第90話 吾唯足知(われ、ただ足るを知る)

ここのところ、ワイドショーを騒がせていた高槻資産家殺人事件、容疑者は結局黙秘したまま自殺してしまった。状況証拠だけを見ると限りなくクロに近い印象である。「理不尽にかけられた容疑を全力で晴らし、自らの正義を証明する」ということをせず、ただ、「逃げられないと思って死ぬことで逃げた」という印象を受けたのは私だけではないと思う。


フットボール選手としては優秀だったとのこと。関西では名門とされる大学を卒業し、大手保険会社に入社。そこまでは人がうらやむほどの華やかな経歴である。もともとの性格なのか、若くして高給をもらうようになったためなのか、派手な生活を送り、結局限りなく違法に近い保険勧誘をしていたことで処分を受け、大手保険会社を退職、というところまでは客観的に真実なのだろう。資産家女性との養子縁組の書類、生命保険の受取人の変更、などは偽造したようである。亡くなられた女性の方は、他殺が非常に疑わしい状況であった様子である(司法解剖されていると思うので、おそらく他殺を明らかに示す身体的変化が明らかになっていると思われる)。容疑者の行動を追いかけ、その行動をとった動機を推測すれば、一つの流れが見えてくるように思える。


「推定無罪」が原則なので、何とも言い難いが、たぶん彼はそのような生活がしたかったのだろう。だけど、そのような生活をしても、彼の魂は満たされなかったような気がしてならない。物欲に憑りつかれていたのかもしれない。欲望に支配されてしまえば、お金はいくらあっても足りない。恋人が何人いても足りない。高価な車や時計も自分の魂を満たしてはくれないだろう。


どこかの禅寺にあったと思うが(調べてみると「龍安寺」だった)の蹲踞(つくばい)は「吾、唯足るを知る」という文字をモチーフにしている。彼の魂の中にこの言葉がもしあれば、このようにはならなかったのかもしれない、と思う。


雨風をしのげる家があり、コンパクトカーとはいえ自分の車を持ち、結婚の誓いにある「止めるときも、貧しき時も、健やかなるときも、病めるときも」の言葉ではないが、貧しい二人暮らしから始まり、私が病んだ時もそばにいてくれた妻と、文句を言いながらも「お父ちゃん」と慕ってくれる子供たちを持ち、ありがたいことに仕事ができ、お給料をもらえることができる、本当はそれで十分なのだと思う。「吾、ただ足るを知る」ということは「欲望に振り回されない自分」を持ちなさい、ということだと私は解釈している。


いずれにせよ、自らの欲望に走り、自殺という選択肢を取らざるを得なかった、ということは不幸である。なまじお金を持っていたために命を奪われる羽目になった女性も、これまた災難だったと思う。そして、真相が明らかなにならないままに終わってしまうのも残念だったと思う。何ともやりきれないものである。

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