第168話 適切な「病名」って?

日本糖尿病協会(糖尿病「学会」ではない)が、「糖尿病」という病名の変更を検討することになった、というニュースを見た。患者さんの大半が「糖尿病」という名前に不快感を持っていることが原因、とのことである。糖尿病学会とも連携し、新たな名前を考える、とのことだった。


協会の理事長は「糖尿病に対する誤った認識が偏見を助長し、差別を生んでいる」と主張しており、具体例として「生命保険や住宅ローンに加入できない」「就職が不利になった」などと挙げているそうだ。また、病名に「尿」という文字が入るのが「負のイメージ」としてとらえられている、と同協会が行ったアンケート結果を報告していた。


「糖尿病」という疾患は「医聖」ヒポクラテスのいたギリシア時代から認識されていた疾患で、おそらく当時は1型糖尿病が主だったのだろう。ギリシア時代の文献からは「肉体が尿に溶け出す病気」との記載があったり、英語圏での糖尿病の病名 ”Diabetes mellitus”はもともとギリシア語に由来し、”diabetes”はサイフォン→水がどんどん流れていく状態を意味し、”mellitus”は「甘い」という意味を持っているとのこと。なので、ギリシア時代から、「甘い尿がたくさん出る病気」、「身体が尿に溶けていきどんどん痩せていく病気」と認識されていたわけである。ちなみに、尿を濃くする「抗利尿ホルモン」の分泌が低下し、多量の尿が出る「尿崩症」という病気も”Diabetes insipidus”と”Diabetes”という単語が使われている。


そんなわけで、「糖尿病」という病名は、ギリシア時代から続く病名であり、同時に、そのメカニズムが全く分からなかったころから、その症状を明確に表現していた病名でもある。


協会の理事長が「差別」の具体例として挙げている「生命保険や住宅ローンが組めない」というのは、本当に差別なのだろうか?全体的に見て糖尿病患者さんの寿命は、そうでない人の寿命に比較して10年以上短い、という結果が出ている。もちろん平均寿命だけでなく、脳血管障害、心血管障害、腎障害、視力障害、下肢切断のリスクなど、糖尿病患者さんと非糖尿病患者さんでは明らかに異なっている。


保険会社も商売である。保険の掛け金は、そのリスクを計算したうえで設定されている。保険の掛け金の総和よりも支払う保険金の総和のほうが大きくなれば、商売として成り立たない。それを考えれば、生命リスクの高い糖尿病患者さんを生命保険に入れないか、あるいは保険の掛け金をリスク相応に上げる必要がある。生命保険などで、年を取って加入するほど掛け金が高くなるのは、加齢によってリスクが上昇するからである。「命に対するリスク」や、「大きな後遺症を残す疾患にかかるリスク」が現実として糖尿病患者さんの方がはるかに高いので、健康な人の掛け金で、糖尿病を持つ人が保険に入ることができないのは、「差別」ではなく、数学的根拠を持った「商売」としての行為である。最近では「喫煙者」と「非喫煙者」で保険の掛け金が変わるものがほとんどだが、それも疾病のリスクを考えれば当然のことである。「就職が不利」というのも同様の話である。


閑話休題。それぞれの疾患が、それぞれのイメージを持っているのは確かだと思う。例えば、非代償期のアルコール性肝硬変、と診断されるよりも、ESDで切除可能な早期胃がん、と診断される方が一般の人の心の衝撃が大きいように思われる。

糖尿病も、あまりに生活習慣に起因する2型糖尿病の方が多いので、生活習慣とは全く関連しない1型糖尿病の人に対しても「生活習慣が…」などと考えてしまうことは多いと思われる。


病名の変更として、この20年ほどの間で大きな話題になったのは「精神分裂病→統合失調症」と、「痴呆→認知症」の2つではないかと思っている。


「統合失調症」の病名は非常によく考えられた名前だと思っている。統合失調症の疾患概念が成立する中で、ドイツ語でこの病態を”schizophrenia”と呼ぶようになった。”schizo”の語義は「分裂」を意味し、”phrenia”が「精神」を意味しているので、直訳として“Schizophrenia”を「精神分裂病」とするのはむべなるかな、という思いもあるが、学問が進歩し、病態の実際がむしろ自我の統合がうまくいかない、という認識に変わってきたことを反映し、「統合失調症」と呼称が変わった。精神病態学的にはより適切な病名になった、という印象である。


一方、「認知症」というのは、よく考えるとわけのわからない病名である。例えば、「失語症」という病態は「言葉を失った」症状ということで、意味の分かりやすい言葉である。一方「認知」という言葉は、「子供を認知する」という使い方以外では、「知識を得る働き、知覚、記憶、推論、問題解決などの知的活動の総称」と定義されている。とすれば、「認知症」って具体的にどんな症状なの?という疑問が出てくる。病名が病態を反映していない病名である。


「認知症」と変更された経緯を見ると、老年医学会より「『痴呆』という言葉は差別的である」との提言を受け、厚生労働省で専門家による用語委員会が開催され、複数の候補が挙げられたそうである。その中で国民投票を行い、最も多かったのが「認知障害」という用語であったそうな。しかし、別の病態に対して「認知障害」という言葉が使われている、とのことで、厚生労働省から「認知症」という用語が提案された、とのことらしい。


あちこちぎくしゃくとしながら決定した言葉なので、「認知症」という病名が正しく病態を反映していないのは仕方がない、と思う。「認知症」という言葉もずいぶん市民権を得たが、それはそれで、いろいろとややこしいことになっている。介護職の方は「認知症」を「認知」と略すことが多く、認知症があるかどうかを確認するときに、「『認知』はありますか?」などという言葉が、高齢の方の退院後の方針決定の時に飛び交うのが常である。話しているこちら側も、その「認知」という言葉が「認知症」を意味していることは分かるので、混乱することはないが、よく知らない人が傍から聞けば、「認知」のある人は厄介で「認知」のない人がしっかりしていて、というわけのわからない事態になっている。と考えると、少し滑稽な感じもしないではない。


さて、「糖尿病」。ギリシア時代の医学の視点に立てば、非常に病態をよく表しており、病名の歴史もギリシア時代にさかのぼる古くからの言葉であるが、これに変わる適切な用語は果たして見つかるのであろうか?ただ、厳格なことを言えば、「尿に糖が出る」のが問題なのではなく、高血糖状態で全身の血管などを構成するたんぱく質が過度に糖化され、変性するのが病態の本質ではあるので、そのあたりに解決の糸口があるかもしれない。ただ、「認知症」のようになんだかわけのわからない病名になりそうで、困るようにも思う次第である。病名が何であれ、病気の本質も、生命予後も、治療法も変わらないのに、変な話であると感じている。

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