時も「カニが大怪我をした」というストーリーとなっている。


可哀そうなカニに同情し、復讐を誓った仲間たち(お仕置き隊?)、臼、蜂、栗、そして「牛の糞」だが、私の記憶では「牛の糞」はいなかったように記憶している。現代の「さるかにばなし」では「牛の糞」の代わりに「昆布」がメンバー入りを果たしているようだ。ここは、伝承、私の記憶、現在の書籍で違いが目立つところである。実際問題として、1970年代に「大阪で生まれた男」としては、身の回りに「牛の糞」などというものはなかった。身近に「牛」さえいなかった。「牛の糞」は動物園で見たか、しっかりと記憶したものであれば、17歳の時に継父の会社の行事にくっついていったインドで、壁に貼り付けて乾燥させ、燃料として使われていた「牛の糞」が初めてだったように思う。今の子供も多くが「牛の糞」を知らないのではないか?なので、メンバー変更は致し方ないように思うし、ちょうどその中間点で、「牛の糞」も「昆布」もない私の聞いた、あるいは読んだ話になったのかもしれない。ちなみに1990年に放送された「さるかに合戦」では、お仕置き隊は、臼、蜂、栗、牛の糞、というメンバーであった。


伝承ではサルの家で待ち構えていたお仕置き隊。サルが帰ってきて、囲炉裏に火を入れると灰の中に隠れていた栗が熱せられ、はじけてサルにバチーンと一撃。やけどをしたサルが「冷やさなきゃ」と水がめのふたを開けると隠れていた蜂がチクリ!家を飛び出してきたサルが「牛の糞」に足を取られて転倒。その上に重い臼がドシーンと飛び乗り、「親の仇」と出てきた子ガニがサルの首を「チョキーン」(!)、という事になっているらしい。


私の記憶では、栗、蜂は同じ、サルは慌てて転倒し、そこに臼がドスーン。サルが「私が悪かったです。ごめんなさい。許してください」と謝罪するところでお話はおしまいだった。


今の「さるかにばなし」では、謝罪をしたサルをカニは許し、みんな仲良く柿を食べる、というオチとなっている。


さすがに「首をチョキーン」は、子供だけでなく、大人が読んでもトラウマになりそうである。たぶん、「さるかに合戦」の成立が戦国時代、あるいは江戸時代で、「斬首」という事がそれほど珍しくはない時代に成立したのだろう。最後に「みんな仲良く」は現代的な落ちだなぁ、と思う。


「カチカチ山」はその軽やかでユーモラスな題名とは似ても似つかぬほど恐ろしい話である。


伝承では、悪いタヌキを捕まえ、夕ご飯に「狸汁」にして食べてしまうから、絶対に縄をほどいてはいけない、と言い残して出かけたおじいさん。一人になったおばあさんに甘言を弄して縄をほどかせ、そしてその本性を現しおばあさんを殺め、タヌキはおばあさんに化けて、おじいさんに「婆汁」を食べさせてしまう。そしてその事実を明らかにして、おじいさんに再起不能なほどのダメージを与えて逃げてしまうタヌキ。義憤にかられたウサギが策を弄し、タヌキとウサギの二人で薪を取りに行く。帰り道、薪を背負ったタヌキの後ろで、火打石で火をつけようとするウサギ。「なんでカチカチいうのだろう」「だってここは『カチカチ山』だからさ」とトボけ、薪に火がついて「ボウボウ」と言い始めたら、「ここは「カチカチのボウボウ山」だからだ、というウサギ。そして、背中の薪がボウボウと燃えたため、「熱い、熱い」と逃げ去っていくタヌキを冷ややかな目で見るウサギ。ひどいやけどで死にそうな思いをしているタヌキに「やけどの薬」と言って「トウガラシ」をしこたま塗り込み、気絶させるほどの痛みを与えるウサギ。そしてそこから何とか生き残ったタヌキを釣りに誘い、わざわざタヌキには泥舟を作らせて沖に出る。当然泥舟なので沈んでいき、おぼれて助けを求めるタヌキを櫂(オール)で叩き続け、ついに水の中に沈んでいくタヌキ。それを平然と見つめるウサギ。


こんな話なので、ひどいことのオン・パレードである。この「カチカチ山」については、太平洋戦争の終戦直前に太宰治が執筆した「御伽草子」の中でも取り上げられており、そこでも「ひどい話だ」と太宰が文章中で独白している。


私が記憶しているカチカチ山は、捕まったタヌキが逃げようとして、誤っておばあさんを傷つけてしまい、義憤にかられたウサギが…(以下同じ)、という話である。


現在では、溺れて改心したタヌキをウサギは助け、みんな仲良くお餅を食べる、というエンディングになっているそうである。


参考文献が手元になく、記憶での話になるのは大変恐縮であるが、この太宰治の「御伽草子」の中にある「カチカチ山」では、


「古い本では、「おばあさんを『婆汁』にした」というものもあるが、最近(戦時中)の本では「おばあさんをケガさせた」程度の悪事である。これに対するウサギの仕打ちは陰険かつ執拗である。おおよそ「かたき討ち」としてはふさわしくない。「日本男児」たるものの振る舞いではない(執筆が戦時中であったことに注意。これは太宰風の「皮肉」である)。」


と独白しており、そこから、彼自身の解釈「ウサギ=10代後半の颯爽として美しい女性」「タヌキ=さえない中年男性」としての太宰流「カチカチ山」の世界が広がっていくのであるが、戦時中の時点でさえ、「婆汁」はあまりにもひどい、と思われていたわけである。


「昔話」が「口伝文芸」である限り、その時代の色彩を帯びるのは仕方がないことではあるが、物語の変化は決して最近のことではなく、昔から徐々に変わってきていたのであろう。もちろん、「みんなで仲良く大団円」という終わり方は今の時代を反映しているものだと思っている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る