第93話 ドタバタした一週間。

先日、義父が亡くなった。新聞で、「オミクロン株はCOVID-19の重症化はないが、体力のない高齢者の体力を削って、命を奪ってしまう」と報道されていたが、まさしくその通りの経過だった。


8月中旬だったか、施設から「最近、食事の時にムセが多くなり、食事がとれなくなってきた」との連絡が妻に入った。私はそれを聞いて、「あぁ、いよいよの時が来たなぁ」と思った。高齢の方で認知症があり、介助で車イスに乗れるレベルのADL。それで、食事がとれなくなったら、いよいよお迎えが来たサインである。


妻と義父との関係は良くなかった。子供のころに散々嫌な思いをしてきたそうだ。いろいろとひどい話を聞いたが、彼女が繰り返しぼやいていたことの一つに、「娘には短大に進学してほしい」と常々義父が言っていたにもかかわらず、妻が短大に合格すると、「短大?わし、金無いで」と言われたそうだ。義父の稼いだお金は家のローンの支払いを済ませた後は、全部彼の飲み代に消えていたとのこと。それで、義母も必死に働かざるを得ず、世帯収入は多いものの(二人とも正社員)、家計は火の車だったそうだ。世帯収入は多いので、奨学金ももらえなかったらしい。「へらへらと『わし、金無いで』と言われた時には本当に失望した」と妻はことあるごとに言っていた。


そんなことがありながら、義母や義兄が先に亡くなり、義父と妻だけが残ってしまった。子供のころの恨みつらみもありながら、妻はよく頑張って義父のために動いていたと思う。


さて、施設からそのような連絡があり、施設からも「こちらで看取りもしています」とのことで、妻も私も、施設で看取ってもらおうと考えていた。点滴もいらない。酸素もいらない。自然のままに旅立ってもらえればそれでよい、と考えていたのだが、どこでどう話が転がったのかわからないまま、かかりつけの急性期病院を経て、施設の系列病院に入院となった。診断は誤嚥性肺炎+尿路感染症。その系列病院は車がないと少し不便なところに立地していたので、私の勤務する病院に転院、私が主治医として看取ろう、と考え、調整に動き出そうとした。


ところが残念なことに、ちょうどその時、義父の病院でCOVID-19クラスターが発生し、義父もCOVID-19を発症してしまった。同院には、中和抗体薬の「ゼビュディ」と抗ウイルス薬の「ラゲブリオ」が使えたそうで、病院から妻に「どうしましょうか?」と電話がかかってきた。妻はすぐには決めかね、「助けて」と言って、電話を私に回してきた(物理的に)。「ゼビュディ」はオミクロン株にはほとんど効果がない。嚥下できないので、「ラゲブリオ」は飲めない。となれば、答えは一つ。どちらも使わない、という選択肢だけである。妻のスマホで、病棟の看護師さんとお話をし、「『ゼビュディ』は効果なく、『ラゲブリオ』も内服できないので、抗ウイルス薬は使用せず、で結構です」と妻に聞こえるように答えた。妻もうなずいているので同意していると判断した。病棟看護師さんからも「わかりました」との返答があった。


義父がCOVID-19に感染したとほぼ同時に、当院でもCOVID-19クラスターが出たので、現実問題として、こちらに来てもらうことはとても難しくなった。


週末に病院から「お義父様、週末に亡くなられるかもしれないので、一度ご家族で面会に来てください」との連絡があり、家族4人で面会に向かう。COVID-19の隔離期間は終了していたので、不織布マスクをつけて義父に会う。全身状態は悪いながらも血圧は維持、高流量の酸素で酸素化は何とか。尿は少量出ている状態。子供たちにもおじいちゃんの顔を見てもらい、ひとまず面会終了。もう呼びかけにも応答しない状態だった。


週明けに、私と妻に主治医からの病状説明が予定されていたが、何とかそこまでは持ちこたえてくれた。「かなり厳しいです」との主治医の言葉。そんな悪い状態を診ていただき、ありがとうございます、とお伝えして、妻と父を見舞う。血圧も低下し、尿も出ておらず、死戦期に見られる「下顎呼吸」となっていた。帰りのエレベータの中で妻に「たぶん、今日、明日やで」と伝え、自宅に帰った。帰って妻と麦茶を飲んで一息ついていると病院から電話。もうすぐ心臓が止まりそうです、とのこと。妻曰く「さっき行ったとこなのに…。最後までかき回す…」とぼやく。とはいえ、再度病院に戻ることとする。ちょうどいいタイミングで帰宅した次男君も乗せ、再度病院へ。主治医の先生が待っててくださったようで、私たちが到着した時点で死亡確認。死後の処置をしている間に、葬儀屋さんに連絡。喪主は妻が務めるが、色々不安なのでそばにいてほしい、とのこと。もちろん問題なし。


死後の処置が済んだ後、妻と義父を病室において、次男と私は、フロアのロビーで葬儀屋さんのお迎えを待った。お迎えが到着した、と聞き、妻と義父のところに行くと、「お父さんとこんなに長い時間二人で過ごしたのは初めてかもしれない」と妻がポツリと言った。


さて、葬儀屋さんが来てからが忙しい。義父の葬儀は身内だけにしようと妻と相談していたので、私たち家族4人以外に来てもらうのは、妻の実家もお世話になり、今の私たちもお世話になっている義母の弟さん(叔父さん)だけにしよう、と話していた。叔父さんにも了解をもらい、打ち合わせやお金の用意など、バタバタとする。


そうこうしているうちにお通夜となった。義父の実家は禅宗らしいが、諸般の都合で、浄土真宗で葬儀をしてもらう事となる。そんなにたくさんの葬儀に出たことがないので、何ともわからないのだが、浄土真宗の読経はどうしてそんなに「節回し」というか「アクセント」というか、よくわからないが、そのようなものが入っているのか、何とも不思議である。


私の実家の宗派では、節回しもなく、淡々と読経が進んでいく。なので、妻と結婚して、初めて浄土真宗の葬儀に出席して大変面くらったことを覚えている。「このような節回しを覚えるのも、修行に入っているのかなぁ」と思ったほどである。


さて、浄土真宗では、葬儀や法要など、それぞれの機会を仏縁ととらえて、仏法説話を僧侶がしてくださる。今回のお通夜も読経の後、お坊さんのお話があった。


「亡くなられたお父様は、阿弥陀様がすぐにお浄土に連れていかれ、もうお浄土で仏さまとしてお生まれでございます。お浄土から『どのようにして、現世にいるお子様、お孫様、そして広く一切衆生を導いていこうか』とお考えになられ、阿弥陀如来の手足となって、一生懸命に働かれているのでございます」とのこと。


大変失礼とは思いながら、過去の義父の行態を思い出すと笑いをこらえるのに必死だった。たぶん妻も、心の中で「それはないなぁ」と思っていたに違いない。


個々の家族の家族関係や歴史を知る余裕もないので、そのような美辞麗句になるのはしょうがないとわかっているが、まぁ、なかなかそうは思えない場合もあるのである。


その後、告別式など、様々な儀式を乗り越えて、今、義父のお骨は私の部屋でお過ごしである。というのは、私の部屋に仏壇を置いているからである。仏壇と、義父の祭壇のお水やご飯の供養をしながら、「なんか、私だけがお世話をしていないか?」と思わなくもない(笑)。

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