第199話 最近、医療訴訟のニュースが多い

最近、医療訴訟のニュースをよく目にする気がする。先日は、90代の男性の腸閉塞で、主治医が軽症と判断し減圧術を行なわず薬物治療を行ない、3日目に嘔吐→誤嚥性肺炎→死亡された、とのことで訴訟となり、約3000万円で和解となったニュースを見た。


昨日は70代の人工透析を受けている女性。膝関節の痛みから体調が悪化し、県立病院に救急搬送、整形外科が診察し、鎮痛剤を処方し帰宅と対応。その後、女性は歩行や会話が困難な状態でかかりつけの人工透析クリニックを受診(透析を受けたのかどうかは不明)し帰宅したが、その翌日未明に敗血症で亡くなられたとのこと。遺族はこの2つの医療法人に対して約5000万円の損害賠償を求める裁判を起こしている、というニュースがあった。


今日は70代の女性が鼠径ヘルニアの紹介状を持ち、県立病院救急外来を受診。研修医が徒手整復を行なったとのこと。翌日女性が腹痛を訴え精査で小腸に穿孔が発覚。緊急手術を行なったが敗血症で亡くなった、とのことで訴訟が起き、5500万円で遺族と県が和解した、というニュースを見た。


いずれも詳細が分からず、何とも言い難いのだが、和解となったケースではずいぶん高額の金額での賠償のようにも見える。


和解金が高額となるのはなぜだろうと思っていたが、交通事故や医療事故で亡くなった方の損害賠償額には裁判所の算定基準があるらしい。医療事故の基準は調べきれなかったが、交通事故の慰謝料については、一家の家計を支えるものは2800万円、家計を支えるに準ずるものは2500万円、その他の者は2000万円、となっている。これに、本人の今後得られるであろう収入が加算されるそうである。なので、90代でいつ亡くなっても大往生、という人であっても、交通事故で亡くなり裁判となれば、遺族への慰謝料は2000万円となるわけである。そんなわけで、医療訴訟も同じような計算になるのだろう。


しかし、医療提供側としては医療訴訟は負担が大きい。明らかに医療提供側に非があれば、そのことに対してずいぶん心悔やまれるだろうし、逆に、それは訴えられるべきものか、ということで訴えられれば、戦うにもストレスがかかるしお金もかかる。できる限り避けたいものだと思っている。朝夕私が仏壇に手を合わせる理由の1/3くらいは「どうかそうなりませんように」との思いである。


閑話休題。それぞれを見ていくと、いろいろと考えさせられるものがある。1例目は90代の患者さんの腸閉塞に経鼻胃管、あるいはイレウスチューブを挿入して減圧をするかどうか、というところである。腸閉塞の原因が明確となっていないのはつらいところだが、やはり原則は「減圧のためのチューブを挿入する」ことだと思う。私が研修医をしていたころは、「消化管の減圧に経鼻胃管とイレウスチューブのどちらを使っても、症状の改善機関、改善率に統計学的な差が出ない」という論文が出た、とのことで、イレウスチューブではなく、経鼻胃管を挿入することが多かった。経鼻胃管とイレウスチューブはどちらも鼻から挿入し、経鼻胃管は文字通り、胃内にチューブの先端が存在するもの、イレウスチューブは十二指腸を超え、小腸内までチューブを挿入することができるものを言う。


外科で対応する患者さんは内科に比べ若く、自身の意思を表現できる人が多い。研修医時代、頻繁に術後癒着性の小腸閉塞で入院になる方がいた。私の記憶だけでも十数回入院されていたように覚えている。前述の通り、経鼻胃管を使用していたので、ERで私たちが経鼻胃管を挿入し、ある程度胃内容物を吸引してから、病棟に上がってもらっていたが、「また、管入れるの?あれ、本当につらいから、勘弁してほしいよ」といつも嘆いておられた。もちろん治療に必要なことは理解されているのだが、本当に鼻からチューブを留置するのはつらいようだ。


90代の男性の認知機能がどの程度かわからないが、そのつらさを我慢できたかどうか、微妙だと思う。また、経鼻胃管であれば、多少無造作に抜いてもあまり問題にはならない(とはいえ、管を抜くときには必ず陰圧をかけて抜いているが)が、イレウスチューブは手順に沿って抜かなければ、腸重積の合併症を起こすことがある。腸重積を起こせば、やはり命にかかわることがある。


不快感でチューブを無意識に抜いてしまうのであれば、抜かないようにするために身体拘束が必要となる場合もあり、そうすれば、またいろいろな問題が起きてしまう。


また、チューブが常に咽頭に留置されていれば、それも誤嚥性肺炎のリスクとなるはずである。


ということを考えると、主治医が「軽症なのでチューブを挿入せず管理した」というのは必ずしも間違えた判断とは言えないと思われる。また、チューブ挿入時に咽頭反射で嘔気を誘発することも珍しくはないので、チューブ挿入中に嘔吐し、いわゆるMendelson症候群と呼ばれるひどい化学性誤嚥性肺炎を発症することもありうる。


という点で、この症例はチューブを挿入するにせよ、しないにせよ、今回の腸閉塞が命取りになった可能性は決して低くないと思う。高齢の方の腸閉塞で、急性期病院に紹介したら翌日に永眠された、という返信を数回受け取ったことがある。腸のトラブルは、時に恐ろしい。


訴訟がどのような流れになっていたのかは不明だが、厳しい判決だなぁ、と思う。


2例目は、急性単関節炎をどう扱うか、というのが争点となるだろう。化膿性関節炎と、結晶性関節炎(痛風、偽痛風)の鑑別は難しい。時には両者が合併していてもおかしくはない。経過中のとある一点だけで見ると、全く違いがないことは珍しくない。なので、救急搬送された時点でのバイタルサインがカギになると思う。バイタルサインに明らかな異常があれば、内科主科、整形共観でも、整形主科、内科共観でもよいので入院させるべきだったと思われる。特に透析されている方ではなおさらである。結晶性関節炎を化膿性関節炎と誤診してもあまり責められることはないが、化膿性関節炎を結晶性関節炎と誤診するととんでもないことになる。ポケットに入るアンチョコ本でも、「急性単関節炎を見たら、まず化膿性関節炎を考えろ」と書いてある。関節腔の持続洗浄などの手技については整形外科の力を借りたいが、人工透析患者の化膿性関節炎に対する抗生剤の選択については、内科医の力の見せ所だと思う。


翌日、歩行困難、会話困難な状態で透析クリニックに行った、とのことだが、クリニックではバイタルサインを確認しなかったのだろうか?(人工透析そのものが循環動態に大きな負荷となるので、必ずバイタルサインは確認すると思うのだが?)簡便な血液検査(例えばCBCとCRPだけでも)はできなかったのだろうか?普段普通におしゃべりができて、歩いて透析に来ていた人が、突然会話もできず、歩くこともできない状態になった、というだけで「おかしい」と思うのだが。また、安全に透析を行なえたのだろうか?そういう点で、「転送義務違反」を問われるかもしれない。


3例目の症例も非常に悩ましい症例である。鼠径ヘルニアの嵌頓は時々経験する。それほど経験のない私のようなものではなかなかうまくいかず、急性期病院に「鼠径ヘルニアの嵌頓。場合によっては外科的な解除(手術してください、という意)を含めお願いします」と紹介状を書いて紹介することはしばしばである。今回もそのような症例だったのであろう。徒手整復が上手な人は上手なので、私ができなかった徒手整復を難なくこなし、「徒手整復で還納できました。鼠径ヘルニアの手術予定を立てました」という返信が返ってくることが多い。おそらく99%はうまく徒手整復ができているのだと思う。たまたま今回は整復時に、小腸そのもの、あるいは腸間膜を傷つけてしまったのだろう。整復後すぐに腹部CTをとっても損傷は分からなかったのではないかと思う。


では、徒手整復せずに外科的に整復と鼠径ヘルニアの手術をすれば万全だったか、というとそういうわけでもない。最近、鼠径ヘルニアの予定手術の際に誤って小腸を傷つけ、気づかぬまま閉腹し、翌日全身状態が急変し亡くなられた、ということで医療訴訟が起こったか、病院側が結構な金額を出して和解となったか、そんなニュースもあった。


1例目と3例目については、ある種避けられなかったことではないか、という気がする。当然するべきことをしない、あるいは誤ったことをした、というわけではないにもかかわらず不幸な転機をたどった症例である。私はそれなりの頻度で患者さんやご家族に「医療の世界には0%と100%はない」と伝えている。奇跡みたいな経過をたどる人がいる一方で、教科書的にも、患者さん個別の問題を考えても「これが最良の選択」と考えて医療を行なっても、予想通りにはいかず、不幸な転機をたどることもある。医療の視点で見れば「医療の不確実性」という言い方をするし、ベタな言い方をすれば、「うまくいかないときは、何をやってもうまくいかない」ということもできる。その時点が、その人に与えられた寿命の尽きるときだったのかもしれない。


法律など、人間の拵えた枠を超えて、まだすべてを解明されてはいない「人間」という「生命体」に対して、「今わかっているわずかな知識」で医療者は立ち向かっているわけである。できれば、「人間の決め事」の集合体である「司法」が、「人知を超えた存在」である人間を相手にしている「医療」という仕事を縛り付けることは避けてほしいな、というのが正直なところであり、可能であれば、「医療の抱える不確実性」を踏まえた判断をしてほしいと望んでいる。特別な条件下で、個別な問題に対して出された「判例」がどうしても「普遍化」されて今後の司法判断に影響するので、判決に対しても、その判断の過程に「個別性」を越えた「普遍性」を持たせてほしいと思っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る