2023年 1月

第259話 いつもと変わらぬ元旦

今日は元日。まず年始のご挨拶を、と思うが、今年は喪中(妻の母方の祖母、妻の父)のため、「皆様、今年もよろしくお願いいたします」とお伝えしたい。


さて、私が子供時代には、「紅白歌合戦」を見た記憶が全く、と言っていいほどないのだが、この数年、子供たちが「紅白を見たい」というので、紅白を見るようになった。かつては紅白の常連であった大御所たちが第一線を退かれたので、紅白も「演歌色」はほとんどなくなってしまった印象である。今年は、橋本 環奈さんの司会が素晴らしかった。おどおどしたところがなく、堂々とふるまっていてお見事であった。今朝、いつも見ているサイトを見ると、やはり彼女の司会ぶりはネット界でも高い評価を受けていた。


私は、音楽や歌は好きなのだが、特に「紅白」に思い入れがあるわけではないので、いつもの就寝時間が来ると「ほな、寝るわ」と寝室に入り、夜のお勤めをして床に就いた。


今日から3日間、長男君はアルバイトである。6時前には自宅を出なければならないようで、一人で起床し、一人で出かけたようである。私もいつもは6時前に起床しているので、6時ころになると睡眠は浅くなっている。6時過ぎに長男から家族のグループラインに連絡が入る。朝が早すぎて、普段利用している駐輪場が開いていなかったとのこと。なので、その近くの有料自転車パーキングに自転車を止めた、とのことだった。あら残念。「頑張ってね~」と返信を書いて少しうたたね。8時ころに起床した。妻と次男はまだ寝ているかなぁ?と思っていたら、二人とも起床していた。


元旦だけは、家族そろって仏壇に向かい、お勤めをするようにしている。これは私が子供のころ、父もそうしていたことを引き継いでいる。元旦だからと言って特別にすることが変わるわけではない。経を誦し、私や妻の祖父母、親、そしてお世話になった先生、親しかった親友への回向(お勤めをした功徳をその人たちに回すこと)、そして、いつも祈っている、家族の健康と無事故、子供たちの学業成就、そして、私自身が仕事でトラブルを抱えることなく、心穏やかに医療を行なえることを祈念し、お勤めを終えた。


次男君は、「朝晩仏壇に向かって、父、まじめやなぁ」と言ってくれたが、私が「まじめ」というわけではない。半世紀近く生きてきて、人間の努力だけではどうにもならないことがたくさんある。理不尽なこともたくさんある。でも可能であれば、そういったものも少しでも自分にとって有利になればいい、というのは煩悩ではあるが、少しでも、「何ともできないこと」が「何とかなるように」と思うようになったからである。


そういえば、少し前にネットで観た週刊誌のインタビュー記事(たしかデイリー新潮だったと思う)、「宗教2世」の漫画の作者さんの対談記事を思い出した。その方は創価学会2世で、子供のころに「世界平和のために頑張ろう」と教えられ、七夕だか、何かの時に願い事に「世界平和」と書いたところ、周囲の大人たちから、「えらいねぇ」と褒められたが、「世界平和のために頑張ろう」と言っていた大人たちが、現世での利益を求めていたことに幻滅したことと、創価学会のご本尊が「文字曼荼羅」であることについて、「この文字を書いた紙に祈るのはなぜか?」と大人に聞いたところ、「同じ紙でも画用紙と一万円札では違うでしょ」と訳の分からない説明をされ、納得できなかったことが信仰を離れる理由だった、と書いてあったように記憶している。


お釈迦様(以下釈尊とする)は決して現世利益を否定していたわけではない。釈尊率いる仏教教団も、出家、在家、男女の区別なく構成されていた(出家の男女は比丘、比丘尼、在家の男女は優婆塞、優婆夷)。仏法説話の一つにこのような話がある。ある女性が、自分の息子を亡くし、悲しみのやり場がなく混乱した状態になっていたそうである。「釈尊なら、その子供を蘇らせることができるかもしれない」という話を聞き、女性は釈尊のもとを訪ね、息子を生き返らせてくれるよう懇願した。釈尊は「それでは、塩を一盛(だったように記憶しているが、ここは別のものだったかもしれない)、もらってきてほしい。ただし、その家から一人も死人を出したことのない家からのものでなければならない」と女性に伝えた。(多分その当時のインドでは、今の日本のような核家族ではなく、大家族制だったのだろう)。女性はその村のあらゆる家を回ったが、(当然のことながら)一人も死人を出したことのない家は見つからなかった。ただ、女性はそれぞれの家を訪問する中で、「生きとし生けるものは皆、死からは逃れられないこと、その理の中で誰もが、大切な人を亡くした悲しみを抱えながら生きていること」に気づいたそうである。息子を失った悲しみが消えることはなかったが、そのことに気づき、彼女の心には平安が訪れ、釈尊に帰依した、という話である。


彼女の子供は生き返らなかったが、彼女の心は釈尊の教えで救われたわけで、これは一つの現世利益である。


「宗教2世」の漫画を描いた人は、本当に純粋な心で信仰していたのだろう。だから、周りの大人は彼女の信仰に正面から向かわなければならなかったのだろうと思う。私の小さな願いも、世界、あるいは少なくとも自分の周囲が平和でなければ成り立たない。戦争は、ヒトラーやプーチンのような独裁者が起こすだけではなく、戦前昭和の大日本帝国のように、時代の流れも、世論も戦争に押し流されて戦争が起きることもある。なので、一人一人の心の中に「平和」というものを築きあげていくことと、現世利益を求めることは決して相反するものではない、ということを伝えてあげなければならなかったのだろうと思う。


文字曼荼羅の話はまた長くなるのでおいておくことにする。


そんなわけで朝のお勤めを終え、お正月のお煮しめ、お雑煮、厚焼き玉子で朝食を済ませた。


朝食が済むと、妻と次男はこたつの中でウトウトし始め、その中で私が一人この文書を書いている。


先ほどスマホからシグナルがあり、開けてみると「昨年の今日を振り返りましょう」というメッセージが入っていた。それを開けると、昨年の元日に撮った写真が開いた。その写真の中でも、次男と妻の二人がこたつで寝入っていた(笑)。


何だ。長男君がアルバイトに出ていることを除けば、去年と同じ元日だ、と思った次第である。

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